法学入門の第3講、法と裁判は、凄く綺麗にまとめられていて、コメントしにくいです。ただ、これを読んでも、法律を学びたいって思える学生は稀でしょう。
裁判は、ヒトを中心としています。証拠はヒト(証人)よりモノ、を重視するかもしれませんが、ヒトに依存して成り立っています。弁護士、検察官、裁判官。ぜんぶ人ですね。どんな人でも間違えるのに、裁判官には司法権の独立、自由心証主義が認められている。AIに任せた方がいいんじゃないのって思う学生がいてもおかしくない。
AIって、間違えないんじゃなくて、確率論でしかものを言えないんです。何%の確率で○○、△△、◇◇、っていうだけで、有罪とか無罪とか、違反があるとかないとか、損害賠償額をスパッと決められるわけではない。確率論的に、いくらからいくらまでの間。そういう言い方はできるかもしれないけど。
要するに、AIって、裁判をサポートできても、裁判自体を決着させにくい技術とは言えます。もちろん、むりやり決着させようとすれば、できなくはないですけどね。逆に、裁判支援に限定して使うと、裁判官に一定のバイアスを与えるので、裁判官の自由心証主義には抵触するかもしれません。裁判官は、すべてを見通す力があるから、別にAIに支援させてもいいっていう考え方もあり得ますが(笑)。
皆さんは、AIに裁かれたいですか?僕は、間違いがあってもヒトに裁かれたいです。ヒトとして弁論し、ヒトに評価されて、それで裁かれたい。民事でも刑事でも。間違えはするでしょうけど、それでもヒトがいい。ゼロ・イチの確率論や見えないアルゴリズムより、義理・人情やいわゆる見えないロジックに身を委ねたいんです。
あとは、間違えるって分かっているからこそ、自省的に法律問題を扱えるんじゃないですかね。学者は、常に間違えない前提でいますけど、いや、間違えますよ。必ずヒトは。
こうやって考えてみると、第3講の法と裁判の部分も、何となく、少しは面白くなりませんかね。ヒトが法を創り、ヒトが裁判の中心にいる意味、結構深いと思いませんか?