2018年6月23日土曜日

楽単にそんなに価値がある?

「アメリカ法は法学部一の楽単」、という噂があるみたいですけど、ぜんぜん違います。誤解しないで欲しいのは、アメリカ法の試験では10~20パーセント、単位を落とす人が毎回いらっしゃいます。講義に出席していて単位を落とす人がまずいない、というのならば、法学部一の楽単でも何でもなく、ごくごく当たり前でしょう。僕らは、授業料を貰って講義させて貰っているのですから。単位を落とさせたい教員なんて誰ひとりいません。大事なのは、修得すべき内容を修得しているか、それだけです。講義で復習のための機会を設けるのは、修得を確実なものにするためでしかないのです。

最後の復習のための回(3回か4回だけ)に出席すれば何とかなるかもしれませんけど、まあ、そんなことしても意味はあまりないかと。法学部の卒業にはほぼ何も付加価値がない状態だからです。どんな講義を履修し、その中で何を学び、法律をどう駆使して生きていけるのか、そっちの方にこそ価値がある。

僕が出席を強要しないのは、自発的に来て勉強しようと思わないと、頭には入らないからです。頭に入らない講義を受けてもお金と時間の無駄でしょう。無駄なことはある意味で罪です。そのお金と時間を他に振り向けたら、人生にとってもっと有意義なことができるかもしれない。

僕の講義は教科書の内容を簡単に理解できる+αを目指しています。そうでなければ、講義する意味はないのではないか、とさえ思います。教科書の内容を理解させるだけなら、教科書を読んで解けるような穴埋めの試験をやればよいだけなので。

リーマンショックでは格付け機関の甘めの格付けが問題拡大の要因の1つだと言われていますね。アメリカ会社法でも話しましたけど、楽単を探し、それで仮に卒業できたとして何が起こるのか、想像したら面白いです。企業側が楽単かどうかをAIで選別し、大学時代の成績表を取り寄せて分析するようになったら、楽単だけで卒業したことがわかってしまうようになるでしょう。それは、就活での評価に使えますよね。ああ、勉強はまったくしてないのだと。

楽単は、おそらくですが、良い成績を取るのが難しいことが多いです。パスはできても好成績を残しにくいというリスクがあります。相対評価で下の成績の方を救うには、難しい問題を出さざるを得ないからです。そういうリスクも考慮したらよいかと思います。

楽単、そんなに価値がありますかね?

(A photo takein at Meigetsuin, Kamakura, Kanagawa, in June 2018)