2020年4月11日土曜日

法学の「死」(6)第4講ー裁判の基準で大事なのは?

法学入門の第4講は、正直、読むのが辛くなる。そうだよね、とは思うけど、学生が読み進めてくれるかは不安極まりない。シンプルで、とても分かりやすいのはよいのだけど。

僕が思うのは、制定法以外にも法源はあり、とくに判例法は重要。最高裁判例がない場合こそ、僕らが勉強すべき。最高裁判例がある場合、原則として最高裁判例に支配される。他方、最高裁判例がない場合、そうでもない。自由度がある。この自由度の中で、自分のクライアントに有利なルールを発見できるかどうか、それが一番面白い。

それに、仮に最高裁判例があっても、事案が異なれば、射程外になりうる。射程内か、射程外か、その判断は最高裁が決めるわけだから、自分のクライアントに有利になるように、射程内と射程外を使い分ければいい(最後は、最高裁が決めるけど)。法学入門では、ミカン園のミカン売買に関する1916年大審院判決がりんご園のりんごや梨園の梨、桑畑の桑の葉にも適用できるというし、桑の葉については判例(1920年大審院判決)もあるという。そうかぁ、まあそうだよね、と思うけど、りんごや梨はまだ明らかではない。最高裁は無言だから。別な結論が欲しければ、議論せざるを得ないってことになる。そこの未解決の部分こそ、法学部で検討すべき面白い点。

暗記は大事だし、一定の範囲では必要ですけど、より大事なのは裁判の基準を考えること。もっと言えば、(有利な)基準を作り出す議論を考える能力を養うこと。

制定法と慣習法との関係や、条理の関係を覚えるのも大事だろう。それでも、もっと大事なことがあるし、面白いことが法学部では学べますよ。