2018年5月4日金曜日

勉強は水やりみたいなもの

大学生は忙しいと思いますけど、勉強って「水やり」みたいなものだと思います。植物は、種類によりますけど、水やりをしないと枯れてしまいます。水をやりすぎても枯れますけど、毎日、気にかけてあげないといけません。たとえば、モッコウバラなどは二年とか三年くらい花を一切咲かせてくれません。それでも、水やりを続けていると、急に咲き出します。毎年です。三年間くらい我慢して水やりを続けられたヒトしか、綺麗な花を見られないということです。大学生活における勉強も、モッコウバラへの水やりに近いのではないでしょうか。勉強した結果は、数年後にしか分からないです。おそらく、就職活動でも必ずしも活かしきれないと思います。それでも勉強しておかないと、いざ必要になったときに使いこなして利益を享受できない。

僕のゼミでは、法律の知識を使って貰う機会を提供しているだけです。知識は、普段の勉強や自分で時間を見つけて身につけないといけません。勉強しなくても、何となくは楽しめます。そういう問題を作っているので。

しかし、勉強したら、もっともっと面白くなるはずです。法律問題は、白を白と言ったり、黒を黒と言うような代物ではないからです。ゼミ生と僕の間で本気で争ったら、僕が負けるかもしれない、そういうものです。自分で少しずつでも、授業の時間を使って勉強しないと、ゼミの機会を最大限に使いこなせないことになります。

最高裁判例を使っても解けない問題があるということを知った上で、じゃあどうやって自分に有利な議論を作り出せるのかを考えてみる。裁判になって負ける可能性がゼロじゃないなら何もやらない、というのなら、公務員になっても何もできないでしょう(笑)。さまざまなリスクを前提として、クライアントの最善の利益を実現させる道具を知り、それを使いこなすのが法学部を出た者の宿命でしょう。弁護士かどうかとか、法律家かどうかとか関係ないです。分からないなら調べよう、それがスタートラインです。

勉強は水やりみたいなもので、なかなか効果は見えなくとも、必ず皆さんに返ってきます。だから、ゼミ以外に自分が履修している講義だけは、最低限頑張ったらいいです。