2018年12月18日火曜日

At failures, no apology is enough, so

失敗や過ちは必ず糧となる。それがどんな失敗でも。僕が年内、書くのはこれで最後にしようと思います。

失敗や過ちのないヒトは幸せか。僕はそうは思わない。失敗はいつか必ずしますし、それなら早い方が傷は浅い。しかも、上のヒトが否応なしに少しは救ってくれる。だから、若いうちに失敗はたくさんしておけ、って言われます。僕の上司も、常々、僕にそう言っています。

(あまり回数は多くないけど、僕もいろいろと大きな失敗して、ぎりぎりで切り抜けて今に至ってます。上司に助けられたり、関係者に助けられたり、幸運に守られたりして。)

実際には、失敗や過ちはないに越したことはない。ないように努力するのは当たり前ですが、必ず、どこかで想定外のことが起こります。間違えてしまうことがあります。民法でどう習うかわかりませんが、想定外をなくすることは現実には不可能ですし。

失敗や過ちの後、どうするのか。謝るのは当然ですけど、許してもらえるかはわからない。嘘も同じですよね。ばれない嘘はない。ばれたら謝るでしょうけど、そもそも、謝って仮に許してもられたような場合(許してもらえたように見えた場合)でも回復しないものがある。それは、信頼です。

(たとえば、契約を破る自由は法的にあるといって過言ではないけど、それを行使したら信頼を失い、長期的な利益を減らすかもしれない。)

失敗や過ちは、謝って場を収めることは確かにできますけど、その先ですよね。本当に大事なのは。相手も大人なら、許したふりをすることは簡単。いくらでもできる。人間関係なら特にそう。会社の場合、お金やリピュテーションが関係すると、そんなに簡単ではないかも。株主利益にも影響するし。

失敗や過ちの後、許してもらえなかったらどうなるか。その人や会社との関係はどうすることもできないでしょう。時間がすごくたって、また一緒に仕事するかもしれない。それまで、必死に真面目に働くしかない。でも、別な関係者や会社との取引では、同じ失敗はしませんよね。きっと。それが「糧」です。失ってはじめて気づくことがある。間違えて、相手を怒らせて、はじめて分かることがある。人間ってそういう生き物じゃないですかね。

大学にいるうちは、謝罪で終わり。そう思われている。でも、実際は違いますよね。記録は残るし、何かの折に言われるし。相手の中にも、ずっと残るかもしれない。それは、背負って生きていくしかない。僕も皆さんもです。

間違えない人はいないから、その先を考えたい。僕にも当てはまる。間違えにくく慎重に行動しているつもりでも、やはり間違える。大事なのは、間違えた後。謝っても回復しないものがある。なかなか回復しない、そのことは覚えておきたいです。あと、大人になると、そもそも間違いだと指摘されなくなります。離れていくだけです。相手が。急に。

就活の面接で、ときどき失敗した経験、不得意な点を聞かれる理由、少しは理解できる気がしません?