2020年3月30日月曜日

法的なセンスは、成功を約束しない?

"Breaking Bad"や"Better Call Saul"を観ていると、法的なセンスって成功を必ずしも約束しないし(短期的には成功をおさめられたとしても)、センスは良くても人間としては「?」って思えるようなことをしてしまうんだと、改めて痛感します。

法は道具なので、要は使い方。僕のゼミでも結局、言い訳とか言い逃れとかつじつま合わせだけが上手くなる人もいます。稀に、ですけど(笑)。でも、それって中長期的に見たら、ぜんぜんよくないですよね。だって、必ず嫌われますから。間違いなく。切れる包丁を振り回せるようになっても、必ずしも料理をおいしく作れるわけじゃないし、ヒトを幸せにできるわけでもない。最悪、ヒトを傷つけてしまいかねないでしょう。そんな人は、魅力的でもないし、他者から好かれないでしょう。

結局、使い方なんです。道具でしかない「法」をどう使うか。使う人がだめなら、魅力的でなければ、どうしようもない。僕のゼミでは、魅力的な人間を作り出せるわけじゃなく、そのヒトが法を上手く使えるような手助けしかできないです。

ゼミを出るとき、何を思えるか。悪事ではなく、適切な目的のために法を使えるのか。法を使って自分や誰かを幸せにできるようになっているのか。できるようになっていたら、きっと、ヒトとして魅力的になっているってことです。

屁理屈に聞こえない法的な話し方、それって結局、他の人から見てもそうだなぁって思える理由付けだったり、エビデンスを駆使できるかによりますし、何より、伝えたい結論、中身がまともかどうか。人と違っていても、まともと思ってもらえる話し方、できるようになって卒業してほしいですね。