法学入門では、「われわれは、現在ある法(現行法)を最高のもの、至上のものとしてはならない」と説かれています。そうだよなぁ、と改めて思う。法が可変的なものであることを理解し、法が社会の変化にフィットしているのかどうか、常に問う感覚が大事だと説かれている点はとても素晴らしい。
でも、今の法学教育で、そんな風に教えられているんだろうか。現行法、それに関連する判例を教えるのが精一杯なのでは。そんなのは、ロースクールで学べばよい気もするけど、じゃあ、法学部で何を教えるんだよって怒られそうですね(笑)。
悪法も法なりが必ずしも正しくないなら、結局、どうやって生きたらいい?確かに法学部では、悪法も法なりだと危険なんだとは教えてくれる。でも、そもそも悪法ってどんなものか、悪法のもとでどうやって生きていけばいいのか、悪法をどうかいくぐればよいのか、悪法をどう変えたらいいのか、悪法をそもそも作らせない方法はないのか、それらを法学部では教えてくれるわけでもないんですよ。だって、答えないし、教えにくいですからね。
多くの人は、悪法は法なりは危険だと叫び続けていればいいかもしれないけど、悪法を破ったときに厳しい罰則が付いていたらどうするんでしょう。マスコミが騒いだら、逮捕されても釈放してもらえますかね。当該法令は適用違憲になりますかね。結局、ほぼほぼ合憲になるとしたら、騒いでどうなるんでしょう?誰かのように日本から逃げればいいですか?もちろん、マスコミが騒げばそもそも法令にできないだろう、というナイーブな発想はありえますけど。まあ、できちゃいますよね。法令って。それに、悪法って何を言うか、そんなにはっきりしてませんし。公共の福祉に適うって言って、押し切られちゃうんじゃないでしょうか。
法学が死んでないなら、これらにちゃんと答えられる必要がありますし、学生に悪法とどう向き合うのか、どう生きていくのかを教えられないといけなくないですかね。ロースクールではたぶん、そんなの教えないし、教える意味もないでしょう。勝てる、勝てない、理由はこれ、判例はこれ。それくらいしか、やれないでしょう。だって法曹は、シニカルに言えば、よい法よりも悪法の方がありがたいはずなので。