ゼミや講義の価値って何だろう。なかなか答えられない問題の1つです。
授業評価を読んでいると、出席しなくても単位を取れたらそれでいい、と書いてあることが多いです(笑)。それってある意味当たり前で、教科書を読んで丸暗記すれば、パスはできますよ。僕らは、教科書を丸暗記してもパスできない試験問題を出題するわけにはいかないので(笑)。
楽で、単位が貰えて、就活に少しでも効果的なのがベストなら、それなりに名前の通った(ないし経験豊富な)先生のゼミに入ればいいでしょう。講義なら、重鎮の講義がいいですよね。教科書ベースだし、新しい話も出てくるわけもないし。
あまり書けないですけど、僕は、無理矢理に学生を出席させる活動にほとんど価値を感じません。唯一の例外は、聞きたくなるようなゼミや講義を提供すること。それ以外の活動には意味があるとは思えないんです。もちろん、僕らにはそういう内容のゼミや講義を提供する具体的なインセンティブはないけど(笑)、義務でしょうね。
講義について言えば、出席して真面目に聞いてたら試験対策しなくてもパスできる、そのくらいじゃないと講義を聞く意味はないです(教科書を読んで暗記する時間の省略)。あとは、単に試験のためだけじゃなくて、現実の世界で起きている事象の見方が変わる、そのような講義じゃないと人生の限られた時間を振り向ける意味は無いかもしれない。僕はそう思っています。
ゼミは特殊ですね。青学では、というか法学部では、AKBの総選挙並みとは言いませんけど、ゼミが人気投票のように扱われています。正直、毎年、心苦しいです。一生懸命やっていても、人気があるゼミもあればそうでもないゼミもある。究極は、ゼミ生が満足してくれれば良いので、毎年のゼミ生に合わせて内容を変容させていくことになりますけど、基本的な路線って何なのか。
僕のゼミでは自由がモットー。「華麗なるギャッツビー」のパーティーが好例ですけど、自由な楽しみ方ができます。プレゼン力を磨き上げてもいいし、医療分野を例に極限まで法学のセンスを磨いてもよいです。合宿とかバーベキューとか、課外活動に精を出すのもあり。はたまた、行きたい会社に入るためにネットワーキングするのもありです。基本のゼミの時間に全力を注いでいる限り、いろんな楽しみ方、時間の過ごし方があってよいのが僕のゼミ。
「大学で無駄な時間なんて要らない。法を使って人生を楽しめ」
僕なりに考えると、こんな感じですかね。
ゼミ生が感じるモットーは、違うかもしれないですけど。