ようやく、青学での講義が始まりますね。もう、待ちくたびれた感じがしてます。ほかの大学では講義、スタートしていますし、あまりトラブルとかないので(笑)。
オンライン授業していて、感じているのは、法律問題を形式的に、表面的に捉えている人が多いことです。駄目っていうのじゃなく、それだと法学部じゃなくてもいいよなって、悲しく思うんですよ。
法律はルールで、ルールは言葉からできている。だから、言葉のパズルで結論は出ます。人によって、時代によって法解釈は変わりうるけど、まあ、パズルです。要件を満たせば効果が生じるだけなので。ただ、皆、その先を考えなくなっている。暗記するだけになっているんです。この結論で本当に良いのか、自分の身の回りで同じことが起きても納得できるのかどうか、結論を変えるにはどんな法解釈が必要か、それで誰かに不都合は生じないのか、そこまで考えないと、ただのパズルゲームになってしまう。パズルゲームでよいなら、数字をいじる経済学部や経営学部でもできます。文学部でも教育学部でもできるでしょう。理系の学部にもたぶんできます。でも、単なるパズルじゃない。人生を、社会を大きく変えるパズルなんです。
僕は、結論を予測できるようになってほしいんじゃなくて、そのパズルを自分なりに自由自在に解き、答えが不適切なら変えるために何をすべきか分かる人になってほしい。それは、少しかっこよく言えば、自分なりの「正義」を実現できるようになるってこと。変なものは変、よいものはよいって言えるようになるってこと。
ドラマ「BG」のセリフでいうなら、法を破っても依頼人を守るっていう前に、できる限り法を破らないで依頼人を守り、最悪の場合、緊急避難として依頼人を守るって感じかな(笑)。最初から、法を破りたい人はいないから。
医療では人が死んだり、負傷したり、後遺症が残ったり、副作用で苦しんだり、そんな人の事件を扱います。他人事じゃなくて、自分にもいつ、降りかかるかわからない出来事です。メスは握らない、診察も治療もしないけど、メスで切られたり、診察や治療を受けない人はいないでしょう。薬を飲まない人、体温計などの医療機器を使わない人もいないんです。身近な世界でありながら、リスクは大きい。そのリスクに背を向けたら、病気で死んでしまうかもしれない。それが医療の世界。法学部で扱う、自分が一生で一度も出会わないような話じゃなく、必ず遭遇するかもしれない事件を扱い続けます。見たくない世界も見ます。信じたくない世界も知ります。生々しいんです。要は。
生々しい現実を踏まえて、僕らは議論し、現実を変えたければ変える術を考え、行動する。そこまでできて法学部なんじゃないかな。ルールを形式的、表面的に語るのは誰でも出来ちゃう。法学部じゃなくても可能だよ。
僕は事件から入るのが好きだな。ルールから学ぶ前に、事件から入り、そのあとに関連するルールを調べる方がいい。そうしないと、形式的に、表面的に事実をルールに当てはめたり、答えを出しちゃうから。あとは、裁判官みたいに事件を眺めるんじゃなく、どちらかの当事者の側から事件を眺める。そうすると、いろいろと見えてきますよ。
ちなみに、もし、ある事実をルールに当てはめたら、目の前のヒトだけじゃなく100名が負傷ないし死亡しても仕方ないっていう結論が導かれたら、どう思います?多くの法学部生は、「仕方ないですね」って言うんじゃないかな。僕は、「?」思うけどね。