2018年7月19日木曜日

真実は強いけど、それでも真実が必ず勝つわけではない?

真実は強い。結局、真実に近い事実を証明することが正義を実現する最短ルートだというのは、よく聞きます。でも、問題なのは、真実を話しても、相手がそれをちゃんと理解し、適切に評価してくれるかはわからない、という点です。

真実を話せば足りるというのは、小説の世界か、お子様の世界。嘘を話すよりは当然マシですけど、真実にも話し方はあります。ダイレクトに結論や核心部分から入るのもありですし、逆に、周辺部分から話していく方法もあります。どちらがベターなのかは、事案の性質と相手によるでしょう。

核心部分から入れば、わかりやすくなる一方、性急な感じがします。どうでもいいことならいざ知らず、重要であればあるほど、核心部分から入るのに躊躇を覚えることはあるでしょう。

真実のことでも、並べ方や話す順序で、印象が変わってくることはよくあります。あまりに真実そうなので嘘っぽい、っていうのは僕がよく言われることですが(笑)、ダメ押しのように畳みかけることが本当に有効な相手なのか、事案なのか、よく見極める必要がありますよね。

説得するときはもちろん、謝罪のときには本当のことを話すのはもちろんですけど、何を、どんな順序で、どう話すのか、どんな服装で、どんな顔で、どんなスピードで話すのかで印象がガラッと変わってきますよね。

さっき、政治家が投票後に凄く格好いいコメントをしていましたけど、「作ってるなぁ」という感じがありありと出ていました。いつもは、あんなに作っている感がないのに、不思議でした。どんなにスピーチやコメントが上手い人でも、やはり、失敗と言うほどではないにしても、上手くできないことはあるのかもしれませんね。僕なんて、毎回失敗しているようなものかもね(笑)。

新聞やネットでコメントだけ見るのと、映像では印象ががらっと変わることもあります。映像は、表情や仕草が出ますからね。わざとらしさとか、作った感が見えやすいです。

時間があるときには、真実を書き並べて、どんな順序でどう話そうか一度、考えてみるといいですよ。

逆に、時間がないときが大変です。素の力が試されます。瞬時に、話す内容と順序を考えなければなりませんからね。反射のように、何も考えずに出てくるのがよいですけど、なかなか難しいですね。

法学部にいると、なかなか、こんなこと考えないでしょう。実務では、毎日がこんなことばかりです。事実とルールに照らしてこちらに「分」があっても、必ず勝てるわけではないのを思い知らされることばかりだから。分がない場合も同じ。分がないとは言え、そこまで非難される話ではなくても、凄く非難されることはよくよくある。

真実は強いけど、それでも真実が必ず勝つわけではない。だからこそ、真実をより強く見せ、説得的な形にする技術を、僕らは学ぶ必要があると思います。クライアントの最善の利益のために。