2020年7月11日土曜日

法律を学ぶのは楽しい?

他大での授業が続々と終わっている中、青学での授業もあと数回を残すのみですね。皆さんは、大学で法律を学ぶの、楽しんでますか?

試験のためなら、まあ、楽しくなくてもぜんぜん問題ないですよね。楽しいとか関係なくて、司法試験等の勉強や、公務員試験のために勉強しているという人も多いと思います。

ただ、試験のための勉強ばっかりしていると、法律が社会でどのように使われ、何を引き起こしているのか、まったく気にならなくなります。どうでもよくなってしまうんです。だって、試験で大事なのは理論だから。判例通説を叩き込んでおけばよい。たとえば、憲法25条の生存権はプログラム規定説、ゆえに苦しんでいる人が生活保護が足りずに亡くなっても、その亡くなるかもしれない人が仮に身内でも仕方ない、だってそれが判例通説なんだから、そう考えがちになる。プログラム規定説の限界とか、なぜ抽象的権利説とか具体的権利説が提唱されたのかについてもほとんど考えなくなっていくでしょう。

逆に、普通に就活する人にとって、判例通説だけを暗記していても、何の意味もないです。覚えているだけではという意味で、もちろん覚えていて、ビジネスに応用できるなら意味はあります。

僕が最近感じているのは、いろんな学生がいるなかで、誰のための、どんな学生のための授業をするべきか悩ましい、ということですね。授業をしていても、ゼミをしていても常に悩んでいます。今のところ、就活する人、試験を受ける人、法科大学院以外の大学院に行く人、家庭に入る人など、どんな人にも意味がある授業やゼミにしているつもりです。でも、それではターゲットがぼやけていて、尖った内容にはなり得ないんですよね。まあまあよい、それくらいで終わってしまう。

僕は、学部生に対してなぜ法律を学ぶのか、どうして法律を学ぶと楽しいのか、その部分を重視したいなってずっと思っています。何のために法学部で法律を学ぶのか、昔よりもさらに曖昧になってしまっている中でも、楽しければ、職業選択として自然に法律関連職を選ぶだろうし、勉強も勝手にするでしょう。法律関連職でなくても、法律を学んでビジネスに応用できれば、他学部とは全然違うプレゼンが可能になる。そもそも法律なんて、法学部じゃなくても予備校で学べますから。実際、旧司法試験は学部要件なんてまったくなかったですし、今だって、予備試験の受験要件に法学部卒は入ってないです。しかも、何学部からでも法科大学院には入れますよね。

世界のあらゆる事象は物理で説明できるというのが、東野圭吾原作の推理小説ガリレオに出てくる湯川学という学者の見解だけど、僕はこの世のほとんどのことは法で説明できると思っています。判例通説にとらわれすぎず、ありとあらゆる事象に法を当てはめてみて、改善可能性、その手段、改善できなければ今後どうなるのか、改善によって失われる利益、費用などなど考えてみる。そうすれば、将来、この問題がどんなふうに展開するのか、だいたい予想できるでしょう。より正確に予想できた方が、ビジネスでは強いですよね。無駄な労力を削減できるし、より可能性の高い分野に投資すればいい。

法律の勉強、楽しんでますか?僕は、やっぱり学部生の間は、法律の勉強を好きになってほしいですし、法律を自分や自分の大事な人のために最大限駆使できる人になってほしいと思います。

2020年6月16日火曜日

ゼミでは就活対策はしてない?

そうですね。別に、就活対策をしているわけではないですが、僕のゼミはほかのゼミと違うので、本質的に就活に近い発想や考え方を要求していると思います。

教室や大学での勉強が「実験室」だとすれば、就活は「現場」。答えはない。マニュアルもない。みん就を読んで事前勉強してもあんまり意味はない(笑)。ここが、決定的に違うところです。

僕のゼミでは、過去の判例や学説を勉強して終わるわけではないんです。その先を考える。とりわけ、僕のゼミではまだ起きたばかりの事案を扱ったりします。まだほとんど学説や判例もないような世界も扱います。ある意味で怖いです。どうやって解くのか、皆、分からないんですもの。でも、それは実験室から外に出てみるってことなんですよ。現場で調べて考えてみるってこと。自分なりに、グループでもがいてみるってことです。

いいとか悪いとか、賛成とか反対とか、違法とか適法とか、損害賠償責任ありとかなしとか、そんなので終わっているのが「実験室」。

「現場」では、いいならもっと良くする方法を、悪いなら実現可能性を考慮しつつよりよくする方法を、賛成ならなぜか(+本当に全面賛成できるのか、改善点はないのか)、違法なら適法にする方法、損害賠償責任ありなら責任を免れるにはどうするか、それが結局、社会にどんな影響を及ぼすのか、そこまで考えて端的にプレゼンできないと、"in vain"(無駄)。

現場には一週間の猶予なんて絶対にない。目の前で処理するセンスと能力がすべて。しかも、考えて即座に話せないと、相手には伝わらないし。メモを作る暇はぜんぜんないので。

他のゼミのことはわからないですけど、僕は、医療と法という題材を使って、毎回、こういう作業を学生とやっています。就活のためにではなく、その先のために。だから、就活対策はしていませんし、学生のこともあまり心配していません。真面目にゼミに出ている学生は、いつもやっていることなので(笑)。就活、頑張ってください。




2020年6月7日日曜日

サイレント・ヴォイスー先入観から離れてみる

面白いですね。心理学の基本的な知識がたくさん出てきます。ああやって、犯罪捜査のためだけに使うのは心苦しいですけど(笑)。

心理学は一般教養でも学べますけど、その奥は深い。法律も奥は深いけど、心理学の本質は本当に深いと思っています。僕は専門家じゃないから、すべてはわからない。それでも、知ったかはしないように、それだけは忘れないようにしています。奥が深いのは、対象が「ヒトの心」だから。法律は、ヒトの心も扱うけど、むしろ具体的に表現されている「利益」が大事。ヒトの心よりは利益の方が見えやすい。ときどき、今の世の中では十分に理解されておらず、認識されてもいないのに守られるべき利益があったりするけど、それはまた別の場面で話したいです。

法律にも通じるのは、先入観を忘れる大事さかな。ヒトの心はわからない。行動心理学で、一般的には何を考えているのかを想像することはできる。でもそれは、目の前のヒトの考えそのものではない。それが一番大事。

法律も同じ。前も書いたけど、似た事案には似たルール、同じような処理が基本。僕らは通説や基本判例を覚えて、それを普段から使える訓練を受ける(実際にはぜんぜん使えないんだけど(笑))。先入観というか、似た事案には似た解決法、そういう考え方にずっぽりハマるのが学部の4年間。

でも、それでは足りない。判例通説でなんでもかんでも解決できると思うのは、行動心理学で目の前のヒトの心を理解した気になっている素人と同じ。たいていの場面は当たっているかもしれないけど、それは常に当たることを意味しない。法律でも同じで、判例通説で処理してよい事案かどうか、それとも例外が適用される場面か、その部分を丁寧に扱いたいんです。最善の利益を実現するために。

似た事案は、過去の事案と完全に同じではなく、目の前のヒトは一般的な人々でもない。事案には必ず個別具体的な背景があり、発生した時刻もその後も違う。ヒトなんて、同じ人はぜんぜんいない。この重要な事実を、法学部にいる間に僕らは忘れてしまうんです。なぜなんだろう。

その答えは、僕らが目の前の事案やヒトではなく、理論や教科書の知識を大事にしすぎるから。実際の場面では使えない理論や教科書の知識から少し離れて、具体的な事案やヒトを見てみてください。

授業で扱う事案はしょせん過去の話。どれだけ調べてもすべての事実関係を正確に知ることはできない。証拠や証人を介して真実に近づくことはできるかもしれないし、判例集や教科書には法令等を適用するのに必要十分な事実の要約が書かれている。でも、それは事実のすべてではない。知らない事実が、事案を決定的に変えてしまうかもしれない可能性、考えたことありますか?

話をサイレント・ヴォイスに戻しましょう。心理学を学ぶと、先入観から離れようって思えます。目の前のヒトの心が分からないように、事案も過去の類似事案とは違いますよ。それを忘れないで勉強しましょう。


2020年5月11日月曜日

授業ではエッセンスだけ聞き取る!

オンライン授業は、相当負担が大きいですね。とくに、大学によってはリアルタイム型でも課題を組み合わせることが必須となっており、ソクラテスメソッドで授業する身としては二重に苦しいです(笑)。

僕の授業にはたぶん、合う人と合わない人がいて、要領のいいヒトは毎回、良い成績を取っている印象があります。大事なことだけ覚えていて、それを使って問題を解くだけだから。まあ、他の講義とは違いますよね。エッセンスだけでいいんです。頭いいとかあんまり関係ない。聞き取って覚えるのはエッセンスだけ。雑談も、究極のところエッセンスを覚えるのに繋がると思うから話すだけ。純粋に楽しいから話すことなんてないです。これはマジ。

問題は、エッセンスがどこにあるのか、ですよね。
ワンスライド、ワンメッセージは基本ですけど、授業のテーマは1つで、必ず分かってほしいことを明確に、何度も繰り返し話しています。

エッセンスがどこにあるのか、それだけは大事にして授業を受けてみてください。





2020年5月5日火曜日

個人情報の流出に関する使用者責任 by UK Supreme Court

最近、英国の最高裁で個人情報の流出に関する判決が下されました。日本の研究者や実務家が期待する結論とは真逆。予測が当たったかどうかより、やはり、判例法って面白いです。原審と第一審で責任が認められていたのに、最高裁でひっくり返る。そして、最高裁の方がこれまでの判例法理からすれば当然の大きな流れ。なぜなら、故意による不法行為(本件では犯罪行為)に関する使用者責任は限定的に捉えるのが原則だから。個人情報の流出だから特別に責任が認められる、とはならなかったわけです。残念なのは、最高裁が損害論には踏み込まなかったこと(踏み込むまでもなかったんだろうとは思います)。

※グーグルの事件では、控訴院が損害を認めているみたいで、本件を含めて控訴院までは実損なしの損害を認める方向なのでしょうね(一審で否定されていたので、安心してたらひっくり返ってました)。額の算定の問題にはまだ一度も踏み込んでないのは、あまり指摘されていませんが。参考として、GDPR違反、制裁金よりも怖い代表訴訟と巨額賠償, available at https://blog.bizrisk.iij.jp/401

ちなみに日本では、損害賠償額がいくらか(ゼロも含めて)でもめています。最近の判例では、使用者責任の成立自体はほとんど問題にされていないはず。

UK Supreme Court Rules Morrisons Not Vicariously Liable for Malicious Data Breach by Employee by Sidley Austin LLP, available at https://www.sidley.com/ja/insights/newsupdates/2020/04/uk-supreme-court-rules-morrisons-not-vicariously-liable-for-malicious-data-breach-by-employee

WM Morrison Supermarkets plc v Various Claimants [2020] UKSC 12, available at https://www.supremecourt.uk/cases/docs/uksc-2018-0213-judgment.pdf



麒麟は来ない?ーいや、たぶん来る

麒麟が来る、面白いですね。平らかな世が来るといいですね。
でも、人任せにしていても麒麟は来ない。それを痛感しています。ドラマを見ながら。

何のために法学部にいて、法律を学ぶ?麒麟を招くためじゃない。自分のために学びます。当然そう。自分のために法律を使えないヒトは、みんなのために、誰かのために使えるわけないでしょ

第一回目のゼミ、プレゼミを終えました。プレゼミ生や、はじめて僕のゼミを体験する3年生にとっては、驚きかもしれない。別に判例や学説の勉強をするわけじゃないから。生の事件を僕らなりに斬る。初めて経験する人もいるはず。僕は、アメリカのロースクールで体験しました。衝撃でした。暗記じゃない、生の学問がそこにあったから、凄く面白かったのを今でも覚えています。

1時間半の時間、グループごとに必死に考えてプレゼンに落とし込んでみる。時間足りないとかありえない。長すぎるくらい。危機は待ってくれないし、一瞬一瞬が勝負。そういう訓練を15回したら、就活の面接は怖くなくなる。自分らしい内容でプレゼンし、相手と話せるようになる。僕にとっての「麒麟」はそれかな。それで皆の夢が叶えば一番いい。仮に叶わなくても、夢に近づく助けになれればそれだけでいい。

楽しい法学って何だろう。僕にとっては武器になる、役に立つ法学だと信じて止まない。正義はたくさんあるから、どの正義でも実現できるような腕を、知性を身に着けてほしい。そこに大学は関係ないのだから。

(A photo taken at Ginza area, where few person existed in May 2020)

2020年5月3日日曜日

法律は生々しい学問ー形式や表面的な当てはめは危険?

ようやく、青学での講義が始まりますね。もう、待ちくたびれた感じがしてます。ほかの大学では講義、スタートしていますし、あまりトラブルとかないので(笑)。

オンライン授業していて、感じているのは、法律問題を形式的に、表面的に捉えている人が多いことです。駄目っていうのじゃなく、それだと法学部じゃなくてもいいよなって、悲しく思うんですよ。

法律はルールで、ルールは言葉からできている。だから、言葉のパズルで結論は出ます。人によって、時代によって法解釈は変わりうるけど、まあ、パズルです。要件を満たせば効果が生じるだけなので。ただ、皆、その先を考えなくなっている。暗記するだけになっているんです。この結論で本当に良いのか、自分の身の回りで同じことが起きても納得できるのかどうか、結論を変えるにはどんな法解釈が必要か、それで誰かに不都合は生じないのか、そこまで考えないと、ただのパズルゲームになってしまう。パズルゲームでよいなら、数字をいじる経済学部や経営学部でもできます。文学部でも教育学部でもできるでしょう。理系の学部にもたぶんできます。でも、単なるパズルじゃない。人生を、社会を大きく変えるパズルなんです。

僕は、結論を予測できるようになってほしいんじゃなくて、そのパズルを自分なりに自由自在に解き、答えが不適切なら変えるために何をすべきか分かる人になってほしい。それは、少しかっこよく言えば、自分なりの「正義」を実現できるようになるってこと。変なものは変、よいものはよいって言えるようになるってこと。

ドラマ「BG」のセリフでいうなら、法を破っても依頼人を守るっていう前に、できる限り法を破らないで依頼人を守り、最悪の場合、緊急避難として依頼人を守るって感じかな(笑)。最初から、法を破りたい人はいないから。

医療では人が死んだり、負傷したり、後遺症が残ったり、副作用で苦しんだり、そんな人の事件を扱います。他人事じゃなくて、自分にもいつ、降りかかるかわからない出来事です。メスは握らない、診察も治療もしないけど、メスで切られたり、診察や治療を受けない人はいないでしょう。薬を飲まない人、体温計などの医療機器を使わない人もいないんです。身近な世界でありながら、リスクは大きい。そのリスクに背を向けたら、病気で死んでしまうかもしれない。それが医療の世界。法学部で扱う、自分が一生で一度も出会わないような話じゃなく、必ず遭遇するかもしれない事件を扱い続けます。見たくない世界も見ます。信じたくない世界も知ります。生々しいんです。要は。

生々しい現実を踏まえて、僕らは議論し、現実を変えたければ変える術を考え、行動する。そこまでできて法学部なんじゃないかな。ルールを形式的、表面的に語るのは誰でも出来ちゃう。法学部じゃなくても可能だよ。

僕は事件から入るのが好きだな。ルールから学ぶ前に、事件から入り、そのあとに関連するルールを調べる方がいい。そうしないと、形式的に、表面的に事実をルールに当てはめたり、答えを出しちゃうから。あとは、裁判官みたいに事件を眺めるんじゃなく、どちらかの当事者の側から事件を眺める。そうすると、いろいろと見えてきますよ。

ちなみに、もし、ある事実をルールに当てはめたら、目の前のヒトだけじゃなく100名が負傷ないし死亡しても仕方ないっていう結論が導かれたら、どう思います?多くの法学部生は、「仕方ないですね」って言うんじゃないかな。僕は、「?」思うけどね。

2020年4月28日火曜日

本気で臨めるか?

本気を出して負けると悲しいし辛いから、ヒトは全力を出し切れないことがあります。授業もゼミもそう。全力を出して上手くいかなければ、凹みますからね。なら、最初から8割ないし7割で臨む。そういうやり方もあるのかもしれない。恋愛は特にそう。振られたら、傷つくし(笑)。

皆からすれば、講義やゼミに上手いや下手なんてないのかもしれない。そんなのどうでもよくて、単位を取れて、友だちと一緒に楽しければOKなんだろうな、とも思う(笑)。それでも、これは僕の「売り物」なんです。研究してればいいんじゃなくて、お金貰って提供している以上、一定水準以上で、満足してもらいたいとは思うし、他の誰より上手くやりたい、そう思っています。無駄な努力なのはわかっていても、ね(笑)。

オンライン講義のテストを終えて、ようやく、青学でも講義がはじまりますね。ワクワクする一方、上手くできるのか不安もあります。もちろん、他大ではすでにオンライン講義がはじまっていて、そういう意味での緊張はないんですけどね。

プレゼンもそう。最初から全力を出せないと、相手を知り、戦略を練ってきてもぜんぶ無駄。現場がすべて。準備が良くてもぜんぜん意味はない。It's a showtime! その場を楽しめるくらい、全力で臨めるように訓練しませんか?感情を移入して、目的のために話す。そうすると、棒読みには決してならない。プレゼンは、セリフの読み上げじゃないんです。伝えたいことを伝え、理解してもらい、できたら自分の側に振り向いてもらう。自分に有利な結論を選んでもらうプロセス。一方的なものじゃなくて、間合いがある。(実は、講義やゼミも同じで、毎回、毎年同じようにやろうとしてもできないんです。

法学部では、この中に法的なパズルが加わる。どうやったら法的な理論構成やエビデンスで相手を納得させられるのか、そういう視点が加わるから、他学部よりも一段上のプレゼンになるし、面白いんだけどな。とくに、リスクがある世界の話ではなおさらそう。普通のプレゼンは、どこの学部でもやるけどね。

青学では5/4が、僕にとっての初授業。それまでには、全力で臨めるように、準備しておきます。

2020年4月27日月曜日

プレゼンしろと言われたら

皆さんならどうします?授業などでプレゼンしていても、ここはあまり注意が払われていない。でも、最も大事な点を忘れてはいけないんです。

まず最初にすべきは、プレゼンの相手を想定すること。具体的にです。自分の売り物や情報も大事だけど、まずは相手を具体化する。これを無視すると、プレゼンは終わり、無駄です。実際の相手がいるなら、そしてある程度の時間があるなら、相手をプロファイルする。そのうえで、プレゼンの戦略を練ることになります。逆に相手がまだいないなら(そして、こっちの方が多いんだけど)、想定します。具体的に。たとえば、家を売るなら、何歳、性別、家族(子どもの有無や人数)、収入、ライフプラン、転勤の有無、実家との関係などを想定してみる。こういう想定から、相手が何を期待していて、自社のどんな点を評価しており、どこを不満に思うんだろうか、最後に購入してもらうにはどんな情報をどんな順序でどのように話すのが良いか、そういうふうに考えていくわけです。

目の前の相手にモノやサービスを売るのではなく、想定された人向けのプレゼンをする場合、おそらく、2通りありますね。1つは、今、自社がどちらかというと売り上げを上げている対象へのプレゼンなのか、逆に自社が苦手としているような対象へのプレゼンなのか。後者を選べばリスクは高いけど、まあ、上手いプレゼンを考えたら評価されますよね。前者なら、自社をある程度評価してくれる方へのプレゼンになるので、評価点をさらに高め、不利な点を補うようなプレゼンになる。オーソドックスに言えばです。後者は、そうはいかない。そもそも、自社より他社を好む人へのプレゼンになるので、相手に見えてない価値を提示して、なおかつ他社に見劣りする点をケアする必要がある。このセグメントのヒトは、何を重視しているのか、その結果、どんな買い物をするのか、何に満足を覚えるのか、そういう分析が必要ですね。

要するに、プレゼンには無味無臭はあり得ないってこと。甘い香りの香水か、すっきりした香りの香水か、ブランド物かそうでない物かなど、個性が出てきて普通。それは、営業成績を上げるためには当然。他社と差別化し、自社の製品やサービスを売るんだから当然ですね。法学部でやるプレゼンや弁論は、はっきり言って無味無臭。誰がやっても、誰が聞いても同じだもん。それは、プレゼンじゃない。外に出てから絶対に通用しないんです。

法律を学ぶと、理論構成ばかり気になる。法令の何条か、要件を満たすのかどうか、証拠をどう使うか、どう見せるか、どう話すか、そもそも、誰に向かって話しているのかを無視していることが多い。レポート書くときもそう。誰に向かって、誰のために書いている?そんなこと、あんまり意識してないですよね。きっと。

ここに書いてあるのは当たり前のことなんだけど、法学部では絶対に教えないんだよね。それは、プレゼンする機会がないからなんだと思う。教員も学生も。相手次第で、話し方や見せ方は大きく変わるけどな。本当は。

忘れちゃいけないのは、プレゼンは、売り物や売るサービスそのものじゃないってこと。プレゼンの良さは、結局、売れてなんぼです(笑)。だからこそ面白くて、いろんなアプローチがあるんだよね。相手次第、自分次第で。ドラマ、「家を売る女」とかでは、それが綺麗に示されれて面白いです。就活終わるまでは、「素」でもいい。その方が評価されることもあるし、「素」だけでよい評価を得る人もいる。でも、就活の先の世界では、結果を出すのは意外と大変ですよ。素だけでは、結果は出ない世界、いち早く見てみてください。

2020年4月26日日曜日

心が疲れたら

空を見上げるようにしています。法律を学んでも、誰かや自分の心を癒せるわけじゃないし、僕らができることってあんまりないですよね。ゆったり、自分が支配できない世界、たとえば雲や星の動きなんかを見ていると、落ち着きます。ああ、どうしようもないことってあるよねって。

普段、法律の話ばかり書いているけど、今日は、心の話にしたいんです。僕自身が、少し、心にぽっかり穴があいたみたいになっているから、ではないんですけど(笑)。新型コロナでうつ病になる人もいるみたいですし、少し話題を広げようかと思いました。

講義中は、約束は破られるとか、契約を破る自由とか教えてますけど、まあ、辛いですよね。約束や信頼が裏切られたら。そりゃ、裏切られる方にも非があるかもだし、悪いんだろうけど。でも、大事なのは、破られた方に金銭的な価値に換算できない損害が残るかも、っていう現実です。契約違反の場合、普通は代替物を手に入れられて、損害も金銭換算できることが多い。他方、心の場合、金銭換算できないのが普通(日本なら慰謝料は一応あれど、そういうのじゃなくて、苦しいとか悲しい思いは消せないし、心の代替物なんてない)。もちろん、破る方も心の痛みはあるのかもしれないですね(笑)。破られた方にはわからない痛みや苦しみが。

破られない約束や契約がないからこそ、一緒にいられる、一緒に行動できる時間はとっても貴い。そして、約束や契約が破られたら仕方ないんですよ。前向くしかない。時間は戻せないし、破った人を非難しても何にもならないし。後悔先に立たず、ですよね(笑)。ああ、約束しなきゃよかったとか、契約しなきゃよかったなんて、言っても無駄なんです。

ヒトとヒトでいったら、出会ったら別れ(最後は死別)が予定され、別れたらまた新たな出会いがあるのかもしれない。約束や契約が破られた時には、先のことなんて考えられないくらい辛く苦しいかもだけど、時間は止まらない。必ず進みます。嫌でも前に進む。そんなときに、空を見上げてほしいんです。雲や星が移動すると、時間が流れているって気づけます。同じ場所に留まれないんだなってことも分かりますよ。

法律を学んでいても心は癒せないですけど、騙されにくくはなるかな。そして、約束や契約を破られても、被害を最小にする術は身に付きます。もっとも、それでも心の痛みは消えません。消えない損害、心の痛みや苦しみ、その存在を知っているかどうかで、ヒトの魅力は格段に変わるんじゃないかなって、僕は思っています。約束や契約、破られたら破られただけ、強く、魅力的なヒトになれるかもしれませんね。

(With great memories forever, even though we sometimes face breach of promises or contracts. )

2020年4月25日土曜日

弁護士資格がないとできないことはあれど・・・

法学部を出ても、弁護士資格を得ることはできませんね。それなら、予備試験の勉強をした方がいいかもしれないし、そうでなくても、ロースクールに入るための勉強をした方がいいのかもしれない。それはそう思います。法学部ってやっぱ意味ない?法学は死んでる?そういうことが言いたいんじゃないんです。僕が言いたいのは、法学部の本質は別にありそうだということ。

SUITSというドラマ、見直しています。それ以外のリーガルドラマも見直しているんですけど、NetflixにおけるSUITSの説明文が秀逸。Netflixでは、「弁護士に必要な条件とは、賢く、機転が利き、弁が立つこと。それさえあれば、弁護士資格は必要ない?」って書かれています。イケてる。

弁護士資格がないとできないことって、ありますよね。非弁活動は厳禁です(笑)。弁護士法違反になる。でも、それ以外は別に禁じられていない。他方、弁護士が持っている能力って賢くて、機転が利いて、弁が立つだけなのかな。

僕は弁護士じゃないけど、普通に頭が良くても、良い弁護士って言えない気がします。賢くて機転が利いて弁が立っても、僕はそれだけじゃ雇いたくない。それは、信頼感の問題であるし、やっぱりセンスかな。頭良くても勝てない事件はたくさんあるし、処理の仕方は過去の事例が教えてくれるわけではない。目の前の事件を上手く解決するために最善を尽くせる人って、あんまりいないんだなぁ。皆、ふりはするけど。

表面的にみると負けそう、自分側に非がありそうなんだけど、全体をみたらやっぱり変、そういう時に、頭のいい弁護士は「まあ、不利ですね、厳しいかも」って言うでしょう。それは間違いじゃないんだと思うんです。僕が大事にしたいのは、そう、表面的にはそうなんだけど、やっぱり変かどうか、このままじゃダメかどうかっていう判断が付くかどうか、なんです。ドラマ、「グッドパートナー無敵の弁護士」では、この点が強調されてましたよね。

法学部を出た後、別に弁護士にならない人は数多くいます。その人たちにとって、本当に大事な能力は、もっともそうに言われている情報が法的にみて妥当なのかどうかの判断が付くセンス。世間は真逆に言っていても、やはりいいならいい、駄目なら駄目って考えられる力。判断できたら、その次に必要なのは、もし、その判断が所属先とずれている場合の対処能力かな。所属先によって、いいというべき時と、駄目というべき時がある。本当は駄目と言いたいのに、所属先のせいで駄目と言えない、いいと言わなければいけないとき、あなたはどうします?そんなことは、弁護士は考えないし、考える必要もない。弁護士として、駄目だと思うって言えばいい。でも、資格のない僕らは、そう簡単には言えないんです(笑)。僕らは、なんで駄目なのかを会社に説明するか、または、いいというにしてもある程度の手続きを踏んだり、警告をしたり、一定期間後に見直しをするなどの対策を講じるくらい、ですかね。最後の結末について複数の可能性を予測できなければ、こんなことはできないです。

法学部では、組織の中で法というか、あらゆるルールを駆使できる能力を学ぶ。そこでは、別に法的な知識だけじゃなく、あらゆる知識が力になるんじゃないかな。

弁護士になるかならないかにかかわらず、法学部で勉強しません?少し真面目に。
きっと、あなたの将来を変えますよ。もちろん、よりよく。



2020年4月20日月曜日

What is going on in this special situation?

授業開始が遅れて、皆が対応に追われていますけど、法的にはとても興味深いことが起きています。医療と法のゼミにとっては格好の材料がたくさんある。政府や都道府県知事が行う様々な政策の根拠、探してみたことありますか?侵害留保理説を採用すれば、法律がなくてもできることはもちろんある。たくさんある。でも、実際のところどこまでの行為が、法令の根拠なしに行われていて、どこから法令の根拠ありで行われているのか、調べてみたことありますか?

自粛要請は、あくまでお願いであり任意に従われるものだから、「国民の自由」や「財産」を侵害する行為でない。形式的にはそのとおり。でも、さまざまな経済活動は制限され、お金を稼げず、事実上苦しい生活を強いられる人々は多い。それ以外の選択肢が事実上ないのに、自発的に、任意に従ったと言われてしまう。その上、自粛要請で不十分なら、政府としては罰則付きの法律を制定するのみ。繰り返しゲームで考えたら、最初から自粛要請をある程度受け入れておくのが最も賢い、でしょうね。罰則付きでも、罰則なしでも、国民がやることは結局いっしょなのだから。こうやって考えてみると、行政法の最も基本的な考え方「法律による行政の原理」は簡単に形骸化してしまいます。とくに、事前に対応のための立法が行われていない場合に今回のような緊急事態が発生すると。

僕が政府の人間なら、公益のためにぎりぎりのことはなんでもやりたい。侵害留保説では何ら問題ないのだから。人命を救うために、一定の制約は公共の福祉に適う。だから、賠償責任もないだろうと。実際、今のところ結果は悪くないわけだし。

でも、一般市民の立場なら、法律って意味ないんだなって痛感する。法律を通しても通さなくても、経済は事実上制限され、多くの人が苦しんでいる。結果、多数の自殺者が生まれても、侵害留保説では全く問題なく、特措法上の緊急事態宣言後の話はなおさら違法性はない、果たしてそう言えるのか。適切なプロセスで判断され、その判断が合理的なものかどうか、それが究極的には問題になりうる。

法律を勉強していても、今起きている事象を分析し、改善する方法を発見し、他人に説明できないなら、あまり意味はないかなって、思いません?世間みたいに、ただただ批判することはできる。誰にでも批判を向けることができる。でも、政府がなぜ、ああいう方法で何かしらの政策を行うのか。僕らはその根拠を、ちゃんと調べてみたい。法学部じゃないなら、法的な観点を無視して批判すればいいけど、僕らは法学部なのだから。

2020年4月11日土曜日

法学の「死」(6)第4講ー裁判の基準で大事なのは?

法学入門の第4講は、正直、読むのが辛くなる。そうだよね、とは思うけど、学生が読み進めてくれるかは不安極まりない。シンプルで、とても分かりやすいのはよいのだけど。

僕が思うのは、制定法以外にも法源はあり、とくに判例法は重要。最高裁判例がない場合こそ、僕らが勉強すべき。最高裁判例がある場合、原則として最高裁判例に支配される。他方、最高裁判例がない場合、そうでもない。自由度がある。この自由度の中で、自分のクライアントに有利なルールを発見できるかどうか、それが一番面白い。

それに、仮に最高裁判例があっても、事案が異なれば、射程外になりうる。射程内か、射程外か、その判断は最高裁が決めるわけだから、自分のクライアントに有利になるように、射程内と射程外を使い分ければいい(最後は、最高裁が決めるけど)。法学入門では、ミカン園のミカン売買に関する1916年大審院判決がりんご園のりんごや梨園の梨、桑畑の桑の葉にも適用できるというし、桑の葉については判例(1920年大審院判決)もあるという。そうかぁ、まあそうだよね、と思うけど、りんごや梨はまだ明らかではない。最高裁は無言だから。別な結論が欲しければ、議論せざるを得ないってことになる。そこの未解決の部分こそ、法学部で検討すべき面白い点。

暗記は大事だし、一定の範囲では必要ですけど、より大事なのは裁判の基準を考えること。もっと言えば、(有利な)基準を作り出す議論を考える能力を養うこと。

制定法と慣習法との関係や、条理の関係を覚えるのも大事だろう。それでも、もっと大事なことがあるし、面白いことが法学部では学べますよ。


法学の「死」(5)第3講ーヒトによる裁判の意味

法学入門の第3講、法と裁判は、凄く綺麗にまとめられていて、コメントしにくいです。ただ、これを読んでも、法律を学びたいって思える学生は稀でしょう。

裁判は、ヒトを中心としています。証拠はヒト(証人)よりモノ、を重視するかもしれませんが、ヒトに依存して成り立っています。弁護士、検察官、裁判官。ぜんぶ人ですね。どんな人でも間違えるのに、裁判官には司法権の独立、自由心証主義が認められている。AIに任せた方がいいんじゃないのって思う学生がいてもおかしくない。

AIって、間違えないんじゃなくて、確率論でしかものを言えないんです。何%の確率で○○、△△、◇◇、っていうだけで、有罪とか無罪とか、違反があるとかないとか、損害賠償額をスパッと決められるわけではない。確率論的に、いくらからいくらまでの間。そういう言い方はできるかもしれないけど。

要するに、AIって、裁判をサポートできても、裁判自体を決着させにくい技術とは言えます。もちろん、むりやり決着させようとすれば、できなくはないですけどね。逆に、裁判支援に限定して使うと、裁判官に一定のバイアスを与えるので、裁判官の自由心証主義には抵触するかもしれません。裁判官は、すべてを見通す力があるから、別にAIに支援させてもいいっていう考え方もあり得ますが(笑)。

皆さんは、AIに裁かれたいですか?僕は、間違いがあってもヒトに裁かれたいです。ヒトとして弁論し、ヒトに評価されて、それで裁かれたい。民事でも刑事でも。間違えはするでしょうけど、それでもヒトがいい。ゼロ・イチの確率論や見えないアルゴリズムより、義理・人情やいわゆる見えないロジックに身を委ねたいんです。

あとは、間違えるって分かっているからこそ、自省的に法律問題を扱えるんじゃないですかね。学者は、常に間違えない前提でいますけど、いや、間違えますよ。必ずヒトは。

こうやって考えてみると、第3講の法と裁判の部分も、何となく、少しは面白くなりませんかね。ヒトが法を創り、ヒトが裁判の中心にいる意味、結構深いと思いませんか?

雨のち晴れー視点を広げる

ミスチルの歌じゃないですけど、雨のち晴れって、凄く大事。短期的にみると、凄く悪く見えても、中長期の観点から見れば、まだマシかもしれないし、逆に先はもっと明るいかもしれない。就活の最中は、こういう感覚を常に持っていてほしいです。

僕は、出張の時以外には草木に毎日水を遣っています。草木って、水の吸い込み方が毎日少しずつ違いますし、葉や花の元気も違うんです。ちょっと弱ったかなと思って栄養剤を使うと、実は草木は弱ってしまう。のんびり、草木と対話っていうとポエティックですけど、目の前の現実を大事にしたいと思っています。

今朝なんか、突然、道を歩いていたらハトのフンが落ちてきました。幸い、ギリギリで当たらなかったのですけど(笑)、そのあと車に轢かれたら、きっとハトのフンを浴びて、立ち止まり、事故を回避できた方がマシだったって思うかもしれない。車にも轢かれなくて済んだので、今日は幸運でしたが。

雨は必ず止みます。早く止むときもあるし、長引くときもある。少し考えたら、雨がない世界も困るってわかる。少し、視点を広げて毎日を過ごしましょう。

2020年4月10日金曜日

オンラインで話すのは難しい

非常勤先では、Zoomを使ったオンライン授業が始まっています。青学は、5月から「Webex」を使うみたいですけど、まあ、大変ですね(笑)。少なくとも、僕は難しいなって感じています。英語でやるのはなおさら難しいかな。会議とは違うし。決まったことをただ話すだけなら、こんなに楽ちんなことはないんですけど。

インタラクティブにやるだけなら、別に、普通の講義よりもやりやすいですが(名前が示されているし、ある一人をパッと当てやすい)、伝えたいことを伝え、理解してもらうのが難しいんです。チャットが入るし、手を挙げる人もいるし。番組のMCってこんな感じかも。シナリオ、僕なりのはあるけど、ぐちゃぐちゃになっていくので。

就活でも、Zoom等のオンライン会議ツールが活用されそうなので、皆さんには早く慣れてほしいですけど、その前に僕が駆使できなきゃなぁ、と。

何事も慣れという部分はあるので、Zoomなどを使って、早くオンラインでの会議やグループディスカッションに慣れてほしいです。

こんな機会でもなければ、Zoomとかを学生時代に使うことはなかったかもなので、是非、頑張りましょう。僕は仕事として、頑張ります。

(A photo taken at Ginza area)

2020年4月4日土曜日

Only one experience we could have for life

こんな経験をするのは初、人生でこれっきりかも。多くの人が傷つき、苦しみ、亡くなり、法令の専門家でさえ対処に苦慮する事態が目の前にあります。こんな状況下で、法律を学べるのは間違いなく貴重です。なぜかって言えば、「法の無力さ」を痛感することができるから。法が無力だからこそ、僕はらはその無力な法をよりうまく使う方法を学ぶ。無力な法でも、使い方次第では人が傷つきますし。

法律を学んでも、別に何も変わりません。資格が得られるわけではないし、賢く生きれるわけでもない。僕らが知るべきは、法には欠缺がたくさんあって、無謬ではありえず、しっかりつくっても上手く使えないという現実です。法学部生は、誰よりも早くそのことを知ることができます。裁判をしても勝てない、仮に勝ててもなんの足しにもならない。そんな現実を知るんです。

新型コロナウィルス感染症の関係でいうと、法令があっても人の命って救えないんです。救うのはヒト、医療従事者。もちろん、感染の拡大を遅くしたり、拡大を防いだり、感染した方の隔離や治療を支援したり、物資を調達したり、そういうことは法令にもできます。でも、亡くなった方を生き返らせることは当然としても、感染者の方々を治してあげられるのはヒト、だけなんですよね。

昔、少し大掛かりな検査を受けた時に、大学病院の先生がおっしゃってました。医師は病気を治そうとできるけど、お金がない患者さんを救えない。それは、法律を勉強している人に何とかしてほしいよって。今思うと、法律勉強しても、お金がない患者さんを十分に救えていないし、この状況下では、お金がある患者さんさえ救えていないんです。パンデミックのもとでは、日本の健康保険制度は他国よりはましかもしれないけど、それでも、十分には機能していない。たくさんの保険料と税金を投入しているのに、です。

未曽有の危機を経験した人とそうでない人なら、ぜったい、前者の方がよりよく生きれます。不謹慎な言い方になるけど、ピンチであればあるほどチャンス。そう思って前向きに行動しましょう。

Right timing, words, and actions

志村けんさんが亡くなられましたね。心からお悔やみ申し上げます。なぜなのか、志村さんの生い立ちを調べたりしていました。小さいころから身近に感じていたコメディアンなのと、自分の父親と同い年だからかも。

法律問題に答えがなければ、より正しいタイミングに、より正しい言葉で話し、より正しい行動を行ったり、相手を導かないと、自分の期待する結末を作り出すことはできないです。法学部では、そういうことは普通学べないけど、これが真実です。

実は今日、2020年4月3日(金曜日)は、国立ひたち海浜公園が一時閉園する前の日でした。公表されたのは4月2日、そう、昨日なのです。ネモフィラが咲く「みはらしの丘」は5分咲きで、これから満開になるところでしたが、来客を待たずに閉園となりました。もちろん、新型コロナウィルス感染症対策のために。休日の混雑を考えれば、仕方ないのかもしれません。屋外でも、密集は避けなければいけないですし、なにより、国立の公園なので。

何もしなければ、一時閉園の時期も事実も知らないままでした。でも、たまたま今朝、知ることができ、僕は見に行くことにしました。平日で、「密閉」、「密集」、「密接」のどれも当てはまらないので。

みはらしの丘には、明日から閉園になるのに作業している方々が多くいらっしゃって、ネモフィラを育てたり、雑草を取ったりされていました。五分咲きと言われているネモフィラは、とてもきれいに見えました。おそらく来年まで、もう見られないからです。

チャンスの後ろは禿げている、という言葉があるように、チャンスはそんなに転がっていないです。今しかない瞬間を逃さずに、正しい言葉で、正しい行動を。それはなかなか難しいですけど、訓練することはできます。志村さんは、どこでどうすれば笑うのか、きっと知っていたんでしょうね。計算しつくされた笑いがあったのかな、と今更ながら思います。子どものころは、何も考えずただ笑ってたけど。

コロナウィルス感染症対策が功を奏して、感染拡大が止まることを祈って。













(@Hitachi Seaside Park, on Apr. 3, 2020)


2020年3月30日月曜日

法的なセンスは、成功を約束しない?

"Breaking Bad"や"Better Call Saul"を観ていると、法的なセンスって成功を必ずしも約束しないし(短期的には成功をおさめられたとしても)、センスは良くても人間としては「?」って思えるようなことをしてしまうんだと、改めて痛感します。

法は道具なので、要は使い方。僕のゼミでも結局、言い訳とか言い逃れとかつじつま合わせだけが上手くなる人もいます。稀に、ですけど(笑)。でも、それって中長期的に見たら、ぜんぜんよくないですよね。だって、必ず嫌われますから。間違いなく。切れる包丁を振り回せるようになっても、必ずしも料理をおいしく作れるわけじゃないし、ヒトを幸せにできるわけでもない。最悪、ヒトを傷つけてしまいかねないでしょう。そんな人は、魅力的でもないし、他者から好かれないでしょう。

結局、使い方なんです。道具でしかない「法」をどう使うか。使う人がだめなら、魅力的でなければ、どうしようもない。僕のゼミでは、魅力的な人間を作り出せるわけじゃなく、そのヒトが法を上手く使えるような手助けしかできないです。

ゼミを出るとき、何を思えるか。悪事ではなく、適切な目的のために法を使えるのか。法を使って自分や誰かを幸せにできるようになっているのか。できるようになっていたら、きっと、ヒトとして魅力的になっているってことです。

屁理屈に聞こえない法的な話し方、それって結局、他の人から見てもそうだなぁって思える理由付けだったり、エビデンスを駆使できるかによりますし、何より、伝えたい結論、中身がまともかどうか。人と違っていても、まともと思ってもらえる話し方、できるようになって卒業してほしいですね。




2020年3月26日木曜日

Not always "Justice for all" (正義は必ずしも勝てない…)

多くの人は「正義は勝つ、必ず勝つべき」と思って、普通は法学部に入って勉強しますけど、それは必ずしも真ならず、です。正義が最後に勝てないことはあります。もちろん、長い年月をかけて、結局のところ正義が勝つとか、少なくとも勝ったように見えることはあるんですけどね。

正義が勝てないのは、正義って誰の正義かっていう点を保留にしているから。別に、政治の話をしなくても、皆の正義ってなかなか難しいですよね。ある宗教から見た正義、ある組織から見た正義、ある個人から見た正義はそんなに難しくないんですけど、皆にとっての正義って、皆が同じものに究極の価値を置いていないと、ね。

法学部に入って、この事実に気づけたら、法律の勉強はもっともっと面白くなるはず。誰のために法律を使うのか、皆のためってかっこいいけど意外に難しいんだよなということに、1年生の早いうちに気づいてほしいです。

高校生までは、この世に正義はただ1つ。教科書がすべて、先生が言うことがすべてだったはずですけど、大学では違います。先生も間違えるし、教科書だって数ある文献の1つに過ぎないことを知ります。この世に神がいるとして、先生や教科書は神のような存在では決してない。

今日、あるニュース記事を見た知り合い(同僚)が、なんで正義が負けるんですかって質問してきたので、正義は負けますよというか、必ずしも勝てないですって答えました。

誤解してほしくないのは、正義に負けてほしいんじゃなく、正義は1つじゃないし、場面場面に応じて変わってきやすいもの。だからこそ、正義が負けるなんてという言葉にはあまり価値がなくて、どうして負けたのか、どうしたらその人の正義を貫けたのかを分析し、あらためて実践してみるしかないんです。だって、時間はぜったいに戻せないんですから。

(A photo taken at a temple, in Nakano Special District)

Commencement for 2020

卒業式はなかったけど、3月25日、青学には比較的たくさんの学生が集結してましたね。本当ならば、時間差を設けて、もう少し人が集まらない形で写真撮影とかが行われたらよかったかも。もちろん屋外だから、屋内で密集するよりはマシなんですけどね。学生も集まった方々も、どうか新型コロナウィルスやインフルエンザ等に感染していませんように、心から祈っています。

ご卒業、本当におめでとうございます。

僕は今年度、卒業するゼミ生には1人にも会えていません。新型コロナウィルス対策も考慮して会おうとしなかった、というのが正しいかな。最後に会えなくても、言葉をかけなくても、今後の成功と幸せを祈っているのと、何より、僕にはもう、話す言葉がぜんぜんないからです。ゼミでぜんぶ話しちゃったから(笑)。昨年度は、有志で集まって写真撮影をしました。凄く記憶に残る卒業式でした。今年度もまた、違った意味で記憶に残る卒業ですね。新型コロナウィルスは、僕らの生活を一変させてしまっていますから。

あと一週間で新年度。そのとき、卒業生の多くは新社会人としてスタートしますね。社会人は、学生とはぜんぜん違います。いい意味でも、悪い意味でもです。頼めば許してくれるとか、何とかなるのは学生まで。駄目なものは駄目な世界が広がっていますし、1回の失敗ですべてが水泡に帰すのも普通にある。そんな世界で、たくましく生きていってほしいです。

リスクがないところにリターンはない。リスクを恐れすぎてもダメだけど、向こう見ずなに進んでも危険なだけ。そういう経験を是非、してほしいです。お給料は、バイトよりももらえたら嬉しいはずです。きっと。

皆さんの幸せをずっと祈っています。幸多き新年度になりますように。健康に気を付けて頑張ってください。


(This photo was taken on Jan. 20, 2020, by Mr. Kon Akio, Photographer.  A female student in this photo asked to seal her face due to her privacy concern.  Please understand it.)








2020年3月21日土曜日

虹 by AAA

「虹」って曲が凄く好きです。法律とは全く関係ないけど、スパイ映画とか観ていると、結局、信じられる誰かをどれだけ持てるかが勝負だなぁ、って感じるんです。絶対に裏切らない人なんていないけど(笑)、まあ、それでも信じたいと思える人はこの世に必要です。すべての事象に、仮にプランBやCを用意していたら、必ず保険倒れになるので。

「虹」とはぜんぜん関係ないですが、法学部は本来、危機に最も強いはずの学部です。そうでなければ、法律を学ぶ意味がないですから。リスク上等、かかってこい(笑)。やりたいことをやるためにどんなプロセスを設け、どんな陣容で、どんな風に準備し、懸念が顕在化したらどうするか、それらを考えられて、実際に「実施できる」のが法学部。僕はそう信じて止みません。やりたいことがないなら仕方ないけどね。法律は道具だから、やるかやらないかとか、どうしたいかっていうことは決められない。そこはどうしようもないんです。

「虹」に引き付けていうなら、前に進むって決めたら、地平線に虹かけるって決めたら、どう進めるべきかは自ずと決まってきます。無数の選択肢の中から、諸条件によって決まるんです。失敗しても、得られるものは必ずありますよ。行きたい方だけ決めてくれたら、あとは法学部での知識を使える。

だから、僕がゼミで大事にしているのは、実は法っていう道具の使い方より、自分でどこに行きたいか、自分で何を正しいと思うのかの方。自分でどこに行きたいか、自分で何を正しいと思うのかを見いだせたら、あとはそれを正当化する方法を身に着けることです。自分でどこに行きたいか、自分で何を正しいと思うのかについては、僕はぜったいに教えられない。そこに行きたいなら、それを正しいと思うなら、どんな法的な道具とエビデンスを駆使すればいいか、それなら少しは教えられます。

虹ではないけど、他人がどう思おうと、いいじゃないですか。答えがない世界で、何を思っても、どこに向かってもいい。法は、それをサポートするための道具として使い尽せばいい。

いろいろあって、新入生は不安かもしれないですね。大丈夫。法学部では、危機だからこそ学べる、危機でなければ学べない面白い知識や経験を必ずや提供するつもりなので。




2020年3月17日火曜日

予想外のことが起きてしまったらどうする?

法学部にいると、「すべてを想定内にしとけ」みたいな議論が横行します。契約とか、不法行為でもいい例ですけど、あと知恵でみたら、そりゃ、全部想定内になりますよね。

現実には、すべての事象を想定内にしておくことは無理です。今夜、道端で蹴られるかもとか、ぜったいに想定する人はいないでしょう。

コロナウィルス感染症の感染拡大で、就活のスケジュールや進み方は変わってしまいましたよね。誰も想像していなかったと思います。もちろん、すでに内定を持っている人はいるでしょうけど、本命はこれから、という方もきっと多いはずです。想定外のことが起きた時こそ、実は実力がモノをいうんです。情報収集し、プランBやCまで用意しておく。相手の企業も大変な状況なので、自分のこともだけど、企業のことも考慮するくらいの余裕は必要かと。これまで、早め早めに準備してきた学生や、インターンに行ってきた学生の方が、対応力はあるでしょうね。

今まで準備できなかった学生でも、別にあきらめる必要はないです。危機に強い学生、本番に強い学生っているでしょう。こんな状況だからこそ、素直に状況に対応する、淡々と前に進むのが大事です。パニックにならずに。昔、トップティアのある外資系証券に勤めていた友人が言ってました。「人に聞く暇もないし、優先順位を決めることさえできない状況なんだ。あふれる仕事を、ただ、淡々と黙々と片付ける。リスクを見極め前に進めるものを進め、駄目なものは止める。それだけだって」。

繰り返しになりますけど、どんなに準備しても、想定外のことは起こります。想定外を減らすことはできても、ゼロにはできません。ゼロにできない前提で、あなたなら今、何をする?法学部って、机上の空論ばかり扱うから、危機に強いはずが弱くなっている。それが僕の印象です。現場に出たら、常に想定外の連続。頭にくることばかり。それを楽しまないと。謝ったり、お願いしたり、誰かにやらせたりして乗り越える。乗り越えたら相手に返す。そういうずぶとさ、ロブストさが求められているんじゃないかな。

頑張って!

2020年3月16日月曜日

【お礼】2020年度のプレゼミの応募、ありがとうございました

コロナウィルス対策、大変なことになっていますね。シンゴジラの世界が、まさに現実に起きているんだな、と考えさせられます。

プレゼミに応募してくれた学生の皆さん、本当にどうもありがとうございました。毎年、プレゼミも本ゼミも、学生が応募してくれるのか不安なのですけど、心より深くお礼申し上げます。最終的に選ばれなかった方も、授業や本ゼミでお目にかかれるのを楽しみにしています。

男女比とかGPAとか、毎年のことですが、ここには書いていません(笑)。書きたいことはたくさんあるけど、それは入ってからのお楽しみ、ということで。僕が下した結論じゃなく、神の手によるものなので。

プレゼミって、学生の皆さんはどうやって選んでいるんでしょうね。
半期で、しかも本ゼミとは違う感覚で選ぶって、具体的にどうやるんだろうって思いました。

僕はプレゼミって、法律を楽しく学べるところに入るのが第一だと思っています。砂漠のような法学部で勉強し、学ぶ意欲がなくなっている方々と一緒に、法律を学ぶってどういうことなのかについて考えてみたいです。題材を医療にしているのは、やはり身近で、分かりやすい気がして。それだけです。GPAは、仕方ないですよね。切られたら切られたですけど、最後はどのプレゼミでも楽しめるかどうか、そこを大事にしたいです。

僕自身は、大学生のころ、労働法と国際法のプレゼミに入っていました。労働法では、セクハラやパワハラに加えて労災事件を扱った記憶があります。生々しすぎてつらかったですけど、債務不履行と不法行為の関係とか、行政法と民法の関係とか、幅広く学べました。労働法っていう科目の性質でしょうけどね(笑)。実は、医療と法でも、民法、行政法、刑法をまんべんなく扱います。

プレゼミでは、法律の細かい論点を掘り下げるというより、事件自体の見方、論じ方、結論の正しさ、その理由の妥当性、結論が正しくない場合の是正方法、そういう点を重視したいと思っています。基礎中の基礎だけど、他のゼミではやらなさそうなことをやりたいですね。

プレゼミ、どうかお楽しみに。

2020年1月24日金曜日

2019年度2年生プレゼミ(最終ゼミ)

写真はすべて、フォトグラファーの今祥雄さんによるものです。All photos by Photographer: Akio Kon
ゼミの半年間(半期)、素晴らしい時間を本当にありがとうございました。ゼミの雰囲気が少しでも伝わればな、と思い、今年はいつもよりも多くの写真を掲載しています。