法学部を出ても、弁護士資格を得ることはできませんね。それなら、予備試験の勉強をした方がいいかもしれないし、そうでなくても、ロースクールに入るための勉強をした方がいいのかもしれない。それはそう思います。法学部ってやっぱ意味ない?法学は死んでる?そういうことが言いたいんじゃないんです。僕が言いたいのは、法学部の本質は別にありそうだということ。
SUITSというドラマ、見直しています。それ以外のリーガルドラマも見直しているんですけど、NetflixにおけるSUITSの説明文が秀逸。Netflixでは、「弁護士に必要な条件とは、賢く、機転が利き、弁が立つこと。それさえあれば、弁護士資格は必要ない?」って書かれています。イケてる。
弁護士資格がないとできないことって、ありますよね。非弁活動は厳禁です(笑)。弁護士法違反になる。でも、それ以外は別に禁じられていない。他方、弁護士が持っている能力って賢くて、機転が利いて、弁が立つだけなのかな。
僕は弁護士じゃないけど、普通に頭が良くても、良い弁護士って言えない気がします。賢くて機転が利いて弁が立っても、僕はそれだけじゃ雇いたくない。それは、信頼感の問題であるし、やっぱりセンスかな。頭良くても勝てない事件はたくさんあるし、処理の仕方は過去の事例が教えてくれるわけではない。目の前の事件を上手く解決するために最善を尽くせる人って、あんまりいないんだなぁ。皆、ふりはするけど。
表面的にみると負けそう、自分側に非がありそうなんだけど、全体をみたらやっぱり変、そういう時に、頭のいい弁護士は「まあ、不利ですね、厳しいかも」って言うでしょう。それは間違いじゃないんだと思うんです。僕が大事にしたいのは、そう、表面的にはそうなんだけど、やっぱり変かどうか、このままじゃダメかどうかっていう判断が付くかどうか、なんです。ドラマ、「グッドパートナー無敵の弁護士」では、この点が強調されてましたよね。
法学部を出た後、別に弁護士にならない人は数多くいます。その人たちにとって、本当に大事な能力は、もっともそうに言われている情報が法的にみて妥当なのかどうかの判断が付くセンス。世間は真逆に言っていても、やはりいいならいい、駄目なら駄目って考えられる力。判断できたら、その次に必要なのは、もし、その判断が所属先とずれている場合の対処能力かな。所属先によって、いいというべき時と、駄目というべき時がある。本当は駄目と言いたいのに、所属先のせいで駄目と言えない、いいと言わなければいけないとき、あなたはどうします?そんなことは、弁護士は考えないし、考える必要もない。弁護士として、駄目だと思うって言えばいい。でも、資格のない僕らは、そう簡単には言えないんです(笑)。僕らは、なんで駄目なのかを会社に説明するか、または、いいというにしてもある程度の手続きを踏んだり、警告をしたり、一定期間後に見直しをするなどの対策を講じるくらい、ですかね。最後の結末について複数の可能性を予測できなければ、こんなことはできないです。
法学部では、組織の中で法というか、あらゆるルールを駆使できる能力を学ぶ。そこでは、別に法的な知識だけじゃなく、あらゆる知識が力になるんじゃないかな。
弁護士になるかならないかにかかわらず、法学部で勉強しません?少し真面目に。
きっと、あなたの将来を変えますよ。もちろん、よりよく。