最近、Netflixで「指定生存者(サバイバー)」というドラマをみています。アメリカ憲法の講義の面からも極めて面白いですが、法学部の生き方を考えさせてくれるドラマですね。
報道官の役割は、事実や質問に正確に答えるだけでは足りないです。正確であることは当然で、大統領の印象を良くし、国民から支援を取り付ける手助けをすることにあります。
(だからこそ、存在だけでイメージがよさそうな方を採用するのが一般的です。話がうまいのは当然ですが。)
法学部に在籍していると、正解を探し、それを書いたり話して終わりです。誰が書いても話しても、まったく点数としても変わりない、そんなふうに思われているはずです。でも、実際には、結論や理由付けが同じでも、言葉の選び方や使い方、文章の構成、言い方、話すスピードや目線、具体例や質問の受け答えによって、印象がぜんぜん変わってきます。教科書や参考書ではぜったいに教えてくれませんけど、どんなに正解みたいなことを書いたり話していても、実は評価はぜんぜん変わってくるのです。
それは平等じゃないって思うかもしれませんが、仕方ないです。これが社会。司法試験とか定期試験ならいざ知らず、現場ではそもそも正しさ自体が100%ではあり得ないので、大事なのは正しいものはより正しく聞いて貰えて、不正確さが残るものならば不正確でも仕方ないと納得して貰える、そんな回答なのです。
法学部の講義やゼミに出ていても、おそらく、そういう感覚には至れないでしょう。卒業までは、っていう意味です。卒業して働き始めたら、すぐに分かるんですけどね(笑)。
口だけ、文章だけ上手くなれば良いと言っているわけではないです。大事なのは、正解らしきものを見つけて相手に伝えようとしても、技術がなければ伝わらないし、伝えられない。技術だけでもダメですが、限られた時間で理解して貰い、願いを叶えるにはどうしても技術が必要なのです。
ゼミの時間は限られていますけど、できる限りの基本は伝えたいと思っています。報道官にはなれなくても、自分の夢は叶えられるように。