ようやく、前期の講義とゼミを終えました。短いようで、とてもとても長かったです。
疲れたな、そう感じています。年を取ったからでしょうか、勉強しない一部の学生に対する寛容さが薄れ始めているのも感じます。出席したい人だけに出席して貰い、出題範囲をかなり明確にした定期試験で不可をたくさん付けるのも、だんだん苦痛になってきました(正直、出題範囲を示しても落ちる学生がいる世界を、想像していませんでした)。
僕らは教えて、研究して大学(ないし国)からお金を貰う生業をしています。たくさんの学生が単位を取得できない事態は、ぜんぜん好ましくありません。後期からは、コメントペーパーなどを使って、より落ちにくい講義を目指すつもりでいます。
終わりは始まりだと、よく言いますね。何かの終わりをしっかり評価して、良くても悪くても、次の機会にその評価に基づいて改善をしていく。そういう作業でしか、何も良くならないと思っています。授業もゼミも同じです。やりっぱなし、受けっぱなしはよくありませんから。
ゼミは、早いですけどもう「佳境」ですね。4年生は論文を書いて終わりですし、3年生も、あと半期で就活に突入ですからね。
夢を叶えられるように、頑張ってくださいね。
僕も、反省を糧に努力して後期に臨みます。
This blog is mainly providing useful information to students who are interested in the seminar on law and policy in healthcare.
2018年7月28日土曜日
2018年7月24日火曜日
基本は基本でしかないけど、基本をマスターしないと、それ以上はないんじゃない?
昨日で前期のゼミが終わりました。早いようで長かったな、というのが正直な感想です。3年生については、皆、それぞれ、法的な思考力とプレゼン力がどちらも、少しずつ着実に伸びていると思います。4年生については、ノー・コメントですね(笑)。就活が忙しくて、あまり来られない方々ばかりですからね。仕方ないですけど。。。
オーデマピゲ(Audemars Piguet)というスイスの高級時計ブランドには、
"To break the rules, you must first master them"
オーデマピゲ(Audemars Piguet)というスイスの高級時計ブランドには、
"To break the rules, you must first master them"
というキャッチコピーがあります。ルールを破りたければ、まずはそれを習得(支配)しなければならない。単純に訳せばそういうことですけど、プレゼンにも言えます。司法試験の答案とかにも言えるかも。
プレゼンにも答案にもやはり基本の型があります。別に、型どおりにやらなくても書かなくても、評価される可能性はあります。でも、それには当然ながらリスクが伴う。いきなりリスクに身を任せるのはカッコいいですけど、ある意味で「向こう見ず」な感じです(笑)。オーデマピゲがいうように、まずは基本を習得、ないし支配しませんか?そうすれば、自ずと基本を破ることができます。
学生の中には、基本を教えても前期ずっと無視し続けた人が結構います(笑)。それで、上手くなっていないとか、言ってもいいですけど、まずは基本をやってみてくださいな。立ち方、手の置く場所、目線、話す内容の取捨、時間配分、抑揚の付け方、話すスピード、すべてもう教えているんです。使っている人、どのくらいいますかね。
基本は基本でしかないけど、基本をマスターしないと、それ以上はない。
最高の文章やプレゼンには型はないけど、最初は型から入らざるを得ないのも事実。
基本は面白くないし、我慢するのは辛いけど、少し辛抱したらすごく上手くなりますよ。
オーデマピゲのキャッチコピー、意外に深いです!
ちなみに、メルセデス・ベンツのキャッチコピーは、最善か無か(Das Beste oder nichts)です。基本がないプレゼンは、無だと思います。
基本の習得、ぜひ頑張ってください。僕も、いつも基本を意識して話していますので。
2018年7月19日木曜日
真実は強いけど、それでも真実が必ず勝つわけではない?
真実は強い。結局、真実に近い事実を証明することが正義を実現する最短ルートだというのは、よく聞きます。でも、問題なのは、真実を話しても、相手がそれをちゃんと理解し、適切に評価してくれるかはわからない、という点です。
真実を話せば足りるというのは、小説の世界か、お子様の世界。嘘を話すよりは当然マシですけど、真実にも話し方はあります。ダイレクトに結論や核心部分から入るのもありですし、逆に、周辺部分から話していく方法もあります。どちらがベターなのかは、事案の性質と相手によるでしょう。
核心部分から入れば、わかりやすくなる一方、性急な感じがします。どうでもいいことならいざ知らず、重要であればあるほど、核心部分から入るのに躊躇を覚えることはあるでしょう。
真実のことでも、並べ方や話す順序で、印象が変わってくることはよくあります。あまりに真実そうなので嘘っぽい、っていうのは僕がよく言われることですが(笑)、ダメ押しのように畳みかけることが本当に有効な相手なのか、事案なのか、よく見極める必要がありますよね。
説得するときはもちろん、謝罪のときには本当のことを話すのはもちろんですけど、何を、どんな順序で、どう話すのか、どんな服装で、どんな顔で、どんなスピードで話すのかで印象がガラッと変わってきますよね。
さっき、政治家が投票後に凄く格好いいコメントをしていましたけど、「作ってるなぁ」という感じがありありと出ていました。いつもは、あんなに作っている感がないのに、不思議でした。どんなにスピーチやコメントが上手い人でも、やはり、失敗と言うほどではないにしても、上手くできないことはあるのかもしれませんね。僕なんて、毎回失敗しているようなものかもね(笑)。
新聞やネットでコメントだけ見るのと、映像では印象ががらっと変わることもあります。映像は、表情や仕草が出ますからね。わざとらしさとか、作った感が見えやすいです。
時間があるときには、真実を書き並べて、どんな順序でどう話そうか一度、考えてみるといいですよ。
逆に、時間がないときが大変です。素の力が試されます。瞬時に、話す内容と順序を考えなければなりませんからね。反射のように、何も考えずに出てくるのがよいですけど、なかなか難しいですね。
法学部にいると、なかなか、こんなこと考えないでしょう。実務では、毎日がこんなことばかりです。事実とルールに照らしてこちらに「分」があっても、必ず勝てるわけではないのを思い知らされることばかりだから。分がない場合も同じ。分がないとは言え、そこまで非難される話ではなくても、凄く非難されることはよくよくある。
真実は強いけど、それでも真実が必ず勝つわけではない。だからこそ、真実をより強く見せ、説得的な形にする技術を、僕らは学ぶ必要があると思います。クライアントの最善の利益のために。
真実を話せば足りるというのは、小説の世界か、お子様の世界。嘘を話すよりは当然マシですけど、真実にも話し方はあります。ダイレクトに結論や核心部分から入るのもありですし、逆に、周辺部分から話していく方法もあります。どちらがベターなのかは、事案の性質と相手によるでしょう。
核心部分から入れば、わかりやすくなる一方、性急な感じがします。どうでもいいことならいざ知らず、重要であればあるほど、核心部分から入るのに躊躇を覚えることはあるでしょう。
真実のことでも、並べ方や話す順序で、印象が変わってくることはよくあります。あまりに真実そうなので嘘っぽい、っていうのは僕がよく言われることですが(笑)、ダメ押しのように畳みかけることが本当に有効な相手なのか、事案なのか、よく見極める必要がありますよね。
説得するときはもちろん、謝罪のときには本当のことを話すのはもちろんですけど、何を、どんな順序で、どう話すのか、どんな服装で、どんな顔で、どんなスピードで話すのかで印象がガラッと変わってきますよね。
さっき、政治家が投票後に凄く格好いいコメントをしていましたけど、「作ってるなぁ」という感じがありありと出ていました。いつもは、あんなに作っている感がないのに、不思議でした。どんなにスピーチやコメントが上手い人でも、やはり、失敗と言うほどではないにしても、上手くできないことはあるのかもしれませんね。僕なんて、毎回失敗しているようなものかもね(笑)。
新聞やネットでコメントだけ見るのと、映像では印象ががらっと変わることもあります。映像は、表情や仕草が出ますからね。わざとらしさとか、作った感が見えやすいです。
時間があるときには、真実を書き並べて、どんな順序でどう話そうか一度、考えてみるといいですよ。
逆に、時間がないときが大変です。素の力が試されます。瞬時に、話す内容と順序を考えなければなりませんからね。反射のように、何も考えずに出てくるのがよいですけど、なかなか難しいですね。
法学部にいると、なかなか、こんなこと考えないでしょう。実務では、毎日がこんなことばかりです。事実とルールに照らしてこちらに「分」があっても、必ず勝てるわけではないのを思い知らされることばかりだから。分がない場合も同じ。分がないとは言え、そこまで非難される話ではなくても、凄く非難されることはよくよくある。
真実は強いけど、それでも真実が必ず勝つわけではない。だからこそ、真実をより強く見せ、説得的な形にする技術を、僕らは学ぶ必要があると思います。クライアントの最善の利益のために。
2018年7月18日水曜日
判例や学説を覚えるだけでは、実はほとんど意味がない?
法学部では、たくさん暗記することがありますけど、暗記だけしていると、社会に出てからまったく使えない人間になってしまいます。条文、判例、通説、その他の学説、覚えることは山ほどあるけど、それを覚えて定期試験に通るだけでは、何にも使える知識を得たことにはなりません。
判例や学説を批判的に捉えるには、「生」の、「今起きたばかり」の事件について、判例や学説に照らして考えてみる、という作業が極めて効果的です。そもそも、適用されそうな法令を探し、判例を探し、学説を探すだけでも大変でしょう。でも、そのような作業を通じてはじめて、判例や学説の妥当性や本当の射程範囲を知ることができます。
判例や学説は、所詮、ある事件や事実関係に基づいて生み出されたものでしかなく、目の前の事案のためだけに存在しているわけではないです。もともと、「素」になっている事件や事案と目の前の事案がどう違うのか、どこが似ているのか、それをまず知る必要があります。その上で、違っている部分があっても、果たして判例や学説が同じように妥当するのかどうか、考えてみなければなりません。
裁判官として目の前の事案を眺めるより、どちらかの立場に立ってみた方が、このような作業はしやすいですし、青学にいる僕らにとっては意味があります。裁判官になる可能性はほとんどないからです(法曹志望者で、裁判官任官を希望する人を除けば)。
そういえば最高裁判例がある、学説ではこうだ、なんていう意見は、実務ではあまり意味がないと思いますよ。○○があるとか、学説ではこう言っている、だからなんなの、この事案は特殊だから、そのまま適用されないのではないか、そう切り替えされたら、覚えているだけの判例や学説は無意味になるでしょう。むしろ、最高裁判例や学説はあるけど、この事案にはこの点が違うのでそのまま適用されず、△△に修正される可能性があり、だとすると、本当は■■の対応を事前に取っておくべきだった、ないし、これから取るべきなんじゃないか。最初からこのくらい話せるようになって欲しいです。
法律って、面白いんですけど、そろそろ、その面白さに気付いてくれたでしょうか?
こんな学問(実学ではあれど、ですけど)、他には絶対ないですよ。
判例や学説を批判的に捉えるには、「生」の、「今起きたばかり」の事件について、判例や学説に照らして考えてみる、という作業が極めて効果的です。そもそも、適用されそうな法令を探し、判例を探し、学説を探すだけでも大変でしょう。でも、そのような作業を通じてはじめて、判例や学説の妥当性や本当の射程範囲を知ることができます。
判例や学説は、所詮、ある事件や事実関係に基づいて生み出されたものでしかなく、目の前の事案のためだけに存在しているわけではないです。もともと、「素」になっている事件や事案と目の前の事案がどう違うのか、どこが似ているのか、それをまず知る必要があります。その上で、違っている部分があっても、果たして判例や学説が同じように妥当するのかどうか、考えてみなければなりません。
裁判官として目の前の事案を眺めるより、どちらかの立場に立ってみた方が、このような作業はしやすいですし、青学にいる僕らにとっては意味があります。裁判官になる可能性はほとんどないからです(法曹志望者で、裁判官任官を希望する人を除けば)。
そういえば最高裁判例がある、学説ではこうだ、なんていう意見は、実務ではあまり意味がないと思いますよ。○○があるとか、学説ではこう言っている、だからなんなの、この事案は特殊だから、そのまま適用されないのではないか、そう切り替えされたら、覚えているだけの判例や学説は無意味になるでしょう。むしろ、最高裁判例や学説はあるけど、この事案にはこの点が違うのでそのまま適用されず、△△に修正される可能性があり、だとすると、本当は■■の対応を事前に取っておくべきだった、ないし、これから取るべきなんじゃないか。最初からこのくらい話せるようになって欲しいです。
法律って、面白いんですけど、そろそろ、その面白さに気付いてくれたでしょうか?
こんな学問(実学ではあれど、ですけど)、他には絶対ないですよ。
FYI: AIリベラルアーツ塾@青山学院大学
お知らせです。後期に、「AIリベラルアーツ塾」という講座がはじまります。単位認定はないのですが、AIが高度化した社会における問題を先取りして学ぼう、という新しい試みです。僕も、法律問題について2回、講義します。僕の担当回だけでも、もしよかったら来てください。単位認定されないので、凄く面白い話をしないといけないな、と思っているところです(笑)。
参加申込みは、学生ポータルからできます。
Don't miss it.
参加申込みは、学生ポータルからできます。
Don't miss it.
2018年7月17日火曜日
ご自由にどうぞ、は実はもっとも自由じゃない?
自己PR、自己紹介、プレゼンテーションで「形式自由」とか「自由にどうぞ」と言われることがありますけど、要注意です。形式自由の場合の難易度は、比較的高いからです。大学や大学院の入試、あと就職活動でも一応、こんな人材が欲しいというのは情報として公開されています。ただし、形式自由の場合、比較や評価する軸が明らかにされないわけで、そこで勝負するのはかなり骨が折れるはずです。形式自由の場合こそ、自分が何を求められているのか、究極的には何を評価するつもりなのか、相手の気持ちに立ってみる必要があると思います。
(形式を決めている方が、評価しやすいんですけど、相手も準備してくるし、「素」の力が見えにくくなります。あと、評価軸を自分で設定できる能力を見る、と言う意味で(ここで自分を評価してくれ、というように)、形式自由には意味があります。)
学生のうちは、形式自由とか言うと「楽」をしちゃいますよね(笑)。形式自由にした方が、実のところ評価者にはいろいろ見えるものです。努力して書いているのか、どこかの使い回しなだけなのか。本気なのか軽い気持ちなのか。定期試験もそうです。論述の方が、間違った回答でも勉強してきたのかどうか、よくわかります。でっち上げの回答は、もちろんすぐわかりますし(笑)。記号回答だと、ゼロイチでしか評価できないんです。
事前に相手を調べ上げても、結局はその場が肝心。目の前にいる相手や事案こそが重要です。目の前の事案や人にとって、自分が調べてきた内容が当てはまるのかどうか、それをすぐに見分けて対応するしかないですから。
逆に言うと、だからこそ、プレゼンテーションでは基本が重要になります。基本型を自由自在にアレンジして、目の前の事案や人に向けて話す。基本がなければ、アレンジも何もできないですから。
ご自由にどうぞ、と言う言葉には要注意です(笑)。相手は、あなたより上手かもしれないですよ。
(形式を決めている方が、評価しやすいんですけど、相手も準備してくるし、「素」の力が見えにくくなります。あと、評価軸を自分で設定できる能力を見る、と言う意味で(ここで自分を評価してくれ、というように)、形式自由には意味があります。)
学生のうちは、形式自由とか言うと「楽」をしちゃいますよね(笑)。形式自由にした方が、実のところ評価者にはいろいろ見えるものです。努力して書いているのか、どこかの使い回しなだけなのか。本気なのか軽い気持ちなのか。定期試験もそうです。論述の方が、間違った回答でも勉強してきたのかどうか、よくわかります。でっち上げの回答は、もちろんすぐわかりますし(笑)。記号回答だと、ゼロイチでしか評価できないんです。
事前に相手を調べ上げても、結局はその場が肝心。目の前にいる相手や事案こそが重要です。目の前の事案や人にとって、自分が調べてきた内容が当てはまるのかどうか、それをすぐに見分けて対応するしかないですから。
逆に言うと、だからこそ、プレゼンテーションでは基本が重要になります。基本型を自由自在にアレンジして、目の前の事案や人に向けて話す。基本がなければ、アレンジも何もできないですから。
ご自由にどうぞ、と言う言葉には要注意です(笑)。相手は、あなたより上手かもしれないですよ。
2018年7月7日土曜日
世の中の現象の裏、知りたくない?
ゼミや講義でよく話しますけど、この世の中で法令がまったく関係しない分野はほとんどありません。日本では、少なくとも政府のガイドラインが支配することが多いです。そうやって考えると、実は、世の中で起きている現象の多くの裏には、法令やガイドラインが関係していることになります。
法学部にいると、どんな法令やガイドラインが関係していて、どの部分が自分や自分のクライアントにとって重要なのか、すぐに理解することができます。他の学部にはできない芸当のはず(笑)。
ニュースでは、ときどき「なぜ」に答えてくれることはありますけど、本当の原因に切り込むことは稀です。調べられないからです。専門家に聞く、ことはできても、自分では調べない人がほとんどです(笑)。自分で調べられたらどうなると思います?他の人より、たとえば、さまざまなニュースよりも現象をさらに正確に捉えられます(コメンテーターに教えてあげることもできます)。それだけにとどまらず、企業だったら競争相手を出し抜いたりすることができます。
僕にとって毎日が楽しいのは、日々のニュースが、日々の生活が講義やゼミのヒントやネタをくれるからです。悲しいニュースなら、どうして事件が起きたのかとその是正方法を考えればよく、逆に良いニュースなら、それを応用してもっとよいことを広める術がないのかを考えれば良い。毎日のニュースが、法律を探し、分析し、使うための機会をくれるんです。
法がすべてを支配する、そんな大それたことは言いません。でも、法が関係しない世界はほとんどない。だからこそ、世界で法がどのような役割や影響を及ぼしているのかを理解し、ビジネスなどに応用できることが求められていると信じて止みません。
世の中の現象の裏、法令の勉強を介して知りたくないですか?
法学部にいると、どんな法令やガイドラインが関係していて、どの部分が自分や自分のクライアントにとって重要なのか、すぐに理解することができます。他の学部にはできない芸当のはず(笑)。
ニュースでは、ときどき「なぜ」に答えてくれることはありますけど、本当の原因に切り込むことは稀です。調べられないからです。専門家に聞く、ことはできても、自分では調べない人がほとんどです(笑)。自分で調べられたらどうなると思います?他の人より、たとえば、さまざまなニュースよりも現象をさらに正確に捉えられます(コメンテーターに教えてあげることもできます)。それだけにとどまらず、企業だったら競争相手を出し抜いたりすることができます。
僕にとって毎日が楽しいのは、日々のニュースが、日々の生活が講義やゼミのヒントやネタをくれるからです。悲しいニュースなら、どうして事件が起きたのかとその是正方法を考えればよく、逆に良いニュースなら、それを応用してもっとよいことを広める術がないのかを考えれば良い。毎日のニュースが、法律を探し、分析し、使うための機会をくれるんです。
法がすべてを支配する、そんな大それたことは言いません。でも、法が関係しない世界はほとんどない。だからこそ、世界で法がどのような役割や影響を及ぼしているのかを理解し、ビジネスなどに応用できることが求められていると信じて止みません。
世の中の現象の裏、法令の勉強を介して知りたくないですか?
2018年7月6日金曜日
自分の代わりはたくさんいる、そう思える?
アメリカ契約法を教えていたりすると、自分の代わりはたくさんいるし、だからこそ、自分にしかできない講義やゼミをしないとダメだな、って毎回、痛感します。
大学で講義を受けているとなかなか気付かないかもしれませんけど、バイトしていたらわかりますよね。自分が休めば別な人にヘルプを頼まれるだけ。要するに、ある時間に誰かが居てくれて、それなりの働きをしてくれればそれで十分。自分でなければ困る理由なんてないんです。そして、次は自分がヘルプを頼まれるかもしれない。ヘルプを頼まれるとき、マネジャーは凄く優しいでしょう。どうしても入って貰いたいからです(笑)。
(本当は、誰だとどのくらい売り上げが違うとかはあり得ますけど、シフトが回らないと重大な問題になるので、とにかく誰かを張り付けないといけないわけです。)
自分の代わりがたくさんいるんだ、ということに気づけると、生活は一変すると思います。自分が他の人より大事にして貰うために、他の人より使って貰うために自分は何をしないといけないのか、と常に考えさせられるからです。いただいた仕事には最善を尽くすのは当たり前。そうしないと、次の仕事は別な人が取ってしまうでしょう。
単に法律のお勉強をしていると、そういう当たり前のことに気付かないまま卒業してしまうかもしれませんが、就職活動なんて「代わりがいる世界」の最たるものでしょう。内定辞退を十二分に考慮に入れて、採用面接は行われています。あの人がダメならこの人、この人がダメなら別な人、そういう流れです。確保すべき人数をベースにして、内定辞退をされる可能性を考慮して採用していくわけです。
代わりのいない人間になれたら、本当はいいですよね。あの人の代わりはいないって言われてみたいものです(笑)。ゼミでは、皆が同じプレゼンをする必要は無いですし、同じアイディアで議論する必要はありません。基本を活かしつつ、斬新で独自のアイディア、プレゼンのスタイルを模索してみてください。
大学で講義を受けているとなかなか気付かないかもしれませんけど、バイトしていたらわかりますよね。自分が休めば別な人にヘルプを頼まれるだけ。要するに、ある時間に誰かが居てくれて、それなりの働きをしてくれればそれで十分。自分でなければ困る理由なんてないんです。そして、次は自分がヘルプを頼まれるかもしれない。ヘルプを頼まれるとき、マネジャーは凄く優しいでしょう。どうしても入って貰いたいからです(笑)。
(本当は、誰だとどのくらい売り上げが違うとかはあり得ますけど、シフトが回らないと重大な問題になるので、とにかく誰かを張り付けないといけないわけです。)
自分の代わりがたくさんいるんだ、ということに気づけると、生活は一変すると思います。自分が他の人より大事にして貰うために、他の人より使って貰うために自分は何をしないといけないのか、と常に考えさせられるからです。いただいた仕事には最善を尽くすのは当たり前。そうしないと、次の仕事は別な人が取ってしまうでしょう。
単に法律のお勉強をしていると、そういう当たり前のことに気付かないまま卒業してしまうかもしれませんが、就職活動なんて「代わりがいる世界」の最たるものでしょう。内定辞退を十二分に考慮に入れて、採用面接は行われています。あの人がダメならこの人、この人がダメなら別な人、そういう流れです。確保すべき人数をベースにして、内定辞退をされる可能性を考慮して採用していくわけです。
代わりのいない人間になれたら、本当はいいですよね。あの人の代わりはいないって言われてみたいものです(笑)。ゼミでは、皆が同じプレゼンをする必要は無いですし、同じアイディアで議論する必要はありません。基本を活かしつつ、斬新で独自のアイディア、プレゼンのスタイルを模索してみてください。
2018年7月3日火曜日
思いついたら、まず検索して法令や判例をザッと読んでみよう
ゼミや講義をしていて、ポンポン発言してくれる学生が増えてきたことはとても嬉しいです。もう一歩先に進むには、聞かれる前に質問を予想して、一回検索してみるのがおすすめです。
どんな法律家も、すべての論点を暗記しておけるわけではないし、そもそも、暗記していても新しい法令や判例によって内容が変わっている場合もあります。記憶をたどるだけじゃなく、調べて確認してみましょう。
大事なことは、一度は原典に当たること。サマリーを読んで当たりをつけたら、原典を読んでみないとダメです。サマリーは、間違ってはいなくても、作成した人の影響が色濃く出ます。
ちなみに、調べるのにかかる時間は1週間でも1時間でもなく、せいぜい数分です(笑)。予習とか復習とかいうレベルじゃないでしょう。サクッと調べられれば、正答率を上げられる上に、自分の勉強にもなる。僕のゼミでは、短時間で検索し、必要な情報を手に入れて議論を組み立てる訓練をしているんです。「今回のパズルは解けた?」と聞くのは、どんなピースが自分にあって、ないピースがどれで、調べてピースをすべて手に入れて、埋め込めたか、そんなことを聞いているんですよ(笑)。
もし、調べた結果、法令や判例が自分に不利な内容だとわかったら、どうします?そんなときは、事実やデータをもう一度洗い直しましょう。法令や判例自体が不利な内容なら、今度はルールに当てはめられるデータや事実自体を洗い直して、結論が変わらないのかを確認すればよい。弁護士が「結局は真実が一番強い」というのには訳があって、当てはめるべき事実やデータが不利なら、その不利を挽回するのにはやはり無理がつきまとうからです。
学説まで調べようとすると、検索では限界があるのですが、学説まで調べないと結論らしきものにたどり着けない法律問題は意外と少ないです。調べてみればわかります。
思いついたらまず行動。検索してから話してみましょう!
どんな法律家も、すべての論点を暗記しておけるわけではないし、そもそも、暗記していても新しい法令や判例によって内容が変わっている場合もあります。記憶をたどるだけじゃなく、調べて確認してみましょう。
大事なことは、一度は原典に当たること。サマリーを読んで当たりをつけたら、原典を読んでみないとダメです。サマリーは、間違ってはいなくても、作成した人の影響が色濃く出ます。
ちなみに、調べるのにかかる時間は1週間でも1時間でもなく、せいぜい数分です(笑)。予習とか復習とかいうレベルじゃないでしょう。サクッと調べられれば、正答率を上げられる上に、自分の勉強にもなる。僕のゼミでは、短時間で検索し、必要な情報を手に入れて議論を組み立てる訓練をしているんです。「今回のパズルは解けた?」と聞くのは、どんなピースが自分にあって、ないピースがどれで、調べてピースをすべて手に入れて、埋め込めたか、そんなことを聞いているんですよ(笑)。
もし、調べた結果、法令や判例が自分に不利な内容だとわかったら、どうします?そんなときは、事実やデータをもう一度洗い直しましょう。法令や判例自体が不利な内容なら、今度はルールに当てはめられるデータや事実自体を洗い直して、結論が変わらないのかを確認すればよい。弁護士が「結局は真実が一番強い」というのには訳があって、当てはめるべき事実やデータが不利なら、その不利を挽回するのにはやはり無理がつきまとうからです。
学説まで調べようとすると、検索では限界があるのですが、学説まで調べないと結論らしきものにたどり着けない法律問題は意外と少ないです。調べてみればわかります。
思いついたらまず行動。検索してから話してみましょう!
2018年7月2日月曜日
変わってはいけないもの、変わるべきもの
先日、ジュエリーブランドの「ショーメ」の展覧会(時空を超える宝飾芸術の世界)に行ってきました。1780年から続くメゾンの作品、そこに現れる思想は、僕の講義やゼミとは違う世界を示しています。
https://mimt.jp/chaumet/midokoro.html
法はどこまでいっても道具。人々のために傅かなければならない。必要に応じてぎりぎりまで変わらざるを得ない。廃止される法令だってあるくらいです。
ブランドは、変化してよい部分と、変わってはいけない部分の両方を持っています。変わってしまったらブランドとしての価値がなくなる一線がある。とはいえ、時代の変化と共に、ブランドも変容しなければならない。変わってはいけないものと、変わってよいというか変わるべきものがせめぎ合って、ブランドは長らく社会に根付いている。
ゼミとか個人のプレゼンや考えでもそうですが、全部、僕の考え方に染まったらダメです。自分を活かしてください。僕の考えや他の学説だって、世界に数ある考えの1つでしかないので。皆、世界で1つしかない、いわば「ブランド」なんですから(笑)。
最高のプレゼンは、型にはまらない、自分らしさの出るプレゼンだと思います。誰にも真似できない世界がそこにはあります。僕は、ゼミ生が就活に出る前に、そこまで到達してもらたいです。
僕のゼミはまだ3年しか歴史がないです。当たり前ですが、ブランドでも何でもない。だからこそ、このゼミの変わってはいけないものと、変わるべきものをゼミ生と探している真っ最中と言えます。変わってはいけないものは、学生が主役で学生が作り上げるゼミであること、ゼミの時間外での作業を極力ゼロにすること、メモとプレゼンを駆使してクライアントに最善の利益をもたらすという能力を磨くこと、さまざまな学生がそれぞれそれなりに楽しめるゼミであること、夢を持ってそれを叶えようとするゼミ生からなること、このくらいですかね。あとは全部、粉々になっても変容してしまってもいい。
自分の中で変わってはいけないもの、変わるべきもの、持っていますか?
持っていた方が、人間として素敵だと思います。
https://mimt.jp/chaumet/midokoro.html
法はどこまでいっても道具。人々のために傅かなければならない。必要に応じてぎりぎりまで変わらざるを得ない。廃止される法令だってあるくらいです。
ブランドは、変化してよい部分と、変わってはいけない部分の両方を持っています。変わってしまったらブランドとしての価値がなくなる一線がある。とはいえ、時代の変化と共に、ブランドも変容しなければならない。変わってはいけないものと、変わってよいというか変わるべきものがせめぎ合って、ブランドは長らく社会に根付いている。
ゼミとか個人のプレゼンや考えでもそうですが、全部、僕の考え方に染まったらダメです。自分を活かしてください。僕の考えや他の学説だって、世界に数ある考えの1つでしかないので。皆、世界で1つしかない、いわば「ブランド」なんですから(笑)。
最高のプレゼンは、型にはまらない、自分らしさの出るプレゼンだと思います。誰にも真似できない世界がそこにはあります。僕は、ゼミ生が就活に出る前に、そこまで到達してもらたいです。
僕のゼミはまだ3年しか歴史がないです。当たり前ですが、ブランドでも何でもない。だからこそ、このゼミの変わってはいけないものと、変わるべきものをゼミ生と探している真っ最中と言えます。変わってはいけないものは、学生が主役で学生が作り上げるゼミであること、ゼミの時間外での作業を極力ゼロにすること、メモとプレゼンを駆使してクライアントに最善の利益をもたらすという能力を磨くこと、さまざまな学生がそれぞれそれなりに楽しめるゼミであること、夢を持ってそれを叶えようとするゼミ生からなること、このくらいですかね。あとは全部、粉々になっても変容してしまってもいい。
自分の中で変わってはいけないもの、変わるべきもの、持っていますか?
持っていた方が、人間として素敵だと思います。
(Photos taken at the Mitsubishi Ichigokan Museum, Marunouchi, Tokyo, JAPAN in June 2018)
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