偶然と必然っていう言葉を並べられて、次の本を想起する人は、ちょっとほかの人とは違う人ですね。
ジャック・モノー (著), 渡辺 格 (翻訳), 村上 光彦 (翻訳)『偶然と必然―現代生物学の思想的問いかけ』(みすず書房・1972年)
偶然と必然がかけ離れたものだと普通の人は思っているけど、本当にそうなのか。深く考えさせてくれる本です。モノ―先生は、ノーベル生理学医学賞を受賞されていますけど、そういうのを抜きにしても、偶然と必然というタイトルはアトラクティブですよね(笑)。自分にとって嫌な事象は偶然、よい事象は必然というように、人は都合よく、偶然と必然を使い分けたがりますから。偶然と必然の話は、実は就活にも使えるかもしれないですよ。
法律の世界は、本当は必然の世界。とくに日本ではそう。同じルールに、同じ事実を入れたら必ず、同じような答えにならないとおかしい。人はそう考えます。でも、当然ですが、逆を望む場合があり、ときとして裁判所や行政機関は、逆の結論を導いたりする。会社だって同じ。これを偶然と呼ぶのか、または、偶然と呼ぶべきなのか。それとも違うのか。
米国で一度でも法律を学ぶと、同じ事実関係って本当にどこまで同じなのかなぁ、と考えるようになります。本当は1つ1つの事案はすべて別物。それを便宜上、欲しい結論のために同じように論じたり、違うように論じたりするだけ。ルールの解釈も似ています。法解釈だけでなくあらゆるルールの解釈は、そんなに厳密に1つにはなり得ないからです。ルールが言葉から構成されている限り、それはある程度仕方ない。
法律の見方を変えると、就活の世界もぜんぜん違ったものになるのではないかな、って思います。偶然が支配する世界で、どうやって自分が採用される可能性を高められるのか。100パーセントの合格はあり得ないけど、できる限り高めるための方策ってなんだろう。就活において「ルール」にあたるもの、ないし、あたりそうなものは何で、「事実」にあたるものは何か。立証は、誰が、誰に対して行うのか。立証基準はどの程度か、などなど、そういう風に、今自分が直面している世界を捉えられたら、きっと世界の色が変わって見えてくるはず。
僕らはしょせん、法学部。それならば、世界をルールと事実、そしてそれを当てはめる人は誰なのかっていう枠組みで切ってみたらいい。将来の不確実性を少しでも減らし、偶然を必然に近づけられますか?