学生の皆さんはテレビを見ないかもしれないけど、日本版の「The Good Wife」は観てほしいです。第一話だけでも是非。
僕は、弁護士ないし法廷ドラマより実は、スパイドラマの方が好きですけど(笑)、弁護士ないし法廷ドラマの中では「Suits」より、「The Good Wife」の方かな。どちらも好きですけど、後者の方が生々しいんですよね。内容が。
わざわざブログに書き残しておこうと思ったのは、僕を含めて法学部にいるとどうしても、否応なく事件の結果、勝ち負けを気にしすぎるということです。判例についても、事実、争点、結論、理由付けを覚えて終わり。まあ、覚えないよりは覚えた方がいいです。でも、本当に大事なのは、その先なんじゃないかなぁ、と僕は思っています。
事件を争えば、必ず勝ち負けはあるけど、勝っても負けても、和解に至っても、必ずその先の人生がある。その先の未来があります。そこで何を生み出せるのか、失うのか、失うものを何で補うのか、どうやって生きていくのか、そういう発想が大事なんじゃないかな、と思っています。たとえば、会社の不祥事対応であれば、その瞬間瞬間をうまく切り抜ける術も大事かもですけど、その先、苦しんで非難されても最後には信頼を回復して売り上げにつなげていけるような発想です。もっというと、この事件対応や訴訟で何が変わり、何が生じるのか、という視点を持てたら、事件や訴訟への向き合い方も変わってくるのではないかなと。訴訟の前に、結果は分からない(わかっているなら、訴訟する意味は真実らしきものの発見くらいしかない)以上、最後は勝つかもしれないし、負けるかもしれない。両方の当事者とも、勝つために必死に争うけど、和解しない限り勝ち負けは必ず着いてしまう。刑事にはそもそも和解がないですしね(日本版司法取引はありますけど)。
「The Good Wife」の第一話では、ある訴訟の結果の先が示されます。訴訟の結末はともかく、僕はその先が描かれた点について触れたいです。訴訟の目的はいろいろあると思いますけど、必ず、訴訟の先に両当事者の、そしてそれ以外の人々の生活がある。勝っても負けても、勝者にも敗者にも生活があります。その生活が少しでも「まし」になるなら、結果はともかく訴訟をする意味はあるかもしれない。結果を保証できる訴訟はたぶんありえないけど、未来のための訴訟はある。クライアントが満足する負け、ないし負け方はありうるのかも。そう感じさせてくれるのが第一話でした。訴訟で負けても、よい未来を手に入れられることもあるし、逆に訴訟で勝っても、信頼を失墜させ、仕事を失うことはありうるってこと。ネタバレを極力避けて書くと、こんな感じですかね(笑)。
勝ち負けをとりあえず置いておいて、争いに巻き込まれないように事前に何ができるのか、そして仮に巻き込まれたら、どんな主張を展開しうるのか、その結果として勝敗がついた後、何をしてクライアントの利益を守れるのか、そういう点じゃなく線、もっと言えば立体的な思考って、なかなか難しいですね。危機に追い込まれると、目の前のことで精いっぱいで、考える余裕はなくなってしまいます。僕にもそんな危機は幾つもあります。だからこそ、僕は、ゼミのみんなと考えてみたいなって思っています。危機に巻き込まれる前に、勝ち負けだけじゃなく、事件の先ある世界について、一緒に考えてみませんか?