僕には気象の知識がまったくないですけど、気象は予測の学問。バタフライ・エフェクトがあるので、予測するのは難しいはずですけど、古来からずっと、ヒトは気象とともに生きてきました。日照りが続けば雨乞いをして、雨の日が続けば、お日様の登場を祈る、そういう時代から、今は天気を人工的に創り出す技術まで生み出されています。
気象と法って無関係そうに見えて、実は関係性が強いです。気象は予測の学問だといいましたけど、そうすると、そこには必ずリスクがあり、リスクがある世界では契約が機能します。保険とかを想像すれば、よく分かるはず。
話を雨に戻すと、雨に打たれると、自分が生きてるなぁって感じるのです。自然には勝てないヒトとして、自然の中で何とか生きているんだなぁって。傘を差したり、タクシーやバスに乗ったり、建物に逃げ込めば雨を避けることはできますけど、不意に雨に打たれると晴れの日も雨の日も、変わらず生きているんだ、生かされているんだ、と痛感します。
ミスチルの「雨のち晴れ」、浜崎あゆみさんの「Seasons」を引用するまでもなく、人生には良いときも、悪いときもある。悪い時は良い時を、良い時には悪い時をイメージできたら、1回きりの人生ってもっと大事に生きられるのではないか、そう思います。
雨の話なのに、写真は青空です。雨の日も、青空をイメージしています。雨の日があるから、青空はもっと青く、美しく感じられるはずです。
(Photo taken in Aug. 2017, in Meguro District, Tokyo JAPAN)