2018年12月18日火曜日

At failures, no apology is enough, so

失敗や過ちは必ず糧となる。それがどんな失敗でも。僕が年内、書くのはこれで最後にしようと思います。

失敗や過ちのないヒトは幸せか。僕はそうは思わない。失敗はいつか必ずしますし、それなら早い方が傷は浅い。しかも、上のヒトが否応なしに少しは救ってくれる。だから、若いうちに失敗はたくさんしておけ、って言われます。僕の上司も、常々、僕にそう言っています。

(あまり回数は多くないけど、僕もいろいろと大きな失敗して、ぎりぎりで切り抜けて今に至ってます。上司に助けられたり、関係者に助けられたり、幸運に守られたりして。)

実際には、失敗や過ちはないに越したことはない。ないように努力するのは当たり前ですが、必ず、どこかで想定外のことが起こります。間違えてしまうことがあります。民法でどう習うかわかりませんが、想定外をなくすることは現実には不可能ですし。

失敗や過ちの後、どうするのか。謝るのは当然ですけど、許してもらえるかはわからない。嘘も同じですよね。ばれない嘘はない。ばれたら謝るでしょうけど、そもそも、謝って仮に許してもられたような場合(許してもらえたように見えた場合)でも回復しないものがある。それは、信頼です。

(たとえば、契約を破る自由は法的にあるといって過言ではないけど、それを行使したら信頼を失い、長期的な利益を減らすかもしれない。)

失敗や過ちは、謝って場を収めることは確かにできますけど、その先ですよね。本当に大事なのは。相手も大人なら、許したふりをすることは簡単。いくらでもできる。人間関係なら特にそう。会社の場合、お金やリピュテーションが関係すると、そんなに簡単ではないかも。株主利益にも影響するし。

失敗や過ちの後、許してもらえなかったらどうなるか。その人や会社との関係はどうすることもできないでしょう。時間がすごくたって、また一緒に仕事するかもしれない。それまで、必死に真面目に働くしかない。でも、別な関係者や会社との取引では、同じ失敗はしませんよね。きっと。それが「糧」です。失ってはじめて気づくことがある。間違えて、相手を怒らせて、はじめて分かることがある。人間ってそういう生き物じゃないですかね。

大学にいるうちは、謝罪で終わり。そう思われている。でも、実際は違いますよね。記録は残るし、何かの折に言われるし。相手の中にも、ずっと残るかもしれない。それは、背負って生きていくしかない。僕も皆さんもです。

間違えない人はいないから、その先を考えたい。僕にも当てはまる。間違えにくく慎重に行動しているつもりでも、やはり間違える。大事なのは、間違えた後。謝っても回復しないものがある。なかなか回復しない、そのことは覚えておきたいです。あと、大人になると、そもそも間違いだと指摘されなくなります。離れていくだけです。相手が。急に。

就活の面接で、ときどき失敗した経験、不得意な点を聞かれる理由、少しは理解できる気がしません?


2018年12月14日金曜日

What's done is done

ゼミで扱う事件は、すでに過去のものが多いですね。そういう意味では、取り返しがつかないことばかりです。お金で解決できるものや、お金で解決できないけどそれしか方法がない、そういう事件もあります。法的な解決という意味では、です。

おおよそ法的な解決しか学ばない法学部では、たぶん、しょうがないとか、致し方ないとか、そんな言葉ばかり耳にします。判決で世界が一変するはずはなく、その先にも変わらない生活、変えなければならない生活などがあるのに、僕らはそこまで想定できない。法的な解決がすべてではない、ってことです。その先がある。必ずあります。

客観的に事案を分析できる能力は大事ですけど、もっともっと事案に近づいてみたら、事案って見え方が変わるかもしれませんよ。不法行為法・製造物責任法の講義でも試してみましたけど、同じ記事でも、読み方で印象はだいぶ変わりますから。

責任のありなしの先、皆で考えてみませんか。

2018年12月11日火曜日

Under Pressure

映画"Atomic Blonde"で挿入されているクイーンの曲、の話ではないです。プレッシャーを感じない方が全力を出せるっていう人もいるし、逆の人もいる。僕は、適度なプレッシャーを毎日、感じていたい方です。だから、ゼミでもさまざまな形で、現実に起こりうるような場面を作り出し、プレゼンしてもらっています。そして、まじめにプレゼンを聞くようにしています。

相手がいないプレゼンは楽しくないし、相手がいないのなら準備もぜんぶ無駄。レジュメを作る作業は、ある意味で独りよがり。そう思います。プレゼンで相手に何かを分かってもらいたかったら、長い資料に意味はない。すべての参考資料を挙げてもしかたない。自分の勉強用のノートにでも残しておいて、聞かれたら応えられればいい。すべては、相手を思うところから、目指す結果から逆算して作業する、そういう姿勢の問題です。

法律問題を解くときも、皆多くの人は、抽象的に、裁判官になったつもりで解くけど、そんなのほとんどあり得ない。僕らは、一方当事者として案件に巻き込まれるからです。だとしたら、一方当事者として案件を検討してみたらいい。レジュメも、中立な立場ではなくて、一方に肩入れする形で作ってみた方がまだマシです。現場に出たら、負けはあり得ない。最後には負けたらどうするかも検討しておくわけですけど、負けますかねじゃなくて、どうやって勝つか、負けそうならどんな議論を展開して負けを小さくするか、ないし、引き分けにもっていくか、そういう発想ってもてないかなぁ。

Under Pressure、いい曲です。プレッシャーを感じて、プレゼンしてみてください!
あなたのプレゼンを劇的に変えると思います。

2018年12月9日日曜日

AI for Social Good by Google

2018年12月8日の午後、六本木ヒルズで参加してきました。面白かったというより、結構、衝撃を受けたというのが正しいですね。もう、普通の人がそれなりのAIを手にできる。あとは、使い方次第。そういう時代が目の前まで来ている。それを知りました。

たぶん、僕らがしている多くの仕事は、AIの方に分がある。特に、過去データから何かを予測するもので、人為的ないし主観的な評価を介しない世界なら。もちろん、人為的ないし主観的な評価によるばらつきを可視化し、減らしていけば、そのような世界でもAIに委ねて、僕らは他のことに従事した方がよいのかも(笑)。

法学部にいると、なんでも既存のルールで解決したくなるけど、それではもうダメですね(笑)。おそらく、技術的に解決できるならば、それが事実上のルールを生み出してしまう。「コード」っていうレッシング教授が書いた本の世界になる。大事なのは、それでよいのかっていう視点が必要になることでしょうね。働く人間の立場から考えてみると、技術で解決できるものに時間や労力をかけず、AIなどを駆使して解決する判断ができないと、これからは生きていけないでしょう。自分がすべき仕事を選別する、どんどん、AIに任せるべき事柄を任せていける人になれないと相当やばい、ってことですね。

AIが不得意な場面は確かにありますけど、その分野でさえAIと人間の刈り取り場になるかも。今は、既存のルールで守られているからAIが入り込めなくても、ルール次第ではAIに席巻される分野は多い。法学部では、刈り取り場についてAIの側からどう刈り取るか、逆に人間の側からどう守るか、そもそもその分野を刈り取り場にしてよいのかなどの議論をできたら楽しいでしょうね。

ちなみに、たぶんですけど、あらゆる事象をルールに基づいて競争して勝ち負けが決まる、そういうゲームに仕立て上げたら、いずれ、AIが席巻しちゃうでしょうね。ルールを少し曲げて考えられたり、入力するデータをうまく支配できないと、人に勝ち目はないかな。

でも、よくよく考えてみると、これってゼミでやっていることそのもの。それに気づけたゼミ生は、たぶん、AIの波に飲まれないで済むんじゃないかと思います。AIを都合よく使い倒す、そんな発想ってなかなか持てないものですかね。






2018年12月7日金曜日

マイ・インターン(the Intern)

映画の話じゃないです(笑)。インターン、そろそろ始まっているみたいですね。試験と同様、インターンでも通るか通らないなど、何かしらの結果が必ず出ます。通らないから悲しい、悔しいって思う気持ちは痛いほど分かる(僕も就活したから(笑))。でも、ホントにそんなに残念なことかな、って思い直してほしいです。

インターンにもいろいろあるらしいですね。採用直結型とそうでないもの。直結型であれば、相手も相当に用意周到に準備しているはず。それに漏れても、ある意味で仕方ない。だって、僕らはまだ、準備していないでしょ。ぜんぜん準備してない。学歴などでフィルターにかけられるだけの選考で落とされても、そんなに気にしない方がよいです。もう一回、正規の採用プロセスで勝負すればいいじゃん。

採用直結型じゃないものであれば、むしろ、十二分に気を付けた方がいい。準備しないでインターンに参加して、実際には評価の対象になっていることは大いにあり得るからです。その評価を、正規の採用プロセスで覆すのは意外と大変かもしれないですよ。だって、「素」の自分を見られた後に、いくら化粧しても、準備しても後の祭り。就職活動は、なかなか大変ですね。

僕のゼミは、ある意味でインターンみたいなものかなって思います。映画の「マイ・インターン」とは違うけど、僕もゼミ生から学ぶことは多いし、毎回、少しずつですけど、皆の成長を感じられます。

就職活動はまだまだこれからです。焦らず、地道に、それでいて戦略的に頑張ってみてください。応援しています。

2018年12月4日火曜日

一般受けを狙うか、それとも独自路線を歩むか?

ゼミでプレゼンをしていると、ときどき、考えさせられることがあります。プレゼンは、本来であれば自由のはずなのに、基本の形を教える意味があるのかと。

僕は、独自路線を貫ける人には最後まで貫いてほしい、って思っています。もちろん、ぜんぜん受けないかもしれない。多くの企業には嫌われるかもしれない。それでもかまわないと思える強さがあれば、きっと合う会社には拾われるし、それはある意味で幸せなことだろうって。

他方、独自路線にはリスクが付きまといます。企業は各社、同じではないし、ある企業の中にもいろいろな相手がいます。その人の誰と当たっても、それなりに評価してもらえるプレゼンを目指そうとすると、独自路線ではリスクが高すぎる。だから、最低限度の基本だけは押さえておく、それも戦略の1つだと思うのです。

素晴らしいプレゼンは、やはり、形に関係なく感動しますし、凄いなって思えます。時代さえ超越しているはずです。問題は、そんな超越したプレゼンをコンスタントにできるのかってこと。簡単じゃない。最近は、質問の仕方とかも勉強していますけど、良いプレゼンの前には良い分析や質問が当然の前提になると思います。

今後とも、プレゼンが上手な人にはもっと上手に、下手な人にもそれなりのプレゼンをしてもらえるようなゼミを目指したいです。もちろん、単に一般受けするプレゼンっていうよりも、誰に対しても、どこに行っても通用するようなプレゼンをできるようになってほしいと願って。

ロックバンドのクイーンの曲を聴きながら、そんなことを考えてしまいました。

2018年11月25日日曜日

ゼミでの自分の変化を実感できてる?

プレゼミからであれば2年半、本ゼミだけだと2年の付き合い、それがゼミの関係です。実際にはそんなに長くなくて、就活のせいで前者は2年、後者は1年半になりますかね。その程度のものですが、人間にとっての2年や1年半は重要です。貴重すぎる。

将来、健康に2年や1年半を過ごせる保証はない以上、今、自分が手にしている時間は本当に貴重です。将来の時間より、今の時間の方が価値がある(現在価値に直せば、ということですけど)。

そんな限られた時間の中で、最近、変わったなとか、変わってきたなぁって思う学生が増えてきました。もちろん、良い意味でです。そろそろ変われないと、あとはそのままゴール、卒業してしまいますね。僕は神様じゃないし、特別な存在でもないから、学生を自由自在に変える能力を持ち合わせていません。自分で変わるしかない。昔、ある有名な心理学者は「僕に赤ん坊を預けてくれたら、どんな人にでも変えられる」って豪語したらしいですけど、正直、僕には人の将来をそんなに簡単に変れられないし、ぜんぜん作れないです。

変化を感じられていない学生は、法律を学び、良い成績をとり、資格をとっても、希望の就職が叶うわけじゃないし、良い人生を送れる保証はない、そのことにそろそろ気づくべきです。唯一、ほぼすべての学生に当てはまるのは、働かないと生きていけないってこと。働くために何をしておくべきか、どんな考え方や能力を備えるべきか、もっと言えば、法学部の学生として何を強みにすればよいのか、それを今一度考えてみて、ゼミや授業に臨んでみたらいいと思います。

法学はどこまで突き詰めてみても、言葉に学問。言葉をうまく使って、問題を解決し、クライアントに利益をもたらすのがお仕事です。ゼミで変化を感じられるころには、言葉を使ってお仕事できるような素養が、昔よりもきっと備わっているはず。自信をもって頑張ってください。たぶん、言葉を使って仕事するのが楽しみになります。

夢にとっては、1日も無駄にしないほうがいい。2年や1年半は当然、無駄にしないでほしいです。

2018年11月23日金曜日

Not for any Presidents who appointed as federal judges

アメリカでは、三権分立の問題がいつも念頭にあり、そのせめぎあいの中で法や政策が生み出されています。最近のニュースも、それをまざまざと見せつけてくれました。

https://www.fox4now.com/newsy/chief-justice-responds-to-trumps-criticism-of-obama-judge

トランプ大統領が、第9巡回区連邦控訴裁判所の判事を「オバマ前大統領の裁判官だ」と罵ったのに対し、最高裁長官であるロバーツ裁判官がそんな裁判官はいない、とコメントしたとのこと。指名した大統領の党派は共和党と民主党、どちらもあり得るけど、裁判官は裁判官であり、大統領の裁判官ではなく司法部は独立している、ということですね。

党派性が出てしまいそうな判決こそ、一番、党派性が感じられないような判決が求められるわけですが、結論だけで判断されると裁判官としては厳しいでしょうね。和解もあり得ない事案ですし、逃げようがないので。こういうときこそ、裁判官の力の見せ所ではあるのでしょうけど、こんなことは歴史上、あまり聞いたことがないです。

間髪入れずに最高裁がコメントするあたりがアメリカですね(笑)。大統領、それを言っては合衆国憲法のもとで国政が機能しなくなる、とまでは言ってないですけど、法の国アメリカの根幹中の根幹の価値が司法部の独立性ですよって。

そういえば、ウィキペディアでCNN v. Trumpの裁判所命令を見つけました。デュープロセスだけで片付けたみたいですね。すごく気を付けて書かれた命令でした。面白かったです。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/99/CNN_v._Trump_transcript_2018-11-16.pdf


2018年11月18日日曜日

法で戦うってどういうこと?-CNN v. Trump

アメリカ法を眺めていると、毎日、法律問題ばかりです(笑)。法の国、そういわれるだけのことはあって、メディアでは法的な観点からの分析がなされます。もちろん、現行法で対応不能や望ましくない結果になるなら、立法の観点からもコメントがある、それがアメリカです。

法で戦うって、イメージが湧きますか?「リーガルV」でも、離婚弁護士でも扱われていますけど、「それって法律問題にホントになるのっていう問題」を、法律のフィールドにわざわざ引きずり込んで解決に導く、そういう話って信じられますか?

CNNのある記者さんが、ホワイトハウスの記者証を取り上げられた事件、実は訴訟になっていて、すでに暫定的差し止め命令が連邦地裁から出ています。すなわち、記者証を取り戻すのに「法」と「裁判所」が使われて、実際に返還されたようです。いろいろな根拠が挙げられていますけど、究極的な根拠は何でしょう。そう、最強の人権とも言われる「first amendment」、表現の自由です。あとは、デュープロセス(行政手続法もちょっぴり引用されているので注意)。

http://online.wsj.com/public/resources/documents/2018_1118_cnn_v_trump_injunction_motion.pdf
https://drive.google.com/file/d/1HyX_1ngNRGIENcUDzUtUA_AA3rqMwhMF/view

日本だと、そもそも記者証を奪わなくても、メディア側が自発的に記者を入れ替える対応をするかもしれませんし、そうでなくても、政府側も記者証を取り上げるような行為に出ることはないかもしれませんね。

アメリカでは、ガチンコで戦い、今回の事件では政府側が暫定的に負けた、ということです。あくまで暫定的に、ですが、それでも大きなことです。

誰も救いの手を差し伸べてくれないとき、最後の砦はおそらく、法です。社会的な意味で、具体的な救済を生み出しうる最強の道具は「法」だからです。でも、僕らは本当に、法に頼って生きているのかというと、必ずしもそんなことない。そもそも、法を使って事案を解決しよう、そういう発想は希薄です。なんでもかんでも弁護士を立てればいい、そういうわけではないですけど、日本において最後の砦として法は機能しうるのか、それは問い直してみてもいいかな。

毎日のニュースに、法を使うヒントは隠れています。
皆さんも、探してみませんか。


2018年11月16日金曜日

チャンスは何度も来ない?

青学の学生と話していてときどき思うのは、いい人が多いけど、チャンスについてはみすみす捨てる人が多いってことです(全員じゃないけど(笑))。4年前に赴任して以来、その印象は変わっていません。

まあ、チャンスなんて相対的なものだから、何かを捨てて、別なものを得ているならそれでいい。ただし、その見極め次第で、人生は変わります。それは、忘れないでほしいです。

授業やゼミをしていても思いますけど、質問して答えを貰い、それにまた応える、その一連のプロセスの中に、試験でキーとなる概念が潜んでいるかもしれない。わからなかったら、前の人と同じ内容が聞かれることを前提に、自分で調べて考えておけばいい。分からないといえば、寝たふりをすれば、静かに先の人に行ってくれる。でも、試験対策問題を考える機会を捨てる、そういう選択をしたのと同じ。授業やゼミに1時間半の間出席すれば、その1時間半に別なことをできる機会を捨てている、それをもっともっと意識した方がいいです。

人生でチャンスは3度、っていう言葉があるように、そんなに何度もやってきません。
だからこそ、目の前にあるチャンスは掴んでください。それが、どんな性質のものであっても。少なくとも、掴もうとする努力はしてほしいと思います。

2018年11月9日金曜日

時間は有限だけど、誰と過ごし、何をする?

歳をとった証拠かもしれませんけど、最近、疲れやすいです。昨日も、「法と経済」の講義を終えたら、数分間は立ち上がれないくらいでした(笑)。

講義をしていても、ゼミをしていても感じるのですが、単に出席だけしてもあまり意味はない気がします。先生の中には、出席するのは当たり前、そういう人はいますね。僕も、ゼミは基本的にはそう思います。でも、出席していればいいとは思わない。講義も、出席していた人が高得点を取りやすいのは当然としても、ただ話を聞いているだけでは、ほとんど価値がない気がします。要するに、自分の取り組み方次第で、講義もゼミも効果が変わってくるのではないか、ということです。

単位は大事です。お金を払って大学に来て、単位を修得できなければ卒業できず、働きたいところで働けなくなってしまう。そういう意味では、コツコツと単位を取るために最低限出席だけはしよう、そういう心構えを否定するつもりはありません。むしろ、素晴らしい。ただ、どうせ出席するなら、主体的に出席した方が時間やお金の観点からすれば、より有効なのかな、そう思うのです。

たとえば、ダイエットやスポーツのトレーニングでも、継続していれば短時間で効果が出る、そういう話を聞いたことがありますよね。大事なのは時間ではなく、継続とやり方なのだと。

法律問題は、普通、答えが1つになることはなかなかない。さまざまな制約条件や事実関係を考慮すれば、1つになることはありますが、それを選び出す過程でさまざまな可能性を考えなければならないでしょう。講義やゼミではどうか。模範というかモデル回答は用意されていて、それに誘導されますね(笑)。普通は、それを覚えるだけ。僕の話をぜんぶ暗記するなんてナンセンスだけど、それでも暗記すれば試験には通る。でも、なぜモデル回答になるのか、変じゃないか、別な回答の方が望ましくないのかなどなど、自分で考えたらより知識を深めることができるはず。もっといえば、別な問題が出ても怖くなくなります。正解を覚えるのではなく、正解を発見する、ないし作り出す方法を学ぶのが大事であり、それは出席して話を聞いているだけでは無理だ、ということです。

正直に言うと、僕は昔ほど、講義室全体を歩き回って全員にマイクを回す元気がないけど、マイクが回るか回らないかにかかわらず、常に、自分の頭で考えてみてほしいです。目の前の事案の答えはこれで本当に正しいのかどうか。この先、類似の事件が発生しても本当にこれで望ましい結論を導けるのかどうか。もっと視野を広げて、社会的な影響はどうなのかなどなど、考えられるところはたくさんあります。

答えが1つじゃないなら、どうやって相手を納得させるか。それは、プレゼンであり、リーガルメモです。プレゼンやメモを駆使して、相手にほかの結論よりもこの結論がマシ、ないし明らかにベターなのだ、と示せるかどうか。それで、世界は回っている。もちろん、納得してくれない可能性もあるので、その場合の対策も事前に考えておきます。最悪の事態は、未然に予想して備えておけばよい(笑)。そこまで考えて、普段、プレゼンしてないでしょう。A案がだめならせめてB案、その提案の仕方で、結果は変わるかもしれませんよ。だから、ゼミでももっともっともっとシリアスに、自分なりのプレゼンを探求してほしい。

貴重な時間、仮に講義やゼミに割くなら、誰とどう使いますか?出席しないよりはした方がいいけど、もっと効率的に、効果的に時間を使ってみませんか。逆に言えば、僕のような教員は、他に時間を割くよりも講義やゼミに割いた方がベター、そう思わせるような講義やゼミを提供し続けないといけないのではないか、そう個人的には思っています。

2018年10月29日月曜日

AIリベラルアーツ塾「Ai時代における契約、不法行為、製造物責任」(2)

無事に2回、終えることができました。2回目は比較的朝早くからの講義になり、出席しにくかったかと思いますが、参加してくれた学生の皆様に深くお礼申し上げます。

また同じ講義を聞く機会はたぶんないです。一部はどこかで話すかもしれませんけど、同じ話はできません(笑)。来年またとか、いつかまたとか、そんなのは「なし」です(笑)。お金も貰わず、単位にもならず、しかも休日を割いて開講される講義に参加するのは、ただ学びたいからですよね。そんな人にしか聞けない講義が、1つや2つあってもいいんじゃないかな、と僕は思います。

自分で学ぶ、単位とか関係なく学ぶ、何かを期待せずに学ぶってすごく貴重です。ハーヴァード大学の「CS50」とはコンセプトも内容もぜんぜん違いますけど、AIの高度化やその利用が進んだ社会でも生きていけるような基本的な知識、思考方法を学んでほしいというのは、「CS50」の本質に通ずるのではないでしょうか。

僕もできる限りのことは話しました。来年以降のことはわかりませんけど、ぜひ、これからもAIやシンギュラリティに関心をもって生きてほしいです。

常に新しい価値を生み出せる?ーリスクをチャンスに変える

今学期は、あっという間に時間が過ぎていきます。ゼミをしていても、講義をしていても、時間が足りないなって思います。そのくらいがちょうどよい、はずですけどね(笑)。それなりに忙しい、そういうことですもんね。

法学部では、覚えたルールに事実を当てはめて、答えを出し、その結果をひたすら覚えることばかりやってきました。その結果として、法学部の学生だと自分の意見をぜんぜん言えなくなり、法律を学ぶことに面白さを感じる機会はほとんどなくなりつつあります。就職してから、上が右といえば右、左といえば左、下といえば下、それをただロボットのように実行していればずっと、安定的に退職まで給料をもらえる時代の法律学は、それでもよかったのかもしれません。

今の時代、たぶんですが、上に従っていたり、長いものに巻かれていたり、とりあえず世間一般的な意見を唱えていれば安全、ということはなくなってきているように思います。何を言っても、何をしても非難されるし(笑)、上に従っていても懲戒されたり、逮捕されたり。例を挙げたら枚挙にいとまがないくらい。こんな時代の法学部の講義やゼミでは、何をどうやって学ぶべきなのか。答えはなかなか見つかりませんね。

僕は、新しい「価値」を生み出せるような勉強が大事なのかな、と思っています。教科書や論文を読むのは大事です。暗記も少しは必要でしょう。でも、そこに新しい価値はない。みなさんがない知識を得ることはできますが、既存の価値が反映されたものを読み、暗記し、それをそのままアウトプットしていたら、既存の価値を再生産する道具になるだけです。それはある意味、凄く楽で、何も考えなくて済みますね。読む時間だけ、暗記する時間だけあればいいのですから。ただ、そもそもぜんぜん面白くないし(笑)、将来、あまり使えません。少なくとも、過去の知識は、そのままでは現実の世界ではほとんど使い物にならない。

新しい価値を生み出すには、皆の常識、通説判例を批判的に眺められる能力がどうしても必要です。たとえば、皆が正しいと思っているけど、この場面では明らかに変だ、とか、誰も疑問に思っていないけど、このまま発展した先には何か別の問題が潜んでいるから事前に対応しておくべきじゃないか、とか。そういう鋭敏な感覚が必要なのです。そのうえで、じゃあどうやって改善するのか、そのときに使える道具は何か、企業なら何を予想してどこまでの対応を行い、残りを政府に委ねる(ないし頼む)のか、などなど、未来を変えていく思考と行動をすればいい。

今のままでいいと思ったら最後で、決して今のままではいられない(笑)。世界は、そして万物は常に流転しているからです。企業や国家は、一応、法的には永続的な存在です。特別な事態がなければ、永続的に存在しえます。でも、変わらなければ、きっと衰退していくでしょう。最後は、構成員が誰もいなくなってしまうかもしれない。上司がよく言うように、日本の政府だって改革は続けているけど、世界の改革スピードには追いつけていないし、そもそも世界自体が変わってしまえば、計画している政策の効果は当然変わってしまいます。予想よりも効果が出ない、効果が出ないどころか悪影響が出る、そんなことだってありうるでしょう。ゼミも同じです。今が最高なら、その先を目指さないと、この先は廃れるだけです。

僕が考えるこの先は、ディベートというより、クライアントを意識したプレゼンやソリューションの発見ですかね。法理論的に答えを見つけられるようにはなってきていますが、クライアントの立場から眺めたら、最善には見えないものが多いし、若干現実離れした案もある。クライアントの最善の利益を考えつつ、現実離れしていない案を突き詰めていくと、敵でも味方でも似たような案に近づいてきます。そこでこそ、どこがクライアントにとって最重要な価値なのかを考えられるはずなんです。

ゼミも残すはあと少しです。4年生は卒論を中心に、毎回、実務よりの問題を扱っています。3年生は、時事問題にメスを入れて、自分たちなりの改善策を考えています。自分たちなりに、今の先を考えてみてください。新しい価値を見出せないと、ゼミでは意味ないと思うので。




2018年10月20日土曜日

具体的に話す、書くってどういうこと?

 プレゼンテーションやメモでは、具体性がないとなかなか相手に納得させたり、説得力を持たせることができません。~と思うとか、頑張るとか、フィットするとか、書くのは自由ですけど、どうしてそう思うのとか、どうして頑張れるのとか、どうしてフィットするのという疑問に答えられていないからです。

たとえば、とか、具体的に言えば、という言葉を使うだけでは足りません。より大事なのは、エピソードです。そうだよね、って相手が感じられるエピソードを持っているかどうか、ということです。エピソードがないなら、時間の限りでエピソードを作ればいい。もちろん、エピソードは小さくてもいいんです。小さくても、そのヒトの人となりが具体化されるなら何でもオーケー。

あるセミナーに出たとか、サークルや体育会でこんなこと、あんなことをしたとか、こんなバイトをしてたら面白い事態に遭遇したとか、凄く具体的ですよね。そして、聞いている方は、はじめて具体的な状況を想像することが出来、共感しやすくなるわけです。

法学部に居ると、どんどん抽象的な話をしがちになります。演繹的に考えるので、仕方ないと言えば仕方ないのですけど、それだと、相手には、特に自分の知り合い以外のヒトには、どうしても伝わりにくくなります。また、抽象的に話していると、結論がどんなに変でも、なかなか気づけなくなります。何となく、ルールに事実を当てはめるとこういう結論になる、そういう話し方に終始していると、聞かされた相手が腑に落ちなくてもどうでもよくなってしまいがちなんです。

ゼミのプレゼンでも、ゼミの選考でも、印象を変えるのはやはりエピソードです。具体的に話したり、書いたりする技術、是非、磨いてください!

2018年度のゼミ生選考について(結果)

ゼミに応募してくださった学生の皆様には、改めて心からお礼申し上げます。最初で最後かもしれませんが、本当に多くの学生に応募していただきました。

応募者数の男女比は、男性28パーセント、女性72パーセントでした。どの学生も、ゼミに入っていただけるくらいポテンシャルが高く、悩みに悩んで合格者を決めさせていただきました。面接の後、志望理由書を何度も読み返し、最後の最後で成績も考慮しました。ご期待に添えなかった学生には、心から申し訳なく思います。本当に申し訳ございませんでした。

今年の課題は、プレゼミ生の取り扱いと、男女バランスでした。まず、プレゼミ生についてですが、昨年度までの選考と異なり、プレゼミからの応募者が減ったため、昨年のようにプレゼミ生がゼミの半数以上を占める、という事態にはなりませんでした。他方、男女バランスについては、先に申し上げたとおり、応募者の中で女性の割合が極めて多い、という状況でした。合格者の男女比を是正するためには男性の合格率を極端に上げる必要がありますが、それでは逆差別を生み出す可能性があり、慎重に対応した結果として、全体の合格者数が多くなってしまいました。競争率は、男性は1.57倍、女性は1.61倍になりました。心より深くお詫び申し上げます。

落選した学生に何かが足りなかったとかではなく、合格させられる学生の数が限られている関係で、やむを得なくこのような判断となりました。そのことは、どうか誤解しないでください。講義でもそれ以外でも、応募してくださった皆さんに何かしら、お返しできるものがあれば、と思っています。

合格された学生には、落選した学生の分まで存分に楽しんで欲しいし、一生懸命頑張って欲しいです。

M&Aの講義でも扱いますけど、実は契約後、クロージングまでにいろいろなことが生じ、その結果として株式の価値が変わってしまうかもしれない、という問題があります。ゼミ生やゼミ自体にも同じことが生じ得ます。すなわち、選考後にゼミの価値が下がったら大問題ですし、逆に、合格した学生が変わり果ててしまい、ゼミに合わなくなってしまう、そういうことが生じ得ます。2019年4月にゼミが始まるまでに、ゼミ自体の価値が今より上がっていて、新ゼミ生もさらにゼミにフィットする学生に変わっていたら、それが最善ですね。

新しいゼミ生におめにかかるのはもう少し先になりますが、それまでにゼミの価値をさらに高められるよう、最善を尽くしたいと思います。

ゼミの選考、本当にお疲れ様でした。そして、どうもありがとうございました。




2018年10月9日火曜日

オープンゼミの全2回を終えてー感謝あるのみ

2年生の皆様、現ゼミ生の方々、昨日はオープンゼミ2回目に来ていただき、本当にどうもありがとうございます。青学で4年目になりますが、あんなに多くの方々と一緒にやるオープンゼミははじめてで、凄く刺激的でした。現ゼミ生の努力がなければ、僕はオープンゼミの2回目を回避してスイスに飛び、今頃は認知症関連のカンファレンスに出席していたと思います。

2回目のオープンゼミは、1回目のオープンゼミとは色をがらっと変えて、会社で法律をどう使うのか、という観点から問題を作ってみました。実務家の方に現状を伺いながら、手探りで作りました。現ゼミ生にとっても、非常に扱いにくい問題だったと思います。なぜなら、会社のために法令やガイダンスを読んで何をするかなんて、法学部ではやらないから(笑)。普段、訴訟で勝つか負けるかとか、損害賠償責任を負うかとか、法理論を空中で戦わせているばかりですけど、生の事案にはそんな派手さはない。1つ1つの対応で、会社に利益を生み出せるようなアイディアを、法令やガイダンスに違反しない形で具体化していく、それだけです。会社によってアプローチは異なるでしょうし、まさに社員さんの能力が会社の将来を左右することになります。それを、ほんの少しでも感じて欲しかったのです。

新しい問題、答えがない世界でよりよい答えを探して競うゼミ、少しは楽しめたでしょうか。リーガル・エンターテインメントというと言い過ぎかもしれませんが、ゼミは、ゼミ生と僕で作り上げるもので、僕がやりたいことに皆さんをつきあわせるものではないです。知ってのとおり、ゼミにはいろいろなタイプのものがありますね。たとえば、輪読、判例評釈、論文を整理してある論点について議論するなどなど。僕は、そういう世界からゼミでは完全に離れたい、と思いました。研究のためとか関係なく、純粋にこんなゼミがあったら、就活や将来にとって少しでも役に立たないかな、法律を好きにならないかな、そう思って毎回、面白い最新の問題を探しています。なぜなら、実務の世界、現場に一度出たら、毎回が新しい問題に直面するからです。過去の案件を応用するといっても、二度と丸写しはできません。

ゼミ生には、法律の面白さを理解し、うまく使えるヒトになって欲しいです。学部生のころ、僕は法律が嫌いでした。今は大好きですが、当時は早く転部しよう、そう考えていたくらいです。嫌いになったのは、何が面白いのかまったく理解できなかったからです。ルールに事実を当てはめて、結論が出るとして、そこに面白さってあるのかわかりませんでした。今なら分かります。事実の集め方や評価はヒトによって違いますし、ルールの解釈も変わりうる。だとすれば、その事実やルールの扱い方、示し方、話し方で結論が変わり、会社や社会の未来が大きく影響を受けうる、ってことでしょう。しかも、最終的にはルールなんて必要があれば変えてしまえばいい。そう考えたら、法学も政治学も凄く面白い学問に思えました。

ゼミにはいろいろな学生がいてくれていい、というかいてくれた方が楽しいです。今、法律が嫌いでも好きになれるかもしれないし、コミニュケーションやプレゼンなんていくらでも上手くなります。大事なのは、やっぱり「センス」じゃないかな。事案に対してひたむきに、丁寧に、言葉を大事にして向き合えるかどうか。失敗しても、次回は反省して改善できるようなロブストな人間かどうか、僕は成績とかより、そっちをできる限り見たいです。

もう、応募がはじまっていますね。僕のゼミはまな板の鯉状態(笑)。あとは、結果を待って、土曜日の選考に臨みたいです。

最後になりましたが、個別ガイダンス、オープンゼミ2回分、そしてそれに至るまでの広報など、現ゼミ生にはただただお礼申し上げます。

すべてのプロセスを踏まえて、とくに他のゼミと十分に比較した上で、応募してくれた方々とお目にかかれるのを楽しみにしています。

2018年10月6日土曜日

迷いを大事にーオープンゼミ2回目に寄せて

ゼミ選び、迷ってますか?迷っていいと思いますし、迷っている部分を大事にして、最後に結論を出して欲しいです。僕のゼミじゃなくても、自分にとって最高のゼミを選んでください。

迷うと言うことは、そこで引っかかる、納得がいっていないということです。他と比べて、マシなゼミ、ないし、リスクが小さいゼミを選ぶのもよいですし、リスクとベネフィットを考慮してリスクが大きくても大きなベネフィットも潜在的にはありそうなゼミを選ぶのも良し。最後に直感で選ぶも良し(笑)。悩みに悩んで選択して欲しいと思います。

案件の決断は期限ぎりぎりまで悩め、僕はそう教わりました。どんなに簡単な判断にも、見えてない事情があるかもしれない。できる限り調査し、リスクを最小化してから決断する、その繰り返しが自分や組織を救うと。失敗のない決断はないから、あとは縁というか、運というか神に祈るのみ、ですかね。

僕の個人的な見解になりますが(たぶん、ゼミ生からは怒られそうだけど)、迷うようなら、僕のゼミは避けた方がよいと思います。なぜなら、僕のゼミは他のゼミとの間で迷うはずがないからです(笑)。他のゼミと比較してくれたら必ず分かるはずですけど、違いすぎるのが僕のゼミ。嫌か好きか、どっちかしかあり得ない、だから悩まないんじゃないかな。

僕のゼミは、おそらくですが、これまでの法学部の常識からすれば、ゼミには該当しないと思います。僕自身は、こんなゼミで勉強したことはありません。担当の会なんて存在しないし、読んでくる判例も決まっていない。図書館に行ってもいいけど、その場で調べる方が大事。いきなりお題を出されて、必死に回答を出すためにリサーチして、考える。相手の出方を予想して、強みを活かして弱みを防御できるような理由付けを考えてプレゼンする。暗記や時間の浪費はゼロ。ゼミにあるのはセンス、リーガルリサーチ、チームワーク、そしてプレゼン。ただそれだけです。ああ、あとは飲み会とか合宿はありますけど(笑)。

医療と法という、最先端の法律問題が起こりやすい分野について、事実と法、そしてセンスを駆使して、クライアントの利益の最大化を追求してみるのが僕のゼミ。プレゼンにレジュメや台本は要りません。そんなの関係ない、というか時には「有害」だとさえ思います。原稿を読み上げているだけのヒトの話、聞きたいですか?準備するなら、ヒトの目を見て、自分の言葉で話せるくらいじゃなきゃ、ぜんぜん意味はないでしょう。現場では、準備時間なんてないですから、その場で、自分の言葉で切り返すしかないんです。レジュメやメモを用意する暇なんてないですよ。法律が言葉の学問だと言うことを、再認識して欲しいです。暗記やレジュメを作る能力の前に、もっと大事な能力というか資質がある、僕はそう思います。

僕のゼミは「華麗なるギャッツビー」のパーティに似ていると言いました。たとえば、初見の僕を用務員のおじさんと間違えた、とか飲み会で言っちゃうゼミ生とか、普通、ありえない、というかいないでしょ(笑)。でも、僕のゼミにはいるんです。感性が少しヒトと違うんだと思いますけど、それはそれでいい。それが個性なんじゃないかな。ちなみに、法律も同じだと思うんです。皆が正しいと言っても、何かしっくりこない、変だ、1人でそう思える感覚を大事にして欲しいです。そして、皆と議論してその感覚が変わるかどうか、ですよね。自分が意見を変えるのか、逆に、皆の意見を変えちゃうのか、必ずしも白黒ははっきりしないわけです。だって、答えは教科書に書いてないし、最高裁判決もないのですから。ちなみに、僕のことは、用務員のおじさんだと勘違いして欲しくないです(笑)。

10月8日のオープンゼミ、前回とは違って少しビジネスの観点を入れようかな、と思ってネタを探しています。なかなか見つからないんですけど、最後なので皆さんに少しでも楽しんで貰えるようにしたいです。

長くなりました。ゼミの選択で悩めるのもあと少し。迷える時間を大事にして、最後は自分を信じて応募してください。僕のゼミであれ、そうでなくても、悩んで出した皆さんの決断が後から正しかった、そう思えるようになることを心から祈っています。

2018年10月2日火曜日

オープンゼミ1回目(お礼)

昨日、オープンゼミの1回目が終わりました。

正確な数はわからないですけど、予想以上に多くの学生に来ていただき、ゼミを体験していただきました。お忙しい中、貴重な時間を割いていただき、心より深くお礼申し上げます。

チームごとの人数があまりに多くて、十分に議論しにくかったかもしれませんね。申し訳ございません。本当のゼミでは、あんなに多くの方々と一緒に議論することはありませんので、ご心配なく。より少人数のグループで、密な議論を短時間で仕上げ、プレゼンまで持っていくことになります。

法律問題は、スパッと1つの答えが見つかるなんてほとんどありません。今回は、公共政策というか、どちらかというと官僚や地方自治体の職員の立場から考えてみましたけど、複数の「解」から、事情に応じて1つの解が選ばれるだけで、そこに合理的な理由はほとんどない、と言うのが現実です。官僚と1度話せばわかります(笑)。どんな状況でも対応しうるように、複数の解を用意しておき、場面場面に応じてベストそうなカードを切り続ける、それだけです。今回は、法改正を必要とするのか、それとも法改正をしないで法解釈と実施基準の改訂で済ませるのか、という対立の構図をわざと作りましたが、実際にはどちらも採用されうると思います。もっとも、医療と法では、アクセスを高め、コストを低くし、しかもクオリティを高める法の使い方が望ましい、という大原則があります。どちらの解が、望ましいのでしょうね。難しい問題です。

ゼミで一番大事なのは、センス良く問題を処理し、解が複数になることを理解した上で、自分の与えられた立場から最善のものを選び、それが最善であることを皆に説得力のあるプレゼンで示せること。教科書の内容を覚えていても、成績がよくても、なかなかできない芸当をゼミでは学びます。そうでなきゃ、講義に加えてわざわざゼミを履修する意味なんてない、僕はそう思うのです。今まで見たことのない、法律問題を含む新しい事案に即座に対応できないなら、法学部卒の意味はない、そう思います。

3年生にとっては、多くの2年生を交えてグループディスカッションをこなし、プレゼンまで導く大変な作業だったと思います。席の配置、3年生がどこに座るか、どうやって2年生に意見を言って貰うのか、プレゼンでどこをアサインするのかなどなど、腕の見せ所は満載でしたけど、満足のいくリーダーシップを発揮できましたでしょうか?

青学の法学部にはいろいろなオープンゼミがありますから、是非、比べてみてください。
比べてみて、はじめて僕のゼミの良さも悪さも理解していただけると思います。

90分1本勝負を2年間必死に繰り返した先に、皆さんの夢が叶うような出口を用意できたらな、そう思っています。法律の知識もプレゼンも、所詮は道具。夢を叶えることの方が大事ですから。

来週は、別な問題を用意して皆様をお待ちしています。お時間の許す方で、関心のある方は是非、オープンゼミ2回目にお越しいただければ幸いです。


2018年9月29日土曜日

AIリベラルアーツ塾「Ai時代における契約、不法行為、製造物責任」(1)

雨の中、そして貴重な週末に、上記講義に参加してくれた学生には心よりお礼申し上げます。単位にもならず、お金にもならない講義なのに、皆、真面目にシンギュラリティに近づいた場合の契約について一緒に考え、議論してくれました。

最先端の内容を一緒に、一生懸命に学べる機会に、どこの大学かなんてあまり関係ないです。ただひたすらに、真摯に勉強してみようという学生と一緒に90分過ごせたのは、僕にとっても貴重でした。

来月、またお目に係れるのを楽しみにしています。
もちろん、今日お目に係れなかった人でも、新たに一緒に勉強できるのを楽しみにしています。

今日は、本当にお疲れ様でした。そして、時間を割いてくださり、本当にありがとうございました。

オープンゼミ1回目に寄せてー法学は暗記ではなく、実はカッコいい実学

オープンゼミまで、あと2日間ですね。台風の影響次第では、参加できない学生も出てくるかもしれません。お天気には勝てませんから、祈るばかりです。どうか、東京を含めて日本全土に大きな被害をもたらしませんように。

今学期の二週目が終わりました。あっという間でした。後期は、前期以上に講義の負担が大きく、ほとんど考える時間がないのですが、「法と経済」の改革にはほんの少し、手ごたえを感じています。まだ道半ばですけど、この調子で最後まで走れたら、今までにない講義になると思います。

今日の本題は、オープンゼミ。オープンゼミでは、2年生に普段のゼミに加わってもらいたいと考えています。近くから眺めるだけではなく、実際にゼミを味わってもらいたいからです。そのため、ゼミの公式ツイッターアカウントでは「途中の入退室禁止」と謳われていますね。禁止、というほど強いものではないですが、僕は、せっかく来てもらえるなら、観てるだけじゃつまらないし、観ているだけでは僕のゼミをきっと理解して貰えない、と思うのです。オープンゼミは、普段の様子を観て、感じてもらう機会ですが、どのゼミでも当然、ある程度の「お化粧」が施されます。だって、ゼミが2年生に評価される場になるわけですから、少しでも綺麗に、美しく、輝かしく見せたいでしょう(笑)。誰だって綺麗に見せたいはず。でも、僕は、ゼミの「素」を、「ありのままの姿」を、2年生に実感してもらうアプローチを採用してきました。できれば、最初から最後まで、実際にゼミに参加してみてください。何人いらっしゃるかわからないですけど、誰でも大歓迎です。2年生を交えて、現ゼミ生がうまく議論し、プレゼンまで導いてくれると信じています(期待し過ぎ、かもしれないけど)。

法学は暗記ではなく、実はカッコいい実学です。純粋な学問ではないかもしれないけど、だからこそ、社会で有用な役割を果たし続けることができる学問です。今回のオープンゼミでは、ニュースで扱われた最新の事例を使って、さらにその先まで考え、解決策を提案してもらいたいと考えています。ニュースでは、事例は紹介されても、法的根拠が明示されることはほとんどなく、「今」が語られます。僕らは、その法的根拠を探し、さらに優れた方法を模索し、別な法的な道具の利用可能性も見出します。行政法、民法、刑法、そして当然ながら、憲法の知識も駆使します。答えはない、というか1つではないです。よりより答えをチームで競います。そして、いずれ、僕らが捜した答えのいくつかが、現実に社会で採用され、使われ、社会を変容させていくことになります。そんな、未来志向の法律問題、皆さんは扱ったことがありますか?講義では、ほとんど扱わないでしょう。僕のゼミでは、普段から、未来志向の法律問題を扱います。法解釈、新しい立法や委任立法、ガイドラインなどの道具を駆使して、未来を創り出す法学の勉強をしているのです。

僕のゼミでは、何度も何度も書いていますが、アウトプットを大事にしています。どんなによいアイディアを見つけても、ヒトに伝わらなければ、説得力がなければ無意味です。皆で議論した内容を、分かりやすく2分でプレゼンしてもらいます。どんなにアイディアが大きくても、複雑でも、長々としていても、2分にまとめられないなら意味はない、そう思います。

一度でもゼミに出たら、きっと、法学部って面白い、法学を学べる、使えるってカッコいい、そう思えるはずです。リーガル・エンターテインメントという表現は、かなり強い表現ですけど(笑)、合う人にはきっと理解して貰えると思います。暗記じゃなく、クリエイティブな考えや議論から、新しい未来を生み出せるゼミに、是非一度、足を運んでみてください。皆さんとお目にかかれるのをゼミの関係者一同、心から楽しみにしています。




(Photos taken in Sep., 2018, at Jindai Botanical Park, Chofu, Tokyo, JAPAN) 






2018年9月24日月曜日

オープンゼミは、学生に選んで貰うための場ー選考するのではなく、学生に選ばれるゼミに

昨夕、青山学院大学同窓祭 スペシャル チャリティー ステージ「朗読劇クリスマスキャロル」を観劇しました。僕は、はじめて同窓祭に参加し、青学を愛してくれている方々の多さに驚きました。そして、朗読劇は感動に溢れていたように思います。「お金」だけで計れない「幸せ」や「幸福」、どこかにあるのかもな、と改めて思いました。僕の
講義やゼミでも、少しでも感動を与えられたらいいな、と心から思った次第です。何より、講義に来たい、ゼミに来たい、そう思って貰えるようになりたいです。

オープンゼミが開かれますね。来週(10月1日)と再来週(10月8日)の月曜日です。もし来てくれた学生には、僕のゼミを実際に体験して欲しいと思います。いわば、90分勝負の「リーガル・エンターテイメント」(笑)。

個別ガイダンスから、オープンゼミに実際に足を運んでくれる学生は、凄く減ると思います。僕は、「数」ではぜったい勝負できません。実定法の学者でもないし(笑)、歴史の浅い弱小ゼミなのだから。僕が勝負できるとすれば、「満足感」とか、「質」かな。皆で考え、皆で議論し、皆でプレゼンする。90分がいかにあっという間か、改めて知るでしょう。答えのない法律問題を考える楽しさ、今まで習った内容を駆使して、既存の意見よりも望ましい、優れた意見を競わせる楽しさを実感して欲しいのです。

僕は、ゼミの選考って、「僕が誰かを選ぶ」というより、僕のゼミを含めて「適切なゼミを2年生に選んで貰うためのプロセス」、そう割り切っています。僕のゼミは、やっぱり特殊。凄く特殊です。リスクを取れない学生には、たぶん、楽しさは分からない。どんなリスクなのか、どんな仲間がいるのか、僕がどんな話をするのか、全部含めて選んで貰いたい、そう思っています。

ゼミの選考は就活に似ている、そう書きました。そして、就活は「お見合い」とも称されます。お見合いということは、どちらかが別のヒトを選ぶのではなく、どちらも選び選ばれる関係、ということです。そこでは、やっぱり謙虚さが大事なんじゃないかな。僕は、というか僕のゼミは、積極的に選べるゼミじゃない。医療という特殊な領域だし(笑)、やり方も他のゼミと違うし、何より、僕は研究者っぽくないので。

オープンゼミでは、僕のゼミ生(3年生)と、一緒に存分に楽しんで帰って欲しいです。楽しめるように、僕は最善を尽くします。ゼミ生が、僕のゼミを体現していると思いますから、その人たちの近くで、同じ内容にチャレンジしてみてください!きっとゼミ生も、
皆さんと必死に、楽しく考えてプレゼンしてくれると思います。オープンゼミを通じて、皆さんの中に満足感や感動を少しでも生み出せたら、最後の最後に選ばれなくても、僕はいいな。それは結局、「縁」がないということなので。

あと1週間。僕は、僕なりにどんなネタで皆さんと楽しめるか、一生懸命考えてみます。
僕の勝負は、「質」。ひとりひとりの参加者のために、全力で臨みます。どうぞ宜しくお願いします。

2018年9月23日日曜日

2018年度後期の講義のテーマー事例から考える力

夏休みが終わり、後期の授業がはじまってしまいましたね。。。はじまってしまった、という感じです。もう少し休んでいたかったな、と思いますけど、仕事ですからね。頑張りましょう。

僕の今学期のテーマは、「事例から考える力」です。法学部にいると、条文から入る癖がつきますが、それはよい面と悪い面があります(いや、条文を読まない学生が大半かもね(笑))。根拠法令を探し、その条文自体を確認するのは大事ですし、極めて重要です。でも、当てはめて答えを得たら終わり、そう考えがちになりませんか?本当は結論としておかしくても、「だって法令に従うと仕方ない、これしかない」っていう回答をよく聞きます。結果が「変」なら、やはりどこかが間違っているのかもしれない。そういう感覚を大事にして欲しいのです。そのような鋭敏な感覚を養うには、条文だけでなく事例(ケース)を大事にするのがよいと思います。生の事案には、ヒトの人生や生命が関わってきます。まあ、仕方ないとか言ってられない世界がそこにはあります。どちらかの代理人ないし当事者の気持ちになって、ケースを読み直して考えてみましょう。

アメリカのロースクールで教えられたことの中で、今でも鮮明に覚えていることの1つは、ケースを読んだら、「Reasonable or not」と「fair or not」を常に意識せよ、ということです。日本で判例を読むときには、基本的にただ「覚える」だけですよね。特に、最高裁判決ならばなおさらそうです。でも、地裁判決でも批判的に分析せよ、とその教授は言うわけです。本当にこのケースの判旨は合理的なのか、合理的だとして判旨をこのケースに適用して果たしてフェアなのかどうか。このように批判的に分析して、もし結論が変だと思うなら、判旨を徹底的に叩く理由付けを考えられなければ、学生はロースクールを出ても意味はない。そこまで言われた記憶があります。クライアントのために法を駆使するのが弁護士なのだから、ケースを読み、分析し、過去の先例に照らして判旨が合理的なのか、判旨を本件に適用してフェアなのか、事実の特殊性を考慮してもこの結論に本当になるのかどうか、今一度考えよ、という教授の言葉は、今でも胸に焼き付いています

事例から考える力、皆さんにもほんの少しでも身につけて貰えたらな。
世界が違って見えるはずです。法の世界だけじゃなく、周りの世界すべてが。


演習選びは就活に似ている?ー演習個別ガイダンスを終えて

昨日は、あいにくの天候の中、演習個別ガイダンスにお越しいただき、本当にありがとうございました。ここで数を挙げることはしませんけど、本当にたくさんの2年生が会場に来てくれました。心よりお礼申し上げます。ガイダンスを企画運営してくれたゼミ生有志にも、厚くお礼申し上げます。

演習選びは、正直、相当難しいですね。そもそも、必ず採用されるかどうか、そこから考えたら、選ぶというより安全策に流されてしまう。僕は、演習選びって「就活」に似ている気がします。僕は、図らずも人生で2回、皆さんが経験するであろう就活をしています。学部生の頃と、博士課程の学生の頃です。だから、申し込んでも選ばれない経験をたくさんして、今に至っています(笑)。演習は人生を決めるほど大きな決断ではないですけど、選び方は就活に似ているように思います。

まず、入りたいゼミを探さないといけませんね。個別ガイダンス、知り合いの先輩や同期、先生などから情報を収集して、どこが良さそうか、考えてみてください。そこでは、楽かどうかも大事でしょうけど(笑)、自分がゼミにフィットするのか、ゼミから何かを得たり、ゼミに何かの部分で貢献できるのか、そういう視点が必要です。

(現時点でフィットしていなくても、貢献できるものがなくても、これから数週間で自分が変われるなら、ぜんぜん構わないと思います。フィットしていなくて、得るものが少なくて貢献できる点もないなら、やはり、別なゼミを選んだ方がよいと思います。)

次に、もっと具体的に、直接的に情報を得るというか、ゼミを体験する機会を得た方がいいですね。よさそうというのは、あくまで表面的に得られた情報に基づいた感覚、でしかないので、それを確信に変えないといけません。オープンゼミが一番よいプロセスですが、それ以外にも、個別ガイダンスで知り合った先輩と話してみる、SNSで相談するとか、さまざまなアプローチがあり得ます。就活でいえば、OBOG訪問とか、インターンを通じてリクルーター選考に載せてもらう、というのと同じ。

(ちなみに、このタイミングだけでなくすべてのプロセスで重要なのは、自分が相手を知るだけではなく、相手に自分の良さ、本気さを伝えるということです。どうしてもこのゼミじゃないとダメな理由、ゼミに入ったら何を実現するのか、そういう点を相手方に伝えることも大事です。相互のコミュニケーションで、採用したい、採用されたいというのが
お互いに伝わると、採用されやすくなると思います。)

やれることをやったうえで、最後は申し込みをどこにするか、です。最後の最後で浮気するもあり。逆に、玉砕覚悟で第一志望に挑むもよし。そのあとは、面接が待っています。

たくさん書きましたけど、就活の練習のつもりで頑張ってみてはどうか、というのが僕の助言です。スタートは、相手が採用したいのはどんなヒトか、そして自分がそれに適っているのか、そこです。採用したいヒトってどんなヒトだろう。2年生のすぐ近くにいますよね。

出会いはすべてが縁で、一期一会。
僕も、先入観なしに選考に臨みたいと思います。

どうか最高のゼミに入られますように。

2018年9月22日土曜日

演習個別ガイダンスに寄せてーフィットする、自分が輝けるゼミに出会えますように

今日は、演習個別ガイダンスですね。あいにくの天気ですが、もしよかったら、僕のゼミのブースにも是非、足を運んでください。ほんの数分でも、ゼミの雰囲気を直に感じてもらえたら嬉しいです。前半はゼミ生だけ、後半はゼミ生と僕で担当いたします。楽しめるように、ゼミの一同、最大限努力いたします。

演習は、履修してもしなくてもよいのですが、僕は履修した方がよいと思っています。学部生の頃、演習をいくつか履修しましたけど、その時の知識や経験は今でも役立っているからです。1年生の頃は、民法ゼミと国際法のゼミに入りました。前者では、労災やセクハラ事件を中心に、校舎ではコソボ空爆を巡る国際司法裁判所の管轄などを扱ったように記憶しています。もう二十年近く前のことなのに、鮮明に覚えているんです(笑)。

個別ガイダンスでは、オープンゼミや授業では感じられないゼミの雰囲気を感じてもらい、自分がこのゼミにフィットするのかどうか、自分がゼミに貢献したり、逆に自分がゼミのおかげで輝けるのかを確認するための時間を提供します。僕のゼミに応募を集めたいとかではなく、多くの学生にゼミのことを十分に知ってもらい、あくまでもしよかったら応募してもらいたい、そう思っています。「楽」だからとか、「コンパが楽しそう」とか、そういう理由で応募するのもありですが、僕のゼミの本質はそこにはないです(笑)。2年間で90分×15回×2(前後期)のゼミを通じ、優秀なヒトはさらに優秀に、そうでないヒトも「法」を駆使して生きていけるように、魅力的なプレゼンをできるようにします。究極的には、将来、自分が活躍したい世界で活躍してもらいたいと考えています。

医療と法は、最先端な領域の1つなので、さまざまな法律問題を扱うことができます。憲法、民法、刑法、そして各種行政法、製品やサービスに関連して知財法などを扱います。ぜんぶ嫌いなヒトは仕方ないですけど、どれか1つくらいは得意ですよね(笑)。

また、医療と法は、法律が嫌いなヒトにもおすすめです。医療と法のゼミにおいては、新しい立法をするかどうか、という論点が必ず含まれます。要するに、「政治」の話もするってことです。法解釈で片付かないなら、立法に頼らざるを得ないので、どのような立法をするのが望ましいかとか、どんな立法なら国民の支持を受けやすいのか、というようなアプローチもします。法律も政治もどちらも嫌い、というヒトは法学部では稀なので、きっと楽しめると思います。

最後に、これが僕のゼミの真髄ですけど、僕のゼミでは結果を重視します。たくさん議論したり、長々と調べて長いレジュメを用意するのではなく、その場で調べた内容をまとめて、短いメモを作成し、プレゼンの形で具体化してもらう訓練をします。他のゼミと決定的に違うのはここです。否応にも、皆と話しますし、皆の前で発言することになります。卒業するころには、1分間のピッチやプレゼンなんて、ぜんぜん怖くなくなります。むしろ、楽しくなるはずです。

いろいろと書いてしまいましたが、僕のゼミを一言で表現するなら、それは「華麗なるギャッツビー」のパーティのシーンに近いかな。ゼミ生は個性あふれる学生ばかりで、パーティで一緒に楽しんでいる。目的や楽しみ方はゼミ生次第。でも、そのパーティはどこにもない自由なパーティで、どんなパーティより楽しい。皆さんにも、そのパーティに参加して貰えたら嬉しいです(こんな説明より、ゼミの広報担当が作ったムービーの方が、きっとよりよく僕のゼミを表現していると思いますけど)。

長々と書いてしまいましたが、演習個別ガイダンスを是非楽しんでください。

2018年9月17日月曜日

離婚弁護士ークライアントのためにって難しいし、面倒?

 講義やゼミがはじまるので、少しでも現場感覚を取り戻したくて、フジテレビ系のドラマ「離婚弁護士」を観ていました。海外の法廷ドラマもいいですけど、日本だと離婚弁護士は群を抜いてよいと思います。僕は、ビジネスに関係する法令を扱うことが多いですけど、ヒトの人生や思いが詰まっている法律問題にどう寄り添って、クライアントの意向を叶えるのか、というのはなかなか難しいですね。切ったり貼ったり、というか大立ち回りだけでは済まない世界なので。地味な仕事をたくさん積み上げて、はじめてクライアントに納得してもらえる。それを上手く描いているドラマです。
 渉外弁護士から一夜にして普通の弁護士に変わる主人公が、クライアントに寄り添っていく姿は、本当に見ものです。ああいう弁護士に会ったことありますか?僕は、あります。現場は生生しく、交渉も簡単じゃなくて、はったりや、半分嘘が混じっています。そんな現場で結果を出し続けないと生きていけないのが弁護士。法学部の講義では学ばない、というか学べない世界がそこにはある。
 もう少しいうと、別に弁護士じゃなくても、クライアントがいる仕事は大変です。客観的に誰がどうみても「A」なのに、「A'」 or 「B」で処理して欲しいっていうクライアントが居る。さてどうしよう。クライアントの意向は、ある意味で絶対。非常に強いです。意向を変えてもらった方が中長期的にはベスト、でも、それを強いれば次の仕事はない。さあ、どうします?敵や競争相手がいる場合には、より面倒です。
 ヒトがヒトを評価し、ヒトがヒトと交渉し、ヒトがヒトを裁く。そこには、白黒簡単につかない案件がごろごろしているんです(笑)。絶対に譲れないものを取り、他は全部捨てて訴訟を回避するという戦略がドラマには出てきますけど、講義ではああいう話、ぜったいに聞けないですよね(笑)。勝つか負けるか、それしかないですからね。
 「Suits」とか、「Good Wife」も凄くよいリーガルドラマですけど、離婚弁護士も是非ご覧あれ。フジテレビが好きか、嫌いかに関係なく、きっと楽しめると思います!


2018年9月14日金曜日

宴のあとー2018年度の合宿

2018年の合宿は、2泊3日の日程で静岡県伊東市にて行われました。企画運営してくださった学生、一緒に参加してくれた学生に心からお礼申し上げます。歴史の浅いゼミで、まだ3回しか合宿していませんが(笑)、たぶん、一番楽しい合宿になったように思います。皆さんのおかげです。

「宴のあと」に残ったモノは何でしょう?何かは必ず、皆さんにも残っていると思います。残ったモノを使って、後期に臨めたら嬉しいです。

合宿は、いろいろな意味でゼミを変えると思います。2泊3日も一緒に居れば、いろいろなことが起こりますし、何より、準備から実施に至るまでにさまざまなことに対処しなければならないからです。企画運営側の学生はもちろん、参加してくれる学生にとっても、貴重な経験になると思います。合宿を通じて仲良くなれたら、それだけでも十分ですけどね(笑)。

合宿の講義パートは、例年、医療を少し離れてより現場の問題を扱っています。疲れて起きられない学生はいましたけど、それは仕方ない(笑)。大事なのは、法学部で学んだ知識をどうやって将来活かせるのか、ということを理解し、後期からの講義に臨めるようになることだと思います。後期からが本番です。後期が終わるころには、就活モード一色になりますから。

プレゼンは、学生間で評価し合う、というはじめての試みをしました。誰かに批評されるのは辛いし、恥ずかしいかもしれませんが、比較されたり、批評されて、自分のプレゼンをより客観的に見直せたらいいですね。プレゼンテーションでは、伝えたいメッセージの中身と、その伝えたい気持ちの強さを表現できたら、さらに良くなるように思います。形式の話はそろそろ終わりにして、後期では中身やパッションをどう表現していくのか、という話に移れたらな。淡々と話すだけでは、なかなか本質は伝わらないし、説得力も出てきませんよ!

最後に、広報担当の学生からは、ある「作品」のお披露目がされました。時間と労力をかけて作られた作品を拝見して、感動してしまいました。1つの作品は作って終わりではなく、ここからはじまりなんだよな、としみじみと思います。満足感と反省、作品が手を離れたことによるむなしさとかは、やってみた人にしかわからないものです。講義や食事、さまざまなレク、そして懇親会に加えて、貴重な作品のお披露目の場に出席でき、作品をゼミ生と共有できて、本当に特別なゼミ合宿になりました。ありがとうございました。

僕のゼミではあくまで学生が主役で、僕は黒子でいいと思っています。ゼミの中で僕が最も黒子になれるのが合宿です。今回の合宿では、学生が徹頭徹尾主役の時間を過ごせました。僕もこの特別な「宴」のあと、一生懸命講義やゼミに臨めそうです。

僕は、このゼミを大きくしたいとか、ゼミの人気を上げたいという気持ちはあまりないのですが、ゼミに応募して在籍することになった学生が満足でき、卒業の時にこのゼミでよかったと心から思えるようなゼミにする努力は続けたいな、って思います。フェイスブックやマイクロソフト、アップルなどの会社がそうであるように、最初から大きくて成功している会社はありません。苦労して、厳しい時を乗り越えて今に至っています。さらに言えば、一度、大きくなって成功しても、その後、業績が悪化して苦しむ会社も多くあります。ゼミだって同じです。僕は人気で他のゼミと勝負はできませんが、せめて満足感や後悔のなさだけでは、どのゼミにも負けないように、日々進化や深化を続けられるゼミに
していきたい、そういう思いを新たにできた合宿でした。

参加してくれた学生の皆さん、本当にありがとうございました。Special thanks to the organizing students!




(Photos taken in Sep. 2018 in Izu, Shizuoka, JAPAN)







2018年9月5日水曜日

9/22に実施される予定の演習個別ガイダンスにつきまして(アナウンス)about my delay

2年生の皆様にご連絡です。

2018年9月22日に、演習個別ガイダンスが予定されています。僕のゼミは、13時から17時まで、1134教室で開催されます。もし、少しでも関心がある学生の方々には、ぜひ、少しでも顔を出していただけたら幸いです。気軽に、ふらっと来て欲しいです。他のゼミではときどき、時間を事前に設定して、説明回数を4回などにしている場合があります。しかしながら、僕のゼミではいつでも"welcome"ですよ(笑)。

本来であれば、僕+学生ですべての時間、説明や質疑応答にあたるべきところですが、僕が当日、シンギュラリティ研究所「AIリベラルアーツ塾」開講記念オープニングイベントのパネルディスカッションに出席するため、15時まではガイダンスに出席できません。本当に申し訳ございません。お許しください。

現ゼミ生と相談しますが、15時までは学生主体でガイダンスを行ってもらい、15時以降には僕が出席した上で進めさせていただきたい、と考えております。学生だけの方が話しやすい面があると思います。他方、せっかくガイダンスに出てくれた学生のことは、選考の際に考慮したいので、名前を残しておいて貰うか、17時までに一度顔を出して貰えたら嬉しいです。

就活と少し似ていますが、ミスマッチを可能な限り避けるため、お互いを知った上で、ゼミの中身を知って貰った上で、応募するかしないかを決めていただけたら、と思っております。

いろいろとご迷惑とご不便をおかけいたしますが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

2018年9月2日日曜日

夏休みを終えて残ったモノは何かある?

「日はまた昇る」でも書いたとおり、夏休みを終えたらいきなり何かが変わるわけじゃないですね。でも、何も残っていないとしたら凄く悲しいです。今からでも遅くはないので、良い思い出でも、悪い思い出でも、何でもいいから作りましょう。

僕は少しの時間を使って、車でいろいろな場所を巡ったり、大阪で講演したり、講演内容を核にして執筆したりという夏休みでした。あまり休んでいませんが、それでも学期中よりはリラックスしています。夏休みに得たモノは、自分らしさや自分が大事だと思う価値を大事にしたいと言うこと。他の人と同じことをして、同じように稼ぎたくないなぁ、と改めて思いました。これが学者の生きる道、そんな大それたものは僕にはわからないけど、最低限、学生には伝えておきたい、覚えておいて欲しいことを全力で教えて、あとはサヨナラ。それでいいんじゃないかと思います。学生にしてみれば、少しドライに感じるかもしれないけど、ドライだからこそ講義やゼミの時間に全力で打ち込める。「なあなあ」の関係ではないからこそ提供できる講義やゼミにしたいです。

天気や綺麗な景色が移ろいゆくように、流れている時間は無限ではないです。インターン、とりわけワンデイのインターンに行けば、時間が有限で取り返せないことには容易に気付くはず。やり直しが効かないことも痛感するはずです。僕の講義やゼミも、二度と受けられないものにしたい。単位を取りたいだけなら、他に行くか、ぎりぎりの勉強をして上手くとればいい。でも、それは僕の期待する講義やゼミではないです。

成功でも失敗でも、何もないよりはマシです。成功なら、成功体験を使ってさらに頑張れる。失敗なら、失敗を分析して反省し、改善に使うことができる、でしょ。お酒で飲みつぶれても、最終電車に乗り遅れても、旅行でバスを逃しても、ぜんぶ貴重な経験であり、思い出。どんな小さな思い出でも、貴重な経験に変えられます。是非、何かしら得てください。

ゼミではもうすぐ合宿ですね。
皆は存分に楽しめますように。僕は、ゼミの中で唯一、医療に関係ない話題を扱うかもしれない機会なので、面白い話ができるように準備します。あくまで、刺身のツマというか、合宿ではメインにはならない前菜でしかないけど、法律がいかに面白くて、社会に出てからも使える道具なのか、分かって貰えたらと心から思っています。



(A photo taken in Aug. 2018, in Tokyo)





2018年8月25日土曜日

日はまた昇る?

ヘミングウェイの作品ではないですが、何事も上手くいかないときはやはりあります。努力して何かを変えようとしても変わらないし、そもそも変えられない。そんなことや、そんなときもあります。それでも、日はまた昇る。また昇るからどうだっていいというわけじゃないですけど、時間は偉大な「お薬」です。多くのことは、時間が過ぎされることで影響が小さくなります(短期的には、放置しておくと影響が大きくなる問題はありますけどね)。

「時間をぎりぎりまで使え。そして、納得できてからそっと行動に移せ」、というのは僕が上司から貰った数少ない教えの1つです。難しい案件であればあるほど、焦って処理したくなるものです。そういうときこそ、自分がボールを持っている時間、ないし、持っていられる時間をできる限り長くして冷静に考えてみましょう。ボールが相手にある間は、そんなに余裕はないです。何が起こるか分からないですし、相手が何かをしてくるかもしれませんし。上司は偉いから、というのもありますが、通常、難しい案件は皆が手を出して、影響を最小にしようと努力します。努力の結果、事態が悪化することが多いです(笑)。そういうときには、今何が起きているのかを見極めて、相手の行動を把握してから自分の行動を始めた方がよい、というわけです。「やみくも」に動いてよいことはない、という経験からの教えですね。もちろん、損害が拡大しないように試みるのは当然ですが、処理の「一手」は、「タイミング」がモノを言いますからね。

失敗しても死ぬわけではない、というのも教わりました。日はまた昇るってことです。たいていのことは、どうでもよいことだと。真摯にお詫びしたり、代わりを探せば済む。そう思えないと、仕事はできないのだ、と教わりました。若いうちにたくさん失敗して、年を取ったら逆に若手の責任を取ってやるのだと。

何事も上手くいかないときこそ、チャンスかもしれないですよ。自分を変えられる。もちろん、簡単には変わりませんけどね。日はまた昇る。


(A photo taken in Aug. 2018, around Ikebukuro, Toshima-ku, Tokyo, JAPAN)


2018年8月13日月曜日

選択と集中のない世界に未来はないんじゃない?

学生のうちはなかなか気付きませんが、世の中のありとあらゆる「資源」(resources)は有限です。お金、時間、身体(体力)、人脈など、すべて限度があります。有限の世界では、選択と集中をせざるを得ない、ということです。

ゼミで言えば、すべてを兼ね備えるゼミを作り上げることはおよそ不可能です。ゼミを可能な限り楽に、楽しくすれば、その分だけ何かの重要な要素は必ず欠けます。たとえば、締め切りまでに必死に調べ物をして、グループのメンバーと何かを作り上げるような有意義な活動はできなくなります。逆に、厳しく、最先端の法律問題を延々議論するゼミにしたらどうでしょう。楽しい面もあるでしょうが、疲れるし、楽じゃないでしょう(笑)。きっと休みたくなります。最悪、勉強が嫌いになります。

僕のゼミは、ぜんぜん完璧じゃないです。ある意味で、法的なセンスを磨き上げて、それをメモやプレゼンの形で実務において使えるようになるためのゼミなのだ、と割り切っているから、何とか成立しています。前にも書きましたが、明らかに「ハイリスク・ハイリターン商品」です(笑)。リスク警告も、合理的な範囲で事前にしています。

僕自身が、普通の綺麗な経歴ではないし(笑)、どちらかというとかなり実務よりの研究者であることから、他のゼミとはかなり異質のはず。それは、僕の講義で十二分に明らかでしょう。

何でもできるのはよいことですが、それは正直、何も極めていないのと同じです。何でもできると思うなら、その中でどの能力をを特に伸ばすのか、逆にどこが相対的に弱くて、弱い部分をどうやって補うのか、そういう思考が必要だと思います。

ゼミも授業も、そして僕自身も、半期として同じものはありません。常にレビューにより、改善すべく変更が加えられています。そして、反省点の中からより集中的に改善すべき点に投資を行うわけです。失敗するかもしれませんが、それは不完全な「人」だから仕方ない。大事なのは、合理的な注意をしながら継続的な改革を続けることでしょう。

皆さんにも、前期で満足して欲しくはないです。まだまだ伸びるはずです。そのとき、忘れて欲しくないのは全部の面で素晴らしい人間にはなれないってこと。「選択と集中」がどうしても要ります。頑張りましょう。



(A photo taken at the Tokyo Midtown Hibiya, in Aug. 2018, in Chiyoda-ku, Tokyo, JAPAN)

2018年8月7日火曜日

文章で人物評価される?

「ペンは剣よりも強い」ってよく言われますけど、そこまで言わなくても、世の中に出たら「文章」ってとても大事です。どんなに良い文章も、嘘っぽく見えたり、きれい事を言ってるだけだと、それだけで信頼を失います。

一度も出会ったことのないヒトに、会って欲しい、お願いしたいって言う場面を想像してみましょう。ネット上に関連情報がなければ、会うか会わないかを判断する材料は、文章の内容と書き方、それだけです。どうしたら会って貰えるかとか、考えたことありますか?ナンパのように、数打てばいつかは当たるっていう世界ではないです(当たらないかもだけど(笑))。数を打てない場面はあります。どうしてもこの人に会ってお願いしなければならないとき、電話、メール、手紙、出待ち、仲介者に頼むなどなど、幾つかの手段がありますけど、どうしますか。電話、メール、手紙が一番使いやすいです。問題は、それらの手段をどう効果的に使うか、です。

今日はずっとレポートを読んでいましたが、やはり、相当の差が出てきています。自分にしか書けない文章を書いているヒトと、そうでないヒトがいるからです。ゼミでは、1回ごと、レポートのテーマになるくらい重たい問題を扱っています。そのまままとめるだけで、普通のレポートにはなります。問題は、どうやって何を書くかでしょう。ゼミでは、あくまで僕の想定した流れで議論が進められ、ほぼ想定どおりの回答が並びますよね。細かい点は違っても、大枠ではそれほど差が出ない。レポートでも同じことをするのか、それとも同じ内容でも違うテイストを組み込んでいくか。後者の方が評価は当然高くなる。

人は誰でも、一生懸命に用意された文章に心を打たれやすいです。本気で頑張ったかどうか、それは試験でもレポートでも、見れば分かりますから(笑)。とくに、すでにゼミで扱ったトピックの場合、よく分かります。差が出やすいです。一生懸命に書かれたレポートには、コメントを入れたくなりますよね。

プレゼンと簡易メモは連動しているってよく話しますけど、ゼミで扱った内容でレポートを書いてみると、その意味が分かるはずです。レポートになるくらいの内容を、2分のプレゼンで話し尽くすのは骨が折れます。どうやってやるのかといえば、簡易メモにまとめるときのように、大胆に、結論から思いっきり短くまとめるんですよ。本当に重要な本質だけ取り出して、わかりやすく話さないと、2分には収まらないからです。

ゼミでは、皆、同じことに取り組んではいますが、やり方次第で、おそらく相当の差が出てきます。よりよく課題に取り組んだ方がよいです。もちろん、自分なりにです。

文章って、皆さんが思っているより大事です。是非、少しでも上手く書けるように、自分なりの文章を書けるように努力してください。







2018年8月6日月曜日

破られない約束はない?

約束は破られる。もちろん、破りたくて結ぶ約束はないですけど、必要に応じてやむを得ない事情で破られる約束はたくさんあります。民法、契約法ではなかなか教わらないお話ですね。

民法や契約法を教えている先生方の中で、契約を破られる経験をしたことがある人は限られているでしょう。僕は、実は破られたことがあります。結構、ショックです(笑)。破られるかもな、と思って常にビジネスをしていても、やはり嫌なものです。

ビジネスじゃなくて生活の中でも、約束は日常茶飯事で破られます。嘘もつかれる。倫理的にはさておき、本音と建て前の世界では当然、なのかもしれません。

約束が破られるなら、事前に破られた場合を想定して、プランBやCを用意しておけばいいですが、言うは易し。そんなに簡単じゃないんです。破られない約束もありますから、毎回用意していたら、無駄ばかりになる。保険をたくさんかけすぎて、保険料の支払いのせいでお金がなかなか貯まらない、っていうのと同じ世界になります。また、用意すべき「プランB」や「プランC」は、無数にあります。無数の中から、場面に応じて最適な代替案を選べますかね。法学部にいると、現場感覚なしに代替案を用意すればいいんだ、って覚えて終わりになりがち。それでは、現場では使い物にならないです。

(たとえば、半沢直樹で「やられたらやり返す。百倍返しだ」ってありますけど、何をどうやって百倍返しにすれば、組織を守りながら、中長期的に見て自分にとって最高の結果を得られるのか、そういう思考が大事です。やり返して百倍返ししても、一度左遷されたら金融機関では終わりですよね。外に出れば別かもですが。)

倫理的に言えば、約束は守るべきです。走れメロスのように。
ただ、法的に言えば、破られない約束はない。

そう思って生活できたら、世界はぜんぜん違うモノに見えてきます。
破られない約束はない。だからこそ、守られる約束には価値があるのだと。


(A photo taken in Aug. 2018, at Senjōjiki Cirque, Komagane, Nagano, JAPAN)




2018年8月5日日曜日

2018年度のオープンキャンパス

2回分の模擬授業を終えました。

全力は尽くしましたけど、評価は神のみぞ知るって感じですかね。
いつものテイストで40分間、話し続けました。お題は内緒。この場
限りの話として、来ていただいた方々にだけ話しました。他では、
このネタは使わないと思います。

ご来場の方々には貴重な40分をいただき、本当にどうもありがとうございました。
心より厚くお礼申し上げます。

青学の法学部を、志望校の選択肢の1つに加えていただけたら幸いです。


2018年8月1日水曜日

本質のない答案ー暗記はその場でしか使えないんじゃないの?

2018年度前期の採点をすべて終えました。900枚くらいの答案を読んで感じるのは、大半の答案が試験対策プリントを暗記して書きだしているだけだ、ということです。悲しい気分です。もちろん、試験にパスするにはある程度の暗記は必須なので、仕方ないのですけど、他のヒトが作ったであろう「シケプリ(試験対策プリント)」を、その質の評価をまったくしないでそのまま暗記し、丸ごと書きだすことの虚しさに、早く気付いてほしいです。少なくとも、読んでいる方は悲しくなります。ああ、僕は講義でそんなこと言ってないし、教科書にそんなことホントに書いてたかって(笑)。

試験にはいろんな形式がありますけど、僕は、考えて書いてもらう問題と、覚えてきたものを書いてもらう問題の両方を用意しています。出席してないヒトは、考えてもらう問題には歯が立たないからです。

別に暗記してはいけないとか、そんなことを言うわけではないです。僕が伝えたいのは、本質を理解しないで、出題範囲を特定して、その部分に合わせて解答(案)を事前に作成し、それを書いているだけの答案が多いなっていうこと。会社法が一番、その傾向が強いですね(笑)。

暗記だけで試験対応していると、たぶん、就活などの答えを事前に知ることができない場面では、まったく役に立たないでしょう。本当に大事なのは、本質を見極めて、本質を理解した上で、自分なりの答案を書いてゆけるかどうか。本質は、言い換えれば、出題意図と言ってもいいです。なんで、こんな問題をわざわざ出すのかな、何を一番聞きたいのかな、そう思って出題範囲を聞いてほしいですし、勉強してほしいと思います。出題範囲には、必ず出題意図があるものです。

ちなみに、答案の書き方は意外と大事ですよ。
一応、論点にすべて触れていても、順序や流れで印象がだいぶ変わりますから。

後期も頑張ってください。


( A photo taken in July 2018, at the State Guest House, Akasaka Palace, Minato-ku, Tokyo, JAPAN)




2018年7月28日土曜日

2018年度の前期を終えて

ようやく、前期の講義とゼミを終えました。短いようで、とてもとても長かったです。

疲れたな、そう感じています。年を取ったからでしょうか、勉強しない一部の学生に対する寛容さが薄れ始めているのも感じます。出席したい人だけに出席して貰い、出題範囲をかなり明確にした定期試験で不可をたくさん付けるのも、だんだん苦痛になってきました(正直、出題範囲を示しても落ちる学生がいる世界を、想像していませんでした)。

僕らは教えて、研究して大学(ないし国)からお金を貰う生業をしています。たくさんの学生が単位を取得できない事態は、ぜんぜん好ましくありません。後期からは、コメントペーパーなどを使って、より落ちにくい講義を目指すつもりでいます。

終わりは始まりだと、よく言いますね。何かの終わりをしっかり評価して、良くても悪くても、次の機会にその評価に基づいて改善をしていく。そういう作業でしか、何も良くならないと思っています。授業もゼミも同じです。やりっぱなし、受けっぱなしはよくありませんから。

ゼミは、早いですけどもう「佳境」ですね。4年生は論文を書いて終わりですし、3年生も、あと半期で就活に突入ですからね。

夢を叶えられるように、頑張ってくださいね。
僕も、反省を糧に努力して後期に臨みます。

2018年7月24日火曜日

基本は基本でしかないけど、基本をマスターしないと、それ以上はないんじゃない?

昨日で前期のゼミが終わりました。早いようで長かったな、というのが正直な感想です。3年生については、皆、それぞれ、法的な思考力とプレゼン力がどちらも、少しずつ着実に伸びていると思います。4年生については、ノー・コメントですね(笑)。就活が忙しくて、あまり来られない方々ばかりですからね。仕方ないですけど。。。

オーデマピゲ(Audemars Piguet)というスイスの高級時計ブランドには、

"To break the rules, you must first master them"

というキャッチコピーがあります。ルールを破りたければ、まずはそれを習得(支配)しなければならない。単純に訳せばそういうことですけど、プレゼンにも言えます。司法試験の答案とかにも言えるかも。

プレゼンにも答案にもやはり基本の型があります。別に、型どおりにやらなくても書かなくても、評価される可能性はあります。でも、それには当然ながらリスクが伴う。いきなりリスクに身を任せるのはカッコいいですけど、ある意味で「向こう見ず」な感じです(笑)。オーデマピゲがいうように、まずは基本を習得、ないし支配しませんか?そうすれば、自ずと基本を破ることができます。

学生の中には、基本を教えても前期ずっと無視し続けた人が結構います(笑)。それで、上手くなっていないとか、言ってもいいですけど、まずは基本をやってみてくださいな。立ち方、手の置く場所、目線、話す内容の取捨、時間配分、抑揚の付け方、話すスピード、すべてもう教えているんです。使っている人、どのくらいいますかね。

基本は基本でしかないけど、基本をマスターしないと、それ以上はない。
最高の文章やプレゼンには型はないけど、最初は型から入らざるを得ないのも事実。

基本は面白くないし、我慢するのは辛いけど、少し辛抱したらすごく上手くなりますよ。
オーデマピゲのキャッチコピー、意外に深いです!

ちなみに、メルセデス・ベンツのキャッチコピーは、最善か無か(Das Beste oder nichts)です。基本がないプレゼンは、無だと思います。

基本の習得、ぜひ頑張ってください。僕も、いつも基本を意識して話していますので。







2018年7月19日木曜日

真実は強いけど、それでも真実が必ず勝つわけではない?

真実は強い。結局、真実に近い事実を証明することが正義を実現する最短ルートだというのは、よく聞きます。でも、問題なのは、真実を話しても、相手がそれをちゃんと理解し、適切に評価してくれるかはわからない、という点です。

真実を話せば足りるというのは、小説の世界か、お子様の世界。嘘を話すよりは当然マシですけど、真実にも話し方はあります。ダイレクトに結論や核心部分から入るのもありですし、逆に、周辺部分から話していく方法もあります。どちらがベターなのかは、事案の性質と相手によるでしょう。

核心部分から入れば、わかりやすくなる一方、性急な感じがします。どうでもいいことならいざ知らず、重要であればあるほど、核心部分から入るのに躊躇を覚えることはあるでしょう。

真実のことでも、並べ方や話す順序で、印象が変わってくることはよくあります。あまりに真実そうなので嘘っぽい、っていうのは僕がよく言われることですが(笑)、ダメ押しのように畳みかけることが本当に有効な相手なのか、事案なのか、よく見極める必要がありますよね。

説得するときはもちろん、謝罪のときには本当のことを話すのはもちろんですけど、何を、どんな順序で、どう話すのか、どんな服装で、どんな顔で、どんなスピードで話すのかで印象がガラッと変わってきますよね。

さっき、政治家が投票後に凄く格好いいコメントをしていましたけど、「作ってるなぁ」という感じがありありと出ていました。いつもは、あんなに作っている感がないのに、不思議でした。どんなにスピーチやコメントが上手い人でも、やはり、失敗と言うほどではないにしても、上手くできないことはあるのかもしれませんね。僕なんて、毎回失敗しているようなものかもね(笑)。

新聞やネットでコメントだけ見るのと、映像では印象ががらっと変わることもあります。映像は、表情や仕草が出ますからね。わざとらしさとか、作った感が見えやすいです。

時間があるときには、真実を書き並べて、どんな順序でどう話そうか一度、考えてみるといいですよ。

逆に、時間がないときが大変です。素の力が試されます。瞬時に、話す内容と順序を考えなければなりませんからね。反射のように、何も考えずに出てくるのがよいですけど、なかなか難しいですね。

法学部にいると、なかなか、こんなこと考えないでしょう。実務では、毎日がこんなことばかりです。事実とルールに照らしてこちらに「分」があっても、必ず勝てるわけではないのを思い知らされることばかりだから。分がない場合も同じ。分がないとは言え、そこまで非難される話ではなくても、凄く非難されることはよくよくある。

真実は強いけど、それでも真実が必ず勝つわけではない。だからこそ、真実をより強く見せ、説得的な形にする技術を、僕らは学ぶ必要があると思います。クライアントの最善の利益のために。

2018年7月18日水曜日

判例や学説を覚えるだけでは、実はほとんど意味がない?

法学部では、たくさん暗記することがありますけど、暗記だけしていると、社会に出てからまったく使えない人間になってしまいます。条文、判例、通説、その他の学説、覚えることは山ほどあるけど、それを覚えて定期試験に通るだけでは、何にも使える知識を得たことにはなりません。

判例や学説を批判的に捉えるには、「生」の、「今起きたばかり」の事件について、判例や学説に照らして考えてみる、という作業が極めて効果的です。そもそも、適用されそうな法令を探し、判例を探し、学説を探すだけでも大変でしょう。でも、そのような作業を通じてはじめて、判例や学説の妥当性や本当の射程範囲を知ることができます。

判例や学説は、所詮、ある事件や事実関係に基づいて生み出されたものでしかなく、目の前の事案のためだけに存在しているわけではないです。もともと、「素」になっている事件や事案と目の前の事案がどう違うのか、どこが似ているのか、それをまず知る必要があります。その上で、違っている部分があっても、果たして判例や学説が同じように妥当するのかどうか、考えてみなければなりません。

裁判官として目の前の事案を眺めるより、どちらかの立場に立ってみた方が、このような作業はしやすいですし、青学にいる僕らにとっては意味があります。裁判官になる可能性はほとんどないからです(法曹志望者で、裁判官任官を希望する人を除けば)。

そういえば最高裁判例がある、学説ではこうだ、なんていう意見は、実務ではあまり意味がないと思いますよ。○○があるとか、学説ではこう言っている、だからなんなの、この事案は特殊だから、そのまま適用されないのではないか、そう切り替えされたら、覚えているだけの判例や学説は無意味になるでしょう。むしろ、最高裁判例や学説はあるけど、この事案にはこの点が違うのでそのまま適用されず、△△に修正される可能性があり、だとすると、本当は■■の対応を事前に取っておくべきだった、ないし、これから取るべきなんじゃないか。最初からこのくらい話せるようになって欲しいです。

法律って、面白いんですけど、そろそろ、その面白さに気付いてくれたでしょうか?
こんな学問(実学ではあれど、ですけど)、他には絶対ないですよ。

FYI: AIリベラルアーツ塾@青山学院大学

お知らせです。後期に、「AIリベラルアーツ塾」という講座がはじまります。単位認定はないのですが、AIが高度化した社会における問題を先取りして学ぼう、という新しい試みです。僕も、法律問題について2回、講義します。僕の担当回だけでも、もしよかったら来てください。単位認定されないので、凄く面白い話をしないといけないな、と思っているところです(笑)。

参加申込みは、学生ポータルからできます。
Don't miss it. 

2018年7月17日火曜日

ご自由にどうぞ、は実はもっとも自由じゃない?

自己PR、自己紹介、プレゼンテーションで「形式自由」とか「自由にどうぞ」と言われることがありますけど、要注意です。形式自由の場合の難易度は、比較的高いからです。大学や大学院の入試、あと就職活動でも一応、こんな人材が欲しいというのは情報として公開されています。ただし、形式自由の場合、比較や評価する軸が明らかにされないわけで、そこで勝負するのはかなり骨が折れるはずです。形式自由の場合こそ、自分が何を求められているのか、究極的には何を評価するつもりなのか、相手の気持ちに立ってみる必要があると思います。

(形式を決めている方が、評価しやすいんですけど、相手も準備してくるし、「素」の力が見えにくくなります。あと、評価軸を自分で設定できる能力を見る、と言う意味で(ここで自分を評価してくれ、というように)、形式自由には意味があります。)

学生のうちは、形式自由とか言うと「楽」をしちゃいますよね(笑)。形式自由にした方が、実のところ評価者にはいろいろ見えるものです。努力して書いているのか、どこかの使い回しなだけなのか。本気なのか軽い気持ちなのか。定期試験もそうです。論述の方が、間違った回答でも勉強してきたのかどうか、よくわかります。でっち上げの回答は、もちろんすぐわかりますし(笑)。記号回答だと、ゼロイチでしか評価できないんです。

事前に相手を調べ上げても、結局はその場が肝心。目の前にいる相手や事案こそが重要です。目の前の事案や人にとって、自分が調べてきた内容が当てはまるのかどうか、それをすぐに見分けて対応するしかないですから。

逆に言うと、だからこそ、プレゼンテーションでは基本が重要になります。基本型を自由自在にアレンジして、目の前の事案や人に向けて話す。基本がなければ、アレンジも何もできないですから。

ご自由にどうぞ、と言う言葉には要注意です(笑)。相手は、あなたより上手かもしれないですよ。

2018年7月7日土曜日

世の中の現象の裏、知りたくない?

ゼミや講義でよく話しますけど、この世の中で法令がまったく関係しない分野はほとんどありません。日本では、少なくとも政府のガイドラインが支配することが多いです。そうやって考えると、実は、世の中で起きている現象の多くの裏には、法令やガイドラインが関係していることになります。

法学部にいると、どんな法令やガイドラインが関係していて、どの部分が自分や自分のクライアントにとって重要なのか、すぐに理解することができます。他の学部にはできない芸当のはず(笑)。

ニュースでは、ときどき「なぜ」に答えてくれることはありますけど、本当の原因に切り込むことは稀です。調べられないからです。専門家に聞く、ことはできても、自分では調べない人がほとんどです(笑)。自分で調べられたらどうなると思います?他の人より、たとえば、さまざまなニュースよりも現象をさらに正確に捉えられます(コメンテーターに教えてあげることもできます)。それだけにとどまらず、企業だったら競争相手を出し抜いたりすることができます。

僕にとって毎日が楽しいのは、日々のニュースが、日々の生活が講義やゼミのヒントやネタをくれるからです。悲しいニュースなら、どうして事件が起きたのかとその是正方法を考えればよく、逆に良いニュースなら、それを応用してもっとよいことを広める術がないのかを考えれば良い。毎日のニュースが、法律を探し、分析し、使うための機会をくれるんです。

法がすべてを支配する、そんな大それたことは言いません。でも、法が関係しない世界はほとんどない。だからこそ、世界で法がどのような役割や影響を及ぼしているのかを理解し、ビジネスなどに応用できることが求められていると信じて止みません。

世の中の現象の裏、法令の勉強を介して知りたくないですか?

2018年7月6日金曜日

自分の代わりはたくさんいる、そう思える?

アメリカ契約法を教えていたりすると、自分の代わりはたくさんいるし、だからこそ、自分にしかできない講義やゼミをしないとダメだな、って毎回、痛感します。

大学で講義を受けているとなかなか気付かないかもしれませんけど、バイトしていたらわかりますよね。自分が休めば別な人にヘルプを頼まれるだけ。要するに、ある時間に誰かが居てくれて、それなりの働きをしてくれればそれで十分。自分でなければ困る理由なんてないんです。そして、次は自分がヘルプを頼まれるかもしれない。ヘルプを頼まれるとき、マネジャーは凄く優しいでしょう。どうしても入って貰いたいからです(笑)。

(本当は、誰だとどのくらい売り上げが違うとかはあり得ますけど、シフトが回らないと重大な問題になるので、とにかく誰かを張り付けないといけないわけです。)

自分の代わりがたくさんいるんだ、ということに気づけると、生活は一変すると思います。自分が他の人より大事にして貰うために、他の人より使って貰うために自分は何をしないといけないのか、と常に考えさせられるからです。いただいた仕事には最善を尽くすのは当たり前。そうしないと、次の仕事は別な人が取ってしまうでしょう。

単に法律のお勉強をしていると、そういう当たり前のことに気付かないまま卒業してしまうかもしれませんが、就職活動なんて「代わりがいる世界」の最たるものでしょう。内定辞退を十二分に考慮に入れて、採用面接は行われています。あの人がダメならこの人、この人がダメなら別な人、そういう流れです。確保すべき人数をベースにして、内定辞退をされる可能性を考慮して採用していくわけです。

代わりのいない人間になれたら、本当はいいですよね。あの人の代わりはいないって言われてみたいものです(笑)。ゼミでは、皆が同じプレゼンをする必要は無いですし、同じアイディアで議論する必要はありません。基本を活かしつつ、斬新で独自のアイディア、プレゼンのスタイルを模索してみてください。

2018年7月3日火曜日

思いついたら、まず検索して法令や判例をザッと読んでみよう

ゼミや講義をしていて、ポンポン発言してくれる学生が増えてきたことはとても嬉しいです。もう一歩先に進むには、聞かれる前に質問を予想して、一回検索してみるのがおすすめです。

どんな法律家も、すべての論点を暗記しておけるわけではないし、そもそも、暗記していても新しい法令や判例によって内容が変わっている場合もあります。記憶をたどるだけじゃなく、調べて確認してみましょう。

大事なことは、一度は原典に当たること。サマリーを読んで当たりをつけたら、原典を読んでみないとダメです。サマリーは、間違ってはいなくても、作成した人の影響が色濃く出ます。

ちなみに、調べるのにかかる時間は1週間でも1時間でもなく、せいぜい数分です(笑)。予習とか復習とかいうレベルじゃないでしょう。サクッと調べられれば、正答率を上げられる上に、自分の勉強にもなる。僕のゼミでは、短時間で検索し、必要な情報を手に入れて議論を組み立てる訓練をしているんです。「今回のパズルは解けた?」と聞くのは、どんなピースが自分にあって、ないピースがどれで、調べてピースをすべて手に入れて、埋め込めたか、そんなことを聞いているんですよ(笑)。

もし、調べた結果、法令や判例が自分に不利な内容だとわかったら、どうします?そんなときは、事実やデータをもう一度洗い直しましょう。法令や判例自体が不利な内容なら、今度はルールに当てはめられるデータや事実自体を洗い直して、結論が変わらないのかを確認すればよい。弁護士が「結局は真実が一番強い」というのには訳があって、当てはめるべき事実やデータが不利なら、その不利を挽回するのにはやはり無理がつきまとうからです。

学説まで調べようとすると、検索では限界があるのですが、学説まで調べないと結論らしきものにたどり着けない法律問題は意外と少ないです。調べてみればわかります。

思いついたらまず行動。検索してから話してみましょう!


2018年7月2日月曜日

変わってはいけないもの、変わるべきもの

先日、ジュエリーブランドの「ショーメ」の展覧会(時空を超える宝飾芸術の世界)に行ってきました。1780年から続くメゾンの作品、そこに現れる思想は、僕の講義やゼミとは違う世界を示しています。

https://mimt.jp/chaumet/midokoro.html

法はどこまでいっても道具。人々のために傅かなければならない。必要に応じてぎりぎりまで変わらざるを得ない。廃止される法令だってあるくらいです。

ブランドは、変化してよい部分と、変わってはいけない部分の両方を持っています。変わってしまったらブランドとしての価値がなくなる一線がある。とはいえ、時代の変化と共に、ブランドも変容しなければならない。変わってはいけないものと、変わってよいというか変わるべきものがせめぎ合って、ブランドは長らく社会に根付いている。

ゼミとか個人のプレゼンや考えでもそうですが、全部、僕の考え方に染まったらダメです。自分を活かしてください。僕の考えや他の学説だって、世界に数ある考えの1つでしかないので。皆、世界で1つしかない、いわば「ブランド」なんですから(笑)。

最高のプレゼンは、型にはまらない、自分らしさの出るプレゼンだと思います。誰にも真似できない世界がそこにはあります。僕は、ゼミ生が就活に出る前に、そこまで到達してもらたいです。

僕のゼミはまだ3年しか歴史がないです。当たり前ですが、ブランドでも何でもない。だからこそ、このゼミの変わってはいけないものと、変わるべきものをゼミ生と探している真っ最中と言えます。変わってはいけないものは、学生が主役で学生が作り上げるゼミであること、ゼミの時間外での作業を極力ゼロにすること、メモとプレゼンを駆使してクライアントに最善の利益をもたらすという能力を磨くこと、さまざまな学生がそれぞれそれなりに楽しめるゼミであること、夢を持ってそれを叶えようとするゼミ生からなること、このくらいですかね。あとは全部、粉々になっても変容してしまってもいい。

自分の中で変わってはいけないもの、変わるべきもの、持っていますか?
持っていた方が、人間として素敵だと思います。


(Photos taken at the Mitsubishi Ichigokan Museum, Marunouchi, Tokyo, JAPAN in June 2018)

2018年6月27日水曜日

その場で切り返せなければ意味がない?

「○○ってどうなの?」→「わからないので、調べて折り返し連絡します」
「じゃあ、△△は?」→「そちらも同様でして、急ぎ調べて対応します」

○○とか△△って何でもよいのですけど、講義やゼミで扱った内容以外の問題ならばすべて、あとから調べて対応することになりますよね。でも、実務ではそんな猶予はないことが多いです。その場で何らかの切り返しをしておかないと、次の機会はない。もちろん、次の機会なんて必要ない場面もありますけど(嫌なお客さんとか取引先でもう先はなくて良い場面とか)、僕のゼミではその場でどうまとめるか、どう話すべきか、というトレーニングをしています。

僕のゼミは、他のゼミより楽かもしれないですが、前に話したとおり、下手をすると何も残らないリスクがあります。金融商品っぽく説明すると、ハイリスク・ハイリターン商品です(笑)。

他のゼミでは、ある問題を1週間から数週間かけて徹底的に調べ上げて、その内容をレジュメにまとめて報告する、そういう流れが一般的です。グループで集まって、必死に調べたり、レジュメをまとめたりすることで、グループワークをうまくできるようになるとは思います。そういった時間の共有自体が貴重な機会であり、重要な経験として皆さんには残ります。

僕のゼミでは、そういう貴重な機会や重要な経験はありません。あるのは、基本的に授業時間内の作業とプレゼンだけです。逆に言えば、そこで何かを得られなければ、何も残らない、ということです。

大学の外で働く場面に遭遇すると、大学とは異なる時間が流れています。純粋な申込みと承諾なんて本当に存在するのかな、そう思うことさえあります。理不尽なことで怒られたり、人のミスでも自分のミスにされることなんてざらです(笑)。大学の外の方が、普通の世界なのですけど(笑)、一般的なゼミではそこが実験室であるかのように、真空状態でさまざまな努力がなされているわけです。現場では起こりえない想定だったり、教科書の事例だったり、過去の判例そのものを扱い、議論しますね。何のために、誰のための理論や議論なのかは、置いてきぼりになりがちです。

過去の事例や想定事例は、あくまで事例にすぎず、本当に大事なのは目の前の事案です。
目の前の事案についてコメントを求められて瞬時に、何かしら話せるのかどうか。たとえば、「○○ですと、☆という最高裁判決が適用されうるのですが、おっしゃるような事実関係ですと、・・・になりますかね。ただ、最新の下級審判決や論文を確認させてください」とか。分からない問題に遭遇したら、その場で即座にリーガルリサーチしたっていい。早さとある程度の正確さがあれば、ですけどね。

覚えたこと、書いたことを話すのではなく、その場で自由に話してみませんか?そこではきっと、ゼミで学んだことを活かせるはずです。相手の反応は、どこまで予測しても、予測を超えてきますから、その場で切り返す、切り返せる、そう思って話してみましょう。

※最近、青学ではなくて某大学のゼミでは、質疑応答形式でプレゼン中に質問して、それに答えて貰っています。質問する方も大変ですけど(笑)、僕から質問される方はもっと大変だろうな(笑)。あんなのに対応できたら、就活なんて何にも怖くない気がします。


2018年6月24日日曜日

ゼミ生の選考について(2018年度版)

ゼミ生の選考については、志望理由書と成績を考慮しつつ、最終的には面接で決定させていただきます。ゼミ生を選考するにあたっては、公平かつ平等に、このゼミで勉強するのに相応しい方々に来ていただければと思っております。

ゼミ生に期待するのは、何よりやる気です。担当者がそうであるように、大学生の頃に将来をすべて見通せるヒトばかりではありません。何やろうかな、何をやれば成功できるのかな、よい就職や素晴らしい将来を得られるのかな、というように悩みが尽きないでしょう。そのような状況で、どうして医療に関係する法政策を勉強しようと思ったのか、自分がこのゼミにフィットするのはどうしてか、どう勉強したいのか、ゼミで何を目標にするのか、自分がどのようにゼミに貢献できるのかなどなど、面接では詳しく伺わせていただきます。

このゼミの選考では、これまでの成績をもちろん評価させていただきますが、それ以上に、法的に考える能力について、センスを試してみたいと考えています。成績は、今後の努力でかなり変わりうるものですが、センスはなかなか変わりません。これまでの法学の講義において、そのセンスがどれだけ鍛えられているのかについて確認させていただきます。

また、このゼミでは、従来のようにレジュメをまとめる作業を頑張ってもらうというより、短時間で考えをまとめ、その内容を紙に残したり、プレゼンテーションするような能力を養います。人前で話す機会もたくさんありますし、グループワークも毎回あります。今、引っ込み思案の方でも構いませんが、そのような活動に従事できるかどうかも、選考の判断基準とさせていただきます。

なお、第一期生となるゼミ生は16名で、男子が6名、女子が10名です。第二期のゼミ生は12名、第三期のゼミ生は21名です。僕のゼミは、16名を基準にして、若干増減がありえることをどうかご理解ください。


できる限り、男女比を揃えるように努力しているのですが、申請段階において男女比がずれている場合もあるため、一概に均等にできるとは確約できません。ご了承いただければ幸いです。

ゼミの選考プロセスは、公式のものはまだまだ先ですね(笑)。先っていっても、すぐ来ますけどね。
僕は、本当に入りたい学生に入ってもらえるようなプロセスにしたいと思っています。プレゼミ生の取り扱いも含めて、今年の選考は試金石になるはずです。僕の講義は、ゼミに近いテイストを持っていますから、僕の講義を楽しめるのかどうかは、選考プロセスに入る前に是非ご確認いただければ、と思います。

皆様とお目にかかれるのを楽しみにしています。

シンギュラリティと法ーいつかの講義のために

僕は、AIの専門家ではぜんぜんないですけど、AIが進化したときに社会にどのような影響が出て、それに対して法がどうあるべきか、という問題には凄く関心があります。少し前に、特任で雇われているある大学の法学部3年生から、関心があるけど大学院向けの講義に出て良いか、と言われました(結局、履修しなかったようです(笑))。学生の中にも関心を持つ人がいるということは、おそらく社会的な関心も少しずつ高まってきているんだなぁ、とぼんやりと感じていました。

法律の講義は、特に日本ではですけど、分からないことがあるとダメ、分かっていることしか教えない、という大前提があるように思います。そうすると、シンギュラリティ(技術的特異点)という、いわゆるまだ見ぬ世界の話なんて、教えようもないことになりますよね。技術的特異点の具体的なインパクトが分からない以上、法的な話はぜったいにできないのかも。

技術的特異点について不明確なことがあっても、法的な問題はすでに少しずつ起き始めています。自動運転や移動革命の担い手であるドローンはもちろん、契約や労働法の問題はよい例ですね。僕は、今起きている現象を講義の中にできる限り取り込んでいきたいと思っています。法学部では嫌われてしまうかも、ですけど。まだ誰にも解かれていない問題こそ、法学部では本当の意味で法的な思考を問われる重要な問題のはずだからです。

暫定的ではありますが、僕が「シンギュラリティと法」と題して講義をするとしたら、下記のようなシラバスになりますかね。ある大学だと「技術利用と法」、青学だと「法と経済」という講義で扱っている内容を少し修正して話すだけ、なのですけど、意外と皆で楽しめるのではないかな、と思っています。

=====
1.はじめにーなぜ、今シンギュラリティを考えるのか
2.データー自力救済、的救済、そして「コード」による支
3.パーソナルデータの活用が未来を変えるー便利さよりもプライバシーの保護を優先できる?
4.シンギュラリティイノベーションーヒトではなくAIがイノベーションを定義する時代?
5.シンギュラリティ形式ー規制はどうなっていくか、どうあるべきか?
6.シンギュラリティ契約ー契約は本当により合理的な内容になる?
7.シンギュラリティ知的財産ーインセンティブを与えられるべき対象は何か?
8. シンギュラリティコーポレートガバナンスー取締役の義務や役割はどう変わる?
9. シンギュラリティワークスタイルーは労働者を守れるのか、どう守るべきか?
10.シンギュラリティ弱者保護ー生活保護や社会保障はどう変わる?再チャレンジは可能なのか?
11.ケーススタディしての自動運転自動車ーは技術にタイムリーに追いつけるか?
12.まめーシンギュラリティと法
=====

実は、この講義は今年、何らかの形で実現できそうだったのですけど、ダメになったのでここに
掲載してしまいました(笑)。誰かが参考にして講義にしてしまうかもしれないし、反面教師に
されるかもしれないですけど、僕は僕なりの講義を、いつか必ずしたいなって思います。

医療と法のゼミでも、シンギュラリティやAIを意識した問題を扱いたいと思います。


2018年6月23日土曜日

楽単にそんなに価値がある?

「アメリカ法は法学部一の楽単」、という噂があるみたいですけど、ぜんぜん違います。誤解しないで欲しいのは、アメリカ法の試験では10~20パーセント、単位を落とす人が毎回いらっしゃいます。講義に出席していて単位を落とす人がまずいない、というのならば、法学部一の楽単でも何でもなく、ごくごく当たり前でしょう。僕らは、授業料を貰って講義させて貰っているのですから。単位を落とさせたい教員なんて誰ひとりいません。大事なのは、修得すべき内容を修得しているか、それだけです。講義で復習のための機会を設けるのは、修得を確実なものにするためでしかないのです。

最後の復習のための回(3回か4回だけ)に出席すれば何とかなるかもしれませんけど、まあ、そんなことしても意味はあまりないかと。法学部の卒業にはほぼ何も付加価値がない状態だからです。どんな講義を履修し、その中で何を学び、法律をどう駆使して生きていけるのか、そっちの方にこそ価値がある。

僕が出席を強要しないのは、自発的に来て勉強しようと思わないと、頭には入らないからです。頭に入らない講義を受けてもお金と時間の無駄でしょう。無駄なことはある意味で罪です。そのお金と時間を他に振り向けたら、人生にとってもっと有意義なことができるかもしれない。

僕の講義は教科書の内容を簡単に理解できる+αを目指しています。そうでなければ、講義する意味はないのではないか、とさえ思います。教科書の内容を理解させるだけなら、教科書を読んで解けるような穴埋めの試験をやればよいだけなので。

リーマンショックでは格付け機関の甘めの格付けが問題拡大の要因の1つだと言われていますね。アメリカ会社法でも話しましたけど、楽単を探し、それで仮に卒業できたとして何が起こるのか、想像したら面白いです。企業側が楽単かどうかをAIで選別し、大学時代の成績表を取り寄せて分析するようになったら、楽単だけで卒業したことがわかってしまうようになるでしょう。それは、就活での評価に使えますよね。ああ、勉強はまったくしてないのだと。

楽単は、おそらくですが、良い成績を取るのが難しいことが多いです。パスはできても好成績を残しにくいというリスクがあります。相対評価で下の成績の方を救うには、難しい問題を出さざるを得ないからです。そういうリスクも考慮したらよいかと思います。

楽単、そんなに価値がありますかね?

(A photo takein at Meigetsuin, Kamakura, Kanagawa, in June 2018)

2018年6月17日日曜日

The Good Fightー弁論で世界を変える、クライアントを救える?

海外ドラマ「The Good Wife」のスピンオフドラマ、「The Good Fight」は弁護士のドラマですけど、ああ、法律を学ぶことってこういうことなのか、としみじみ感じさせてくれます。

法学部で勉強していると、「なんで法学部に入ったのかな」って思う瞬間が必ずあります。医学部なら、国家試験パスしてとりあえず「医者」になるという道がはっきり見えているけれど、法学部にはたくさんの道が開かれているせいで、法律習って意味あるのかなとか、法曹にならないなら単位取って就活して卒業できればハッピー、そういう考え方に流れてしまいやすいでしょう。でも、というか、だからこそ、法律の勉強は単位とか成績にかかわらず頑張る意味があるんです。

法律が関係する世界は、結局どこまでいっても、人が人を裁き、判断します。AIが判断するわけではない。人は必ず間違えますし、ルールに事実を当てはめて何かしらの結論を出すときには、法学部で習っていること以上に生々しい人々の政治や、利害関係が交錯します。一般の会社に勤めていても、社内ルールに縛られることはよくありますよね。そして、社内の政治に結論は大きく左右されます。要するに、ルール一般は、真空の中に存在していなくて、たくさんのノイズの中で適用され、結論には関係者のさまざまな「想い」が影響を及ぼさずにはいられないのです。

はじめに言葉ありき、ペンは剣よりも強し、そんな言葉があるように、人の心を動かす1つのツールが「言葉」です。ルールは「言葉」からできていますし、事実関係も究極的には「言葉」で説明し直されます(映像やデータそのものが提出されても、ルールに適用するときにはそこから重要な点を抜き出し、言葉の形で説明し直されないと使いものになりません)。

「The Good Wife」でも「The Good Fight」でも、言葉の力を再認識させられます。もっと具体的に言えば、言葉から生み出される弁論だったり、交渉だったり、一瞬一瞬の言葉のやりとりが、良くも悪くも世界を変えてしまう瞬間を目の当たりにします。弁護士であれば当然なのかもしれませんが、弁護士にならない人にとっても、ビジネスで言葉は重要です。ルールの取り扱いが案件や人生を大きく左右します。

講義ではなかなか話している時間がないのですけど、ルールを使いこなすことはもちろん、そのルールに事実を適用したときにどうして自分がわかりやすく話したり、説得力を持たせるためにどんな順序で、どんなデータやエビデンスを、どんな風に見せるのか、どんな表情で、どんな身振り手振りで話すのか、そういう技術を法学部では学べるはずです。法令を覚えても、判例を覚えても、学説に詳しくても社会ではあまり意味がないでしょう。どんなルールも、結局はパズルです。ルールだけでは結論はでなくて、事実が必要です。どんな事実があれば自分に有利になるのか、どんな事実をどう見せたらよいか、もしルールについてそんな見方ができるようになったら、あとはその次のステップに入りましょう。事実をどう扱うか、そっちに注力すると、法律を学ぶのがますます楽しくなります!

ルールがある世界ならどこでも、日本でも世界でも、法学部で勉強したことを活用して、自分やクライアントに有利な状況を作り出すことができます。ルールは別に法律に限られません。社内ルールでもマンションの組合規約でも何でもオーケーです。サークルの内規だってよいです。そういう風に世界を眺められたら、ああ、もしかして法学部って凄くお得かもしれないって気づけるのではないでしょうか。

法学部って悪くない、むしろそこでの勉強は法曹になってもならなくても価値があるし、むしろそういう価値のある講義やゼミを提供していきたいな、と思っています。今までの法学部とは少し違うかも、ですけどね(笑)。

法学部で真面目に勉強して、弁論で世界を変える仕事、クライアントを救う仕事に着いてみませんか?

2018年6月16日土曜日

他人の行動を変えられないなら、やるべきことは何?

法は、他人の行動変容を促すための重要なツールの1つですけど、法を使ってもなかなか上手くいかないことはたくさんあります。その時にやるべきことは、「自分でやってしまい、成功を見せてあげる」こと。他人が行動を変えるのを待っているよりも、自分で動いてしまいましょう。自分でも動けない場面は、要するに、リスクとリターンが見合っていないために、他人も動けないだけ、かもしれませんよ。

昨日、知人と会ってある話題になったときに、上記のような話が出ました。詳細は書けないのですが、いろいろとインセンティブを付けても誰かにリスクを取らせられないなら、自分でリスクを取ればいい。十分なリターン(リスクに見合うリターン)があるなら、自分で取れないはずはない。リターンがない世界なら、他人でも自分でもリスクを取れないでしょう。それは当たり前のこと。

僕は、リスクを取った学生を応援したいです。最近、リスクを取って頑張った学生がまったく評価されず、ある意味ではとても悲しい結末になったケースがありました。詳しく書けないのが残念ですけど、時間を割き、できる限り協力したのにそれでも何の見返りもない。約因がない約束だったと言えばそれまでかもしれないです。しかしながら、それなら最初から見返りなどない、期待するなとはっきり言えばいいし、見返りが期待できなくなった時点でその旨を話してくれればいい。見返りするかもといいながら結局しないでいろいろお願いしていると、いずれそのお願いは破綻します。結局、誰からも信頼されなくなり、誰からも協力してもらえなくなるでしょう。気付かないでいる間に、です。

リスクを取った学生には、「きっとよいことある」って言ってあげたいです。
よいことが何なのか、それは後のお楽しみ。もう少し待ってください。失礼な人がいるように、ちゃんと見ていて手をさしのべる人も世の中には必ずいますから!



2018年6月15日金曜日

法令に書いてない一手を打てる?

先日、成績優秀者の表彰式がありました。表彰された学生には改めて心からお祝い申し上げたいと思います。

成績優秀者が幸せな、そして活躍できる人生を送れるかと言えば、それは誰にもわからないです。人生はいろいろなものに左右されるからです。ただし、大学で法律の勉強を頑張れば、それなりに幸せな、そして活躍できる人生を送る確率を少しは上げられるかもしれません。僕は、成績優秀者のことはもちろん、真面目に勉強している学生のことを尊敬したいし、応援したいと思っています。

なぜ法律の勉強を頑張った方が良いのかと言えば、それは、暗記やリーガルリサーチでは足りない世界が将来広がっているからです。法律の試験勉強に暗記は付き物ですが、目の前の新しい問題には想定問答集はないですし、模範解答もありません。暗記なんてしても、解けない問題が目の前に何度も何度も起こります。また、調べればわかるとしても、瞬時に法的な判断を求められる場合もあります。そのような場合、弁護士に電話する暇もないかもしれません。暗記ばかりして、それなりに素晴らしい成績を取っていても、下手したら目の前の問題にはまったく太刀打ちできないかも。

僕は、成績が優秀であることも大事だとは思いますが、より重要なのは真面目に法律を勉強することだと思っています。真面目に勉強するというのは、見たことない問題を考えて行動できるようになる、ということです。法律の世界には解かれていない問題が山積していて、そういう問題については答えを暗記することはぜんぜんできないのです。できることは、法令の内容、過去の重要判例やその解説、場合によっては学説を利用して、解かれていない問題で最善の決断をし、自分や自分の組織に利益をもたらすこと。たとえば、アメリカ会社法のレブロン事件とか、Pantry Pride側の弁護士の用意周到さにはしびれます(笑)。過去の判例には明確に書いていないけれども、やるべきことは何か。答えがない中で弁護士は助言し、裁判での勝利を確実なものにする。そんな頭の使い方を、僕は講義やゼミで伝えたいのです。

成績優秀者を含めて真面目に勉強した人が、「ああ、勉強しといて良かったな」といつの日にか思えるような講義やゼミを続けていきたいと思います。法令に書いていなくても、勝つためにやるべき「一手」、あなたには考えられますか?

2018年6月13日水曜日

目立たない仕事でも頑張る意味はある?

学者というと、名前と顔を出して目立つ仕事ばかりだと思うかもしれませんけど、必ずしもそうではないです。目立たない仕事は、山ほどあります。目立つ仕事を頑張るのは当然ですが、目立たない仕事でも見ている人は結構いますから、しっかりやらないとダメです。

社会人になると、ばれなければいいとか、見られていなければよいというのは通用しなくなります。ある意味で結果がすべて、だからです。チームとして、ある仕事ないし案件の成功は成功、失敗は失敗として共有することになるので、チームの誰かがダメだからその人だけ責めようとしても無駄なのです。結果をよくするために、チームでやるしかないからです。学生のうちは、さぼっていてもばれなきゃいいとか(笑)、見られていないところはどうでもいいと思いますよね。ゼミでも自分の担当回以外は、必要最小限度の努力で済ませて良い単位認定を受けられればよい、というように。

チームの中で上に立つ人は、全体をマネジメントして責任を負うことになります。成功も失敗も受け止めるということです。チームを構成し、成功するように助言したり、必要に応じて指揮命令を行うこともあります。失敗をチームの誰かのせいにしても無駄で、上に立つ人が昇進などを犠牲にして責任を取るのが普通(そうでない会社や上司もいますけど(笑))。

働くときのメカニズムは意外と単純ですが、学生のうちはなかなか理解できないですよね。目立たない仕事でも、周りの人は見ています。会社に入ったら、(優秀な)上司は、必ずどんなに地味な仕事でも仕事ぶりを評価します。地味な仕事でも、ある程度はチームに貢献しているはずなので。学生のうちにさっさとメカニズムを理解して、就活に臨めたら相当強いですよ!



2018年6月12日火曜日

誘導から離れて議論したり、反論を唱えてみない?

最近、ゼミで異なる意見を出してくれるグループがあったり、誘導に異論を挟んでくれる学生がいたりします。今まではなかったことです。日本では、講義でもゼミでも、異論って許されないですよね。このゼミは違います。異論や反論は大歓迎です。

大事なのは、ただ異論や反論を唱えるのではなく、どうしてそう考えるのか、結論が異なるのかをわかりやすく伝えることです。たとえば、事実関係を異なるように捉えているからなのか、それとも法令解釈が違うのか、などですね。僕は、いろいろな異論や反論が出ることを想定して話しています。そういう異論や反論があることを想定しつつ、どうしてこの事例について、モデル回答のように考えたのかを学生に話します。ある程度の異論や反論は想定しているけれども(いわゆる「想定内」)、○○の理由からこのように助言するかなぁ、って感じです。そもそも、100%の助言なんてありえないので、事実関係からどこまで正確な助言を目指せるか、そのために場合分けやリーガルリサーチを駆使する、そういう世界だと思っています。

僕が話すから正しいとかではなくて、関連法令、判例、ガイドラインを読み込んで、実務的な課題も踏まえた上で、自分ないしグループとしてはどう考えるのか、事実関係の問題なのか、そもそも法令解釈が他のグループと違うせいで異論や反論になるのかをグループで検討したら、今以上に楽しくなります。僕の誘導はあくまで、誘導でしかなく絶対的に正しいものでもないです。こう考えるのがオーソドックスではあるけれど、どうしたら僕の誘導から離れられるかを考えるのも、楽しみ方の1つではありますね。

(ちなみに、ディベートをするには、自分と相手との違いや、相手の議論を想定して先んじて封じ込めたり、逆に不利な点は言わないでおいてあとから切り替えすなどの技術がないと、あまり意味はありません。)

最高裁が言っていることでも「んー」って思うことがあれば、それを大事にして欲しいです。最高裁には、超一流の法律家が調査官として張り付いています。その見解に異論を唱えるのには勇気が要ります(笑)。なぜ変だと感じるのか、むしろ変だと感じること自体が自分の誤解から生じているのではないかなど、そういう疑問が追加的な調査や勉強を促し、皆さんの知識を増やすはずです。

たった1時間半、真面目に考えて綺麗にプレゼンする。それだけのゼミですけど、2年後にはたぶん、皆、見違えるように話が上手くなっていると思います。少しずつですけど、ゼミ生が変わってきているのを僕は感じています。Twitterではなかなか表現できない「能力の伸び」を、どこかで是非感じてほしいですね。

2018年6月10日日曜日

Life and work balance?

余暇と仕事のバランスは、最近の就活では極めて重要なアピールポイントなのだそうです。僕にはそんな余裕はなくて、仕事ばっかりです(笑)。日曜日にも仕事にかり出されて怒られるのには慣れてはいますが、それでも楽しいものではないです(笑)。

仕事って何かっていうのがわからないと、"life and work balance"ってなかなか言えないですよね。世の中に出ると、ああ、自分には代わりが沢山いて、しまいにはAIとかに取って代わられるかもしれない、という現実に直面します。AIじゃないにしても、実務家教員に取って代われる日は近いでしょう(笑)。現実問題として、労働法で守られているからいいやっていう次元とは別に、仕事はできるヒトのところに集まり、そうでないヒトには最低限の仕事しか残りません。最低限の仕事しか与えられなくても、人間関係だけで楽しく仲良くやれるヒトもいます。ミスっても別なヒトが否応なしに助けてくれるし、余暇が大事だから仕事でどう思われるとかは関係ない。楽してお金だけ貰えればよい、っていうヒトは意外とたくさんいます。そんなヒトばかりになったら、たぶん、その会社や日本の国としての競争力はなくなっていくでしょうけど、それも仕方ない。会社には中途採用者もいるから、それでバランスを取るのかもしれないですね。

僕は、余暇や仕事について、上を見ても下を見てもキリがないって思っています。目の前の仕事に全力を投じて、今の最善のものを提供する。それで余った時間が余暇。幸い、僕はフレックススタイルの労働環境なので、いつ休んでもどのくらい休んでも構わない。その代わり、休んだ後には仕事はないかもしれない、そういう世界です。

何をしてお金を貰いたいか、それが就活における「究極の自己分析」だと思っています。余暇と仕事のバランスを考える前に、どうやってお金を稼いで生きていくのか、行きたいのかを一度考えてみてください。「専業主(夫 or 婦)」になるのでもいいですよ。でも、誰かのためだけに働いてお金を貰うのは嬉しいものです。バイトでは味わうことのできない感覚、是非、インターンとかで獲得して欲しいです。

僕は仕事も余暇も大事にしていますが、それでも、いきなりそのバランスが一番大事、だとは思いません。好きなことをしているから、バランスよりも大切なものがあるのかもしれませんね。

皆さんにとっての余暇と仕事、どんなものでしょうね?


(Photo taken at the Ayame Festival, in Itako, Ibaraki, in June 2018)

2018年6月8日金曜日

「公共政策と法」の第9回に寄せて

青学の「公共政策と法」という講義で、第9回目に法律と条例の関係について話しました。公共政策の話は、普段から別な大学院でしているのでどうっていうことはないのですが、「受動喫煙」という最新のトピックを取り上げたので、緊張して話しました。

僕にとって1時間半はあっという間。学生にとってどう感じたのかはわからないけど、久しぶりに緊張しながら話しました。講義では緊張よりも楽しさを感じることが多いので、新鮮な気持ちでした。

法学部は、ルールと事実を扱い、自分の側に有利な結論を探し求められる知識を得る場所。それを再認識して欲しくて、あのような講義にしました。答えは簡単に出るようで出ない。1つだけの答えを出す公式もありません。そういう意味では、高校生までに受けたどの科目とも違います。また、法学部を出たら、必ずしも裁判官のように中立な立場でルールと事実を眺めるわけではない世界で、僕らはこれから生きていくことになります。どう生きていくのか。それを、最新のトピックを使って話しました。

法学を好きになるには、理系とは違うセンスが少しは必要です。理系のヒトは、1つの変わらない答えがあるから面白いって言いますね。その答えを世界で誰より早く見つけ出したい、それがどんなに小さな問題でもって聞かされます。法学の世界は、答えがあってもそれを切り崩すような事象が絶え間なく起こりますから、答えを知って喜んでいてもそれほど意味はないんです。むしろ、新しく起きている問題についてどんな問題なのかを捉え直し、既存のルールを適用するとどうなるのか、それで望ましい結論なのか、ダメなら別なルールを考えられるか、別なルールにはどんなものがありうるか、そもそも別なルールが実際に作られる可能性はどのくらいあるのか、ないならどうするか、そういう思考回路がより重要だと思います。別に官僚じゃなくても、ビジネスの世界で活躍していても大事です。規制の全くない世界でビジネスをすることなどほとんどないので、どんなに新しいビジネスを考えついても、常に規制の適用可能性を考えておく必要はあるからです。

アメリカ法の担当者が戯言として語ったように思われたかもしれませんが、僕なりに時間をかけて準備して話しました。少しでも法学や公共政策と法に関心を持ってくれる学生が増えてくれることを祈っています。




2018年6月7日木曜日

小林麻耶さん『いのちの授業』@青山学院大学 in Apr. 2018

青山学院大学法学部では、去る2018年4月27日(金曜日)、本学卒業生である小林麻耶さんを特別講師としてお迎えして、「いのちの授業」をしていただきました。




「いのちの授業」は、いのちの大切さや献血を学生に訴えかける特別講義です。
この特別講義では、小林麻耶さんからご自身の大学生活を交えながら、献血の重要性に加えて、大学生活と自分の将来の生き方を考える意味を教えていただきました。





この特別講義の開催にあたっては、小林麻耶さんとそのスタッフをはじめとして、法学部教務課の方々、大学スタッフの方々、そしてゼミの有志から多大なご協力を賜りました。改めて厚くお礼申し上げます。



 
 小林麻耶さんの特別講義は、大学では決して聴講できないお話でした。今、生きていることの奇跡や人生を改めて考えさせられました

 今回、いのちの大切さや献血の重要さを再確認できたことは、医療と法を考えるこのゼミにおいて、ディスカッションや分析をさらに充実したものにしてくれるものと思います。実際、ゼミの学生は、「生」と「死」について以前よりも真面目に考えるようになりつつあります。さらに、アナウンサーとしての立ち方やお話しの仕方も本当に勉強になりました。







二度と聴けないかもしれない「いのちの授業」を、小林麻耶さんの母校である青山学院大学で直接受けられた喜びを忘れずに、これからのゼミを進めて行きたいと思います。

関係者の方々、本当にどうもありがとうございました。


(All photos by 伊ケ崎 忍)




2018年6月6日水曜日

クライアントのいない世界での議論を早く離れてみては?

講義でもゼミでも、法学部で議論していると、自分が裁判官みたいに、さも中立的に結論を出すことが多いですね。債務不履行ありなし、損害賠償責任ありなし、違法性ありなしなどなど。でも、そんな議論はあまり使えないんです。裁判官になるならまだしも、普通のビジネスの場面では、中立的に法令を扱うことや判断することは極めて稀だからです。

昔、ある大学院の講義で「先生は誰の味方なんですか?」と真顔で聞かれたことがあります。僕は、「誰の味方でもないというか、誰の味方にでもなるよ(笑)」と答えました。「雇われし銃」というと語弊があるけれど、僕はクライアントの最善の利益のために議論するだけです。法律問題に絶対的な答えは、たぶんないので。

中立を装っていても、中立になり得ないという問題もあります。僕は、青学に雇われていて、青学にとって不利益なことは言いにくいですから(笑)。私学助成金の話も、あまりしたくないし、非常勤先との関係で文科省に関連する話もあまりしたくない(笑)。

ゼミとかで何かの活動をする時も、僕なら常に考えてしまうんですよ。誰のためにやっているのか。自分のためにヒトを巻き込んでいるだけなのか、それとも誰かのためにやっているのか、についてです。誰かのためにやっているなら、その人がすべての判断基準を握っていることになる。その人の利益だけを考えられるかどうか、という問題ですね。僕は、自分のための話については、約因ベースで議論したいし(Win=Winになるような形でディールとして)、そうでなければ物事として前に進めたくくないですね。

就活になれば、急にクライアントのことを考えさせられます。法学部にはぜんぜんない発想が要求されるということです。中立的にいいとか、悪いとかいっていても始まらない世界です。あなたがいいとか悪いとかは、あまり関係なくなります。ある会社や組織に採用されたいとして、その会社や組織のクライアントは誰か、何を提供できるのか。少なくとも、その会社や組織の利益が何で、どうやってその利益が生み出されるのかを知り、自分の強みを選考までに磨き上げる。そのくらいの準備はしてもいいですよね。本気で行きたければ、ですけど。

僕ら法学部の人間の武器は、ルールと事実を扱い、自分や自分が雇われている組織に有利な議論を展開したり、説得力のある文章を書くことくらい。数字にも強ければなお良いけど、それは経済学部や経営学部に劣るかもしれない。歴史、文化、心理学についての知識を持っていれば、もっともっと有利な交渉やコミニュケ―ションができるかもしれないけど、それは文学部、教育学部、総合文化政策学部に劣るかもしれない。国際政治も知っていれば国際交渉や政治を巻き込む場合は有利だけど、それは国際政治経済学部に負けるかもしれない。それでも、どんな組織でも会社でも、必ずルールを扱います。事実やデータを扱うんです。それを使って利益をもたらすために、法学部生ができることは多いはずです。他学部に必ずしも負けるとも劣らないはず。

もうそろそろ、クライアントのいない世界で議論するのはやめません?そうしたら、法学はもっともっと面白くなります。それは、医療と法の分野に限られません。

法学部生であることの意味を考えてみませんか?法曹になるにしても、クライアントのいる世界の発想は大事ですよ。