2017年1月30日月曜日

定期試験の成績を超えてーもっと大事なものがある?

定期試験でよい成績を得ることは大事ではありますけど、そんなに簡単なことではないので、あまり気にし過ぎないで欲しいです。なぜなら、正解や講評が必ずしも公表されない以上、自分の回答のよさや悪さは事後的に確認のしようがないからです。先生がAAと付ければAAですし、BならBでしかないですから。

そういう意味では、定期試験の成績は結果でしかないと言えます。僕は、学生の皆さんが自分でちゃんと勉強して、それなりに書けて成績が出ないときは先生が悪いんだ、こんな講義取らなければよかった、くらいの気持ちでよいのではないか、と本気で考えています。よければよかったね、ダメならせっかく勉強したけど仕方ないや、そのくらいで十分。大事なのは、勉強して得たものです。成績の結果じゃない。

ちなみに、先生方って誰でも、成績評価はかなり神経すり減らしていますし、批判覚悟で付けています。枚数が多い先生も少ない先生も、これほど苦しい作業はたぶんありません。少なくとも、僕にとっては一番嫌いな作業です。

学生にとって最も大事なのは、講義やゼミの中で自分なりに何を得られたか、ではないでしょうか。出席してもできなくても、講義を通じて勉強して得られたモノがあれば、それは人生にとってきっと役立てることができます。成績は、一端ついてしまったらそれが「成績」で後からは原則変えられないですし、留学等を除けばほとんど見られることないです。そして、せっかく15回分の講義があって、それを定期試験の成績のためだけに復習したりとかしてたら、本当に無駄、だと思いません?貴重な時間や資源の無駄だと思いますよ。


※もし、どんな先生でもですが、人生でまったく役立たない講義なんてしていたら、先生である意味がないし、そんな講義はダメだと僕は思っています。どんな先生でも、きっといつか皆さんの役に立てばいいな、そう思って教えていると信じています(個人差はあれど、ですけど)。

2017年1月28日土曜日

プレゼミの応募の前に

プレゼミを応募される現1年生の皆さん、プレゼミの選択は気の赴くままにお選びください。プレゼミを選択するのは悩みますよね。成績だけで決まってしまいますし、落ちたら行き場がないのではないかとか、いろいろと考えてしまうと思います。でも、プレゼミで失敗しても大丈夫。本ゼミで所属を変更すれば、損害は最小限にすることが出来ます。半年間、リスク込みで何を得るか、少なくとも自分なりに得たいと思うかという点から、ぜひ自分なりのプレゼミを選んでください。

契約法やM&Aビジネス実務論を教えていて感じるのは、失敗って決して起こってはいけないという感覚です。もちろん、できれば失敗したくないのは誰でも同じ。僕もあなたも、それ以外のヒトでも皆失敗は嫌なものです。でも、どんなに注意して選択しても、間違うことはあります(笑)。僕なんか、つい最近、上司の指示と若干ずれたアレンジメントをしていることを指摘され、凹んでいます。

ちなみに、僕は大学生の頃、2つの基礎演習(プレゼミ)に入っていました。1つは民法(ただし、労働法の先生だったので主に労働法)、もう1つは国際法でした。本ゼミでは別の領域を選びましたけれど、僕はどちらのプレゼミも受講できて本当によかったと思っています。無駄なことなんて何もないんだなって今更思います。今でも、労働法(水町勇一郎先生)と国際法(植木俊哉先生)は僕にとって特別な領域です。2人の先生のことは、ずっと尊敬して止みません。

必ず受講できる保障はない前提で、皆さんはどうやってプレゼミを選びますか。最悪のプレゼミが仮にあるとしたら(ないと信じていますが)、それを回避するのも一案ですね。でも、僕は、自分なりのポリシーを作ってプレゼミを選んで欲しいと思います。半期で何を得たくて、仮に得られたら次にどうしたいのか、得られなかったらどうやって挽回するのか、そういうプランニングの中で、自分なりの選択肢は見えてくるのだと思います。失敗しても大丈夫です。その方が、本ゼミの選択でさらに頑張れるかもしれませんよ。

選ばれる側の先生方も、正直、いつもどきどきしていると思います。どんな学生が来てるかなとか、誰も来てくれないのかもなっていう不安、学生の皆さんにはきっとわからないかもしれませんね。


Special thanks to the enrolled students

プレゼミ(半年間)と本ゼミ(1年間)の皆さん、本当にどうもありがとうございました。僕にとっては青学での2年目が無事に終わりました。心より深くお礼申し上げます。

いろいろな問題はあるのかもしれませんけど、僕は、改善するならやり遂げないと意味がない、と思っています。ゼミ生の皆さんからの意見を元にして、確実に着実によりよいゼミにしていくつもりです。文句を言うだけだと、何も変わらないですしね(笑)。

ゼミの主役はゼミ生です。それは、利益も失敗も享受することも意味しています。皆さんと一緒にさまざまな挑戦をして、失敗は最小に、成功をたくさんのゼミに出来ればと思います。


本当にどうもありがとうございました。








(Photo taken with the junior students at Aoyama Gakuin University)

(Photo taken at the final class by the sophomore students, in Aoyama Gakuin University)

2017年1月25日水曜日

法的なセンスを磨くってどういうこと?

2016年度のゼミと講義をすべて終えて、今一度、法的なセンスを磨くってどんなことなんだろうって考えています。センスだから、そもそも後天的に鍛えられるのかとか、弁護士とか法曹三者にならないヒトにとって鍛えて意味があるのかとか、いろいろと論点はありそうです。

僕が考えている「法的なセンス」というのは、ある事象があってそこに問題があると思われるときに、法的な争いになりうるかを判断できるかどうかに加えて、もし法的な争いになる場合には自分に有利な議論を展開できるかどうか、そしてそもそも、ある行為をしたときに将来、法的に問題になり得るかどうかについて鋭敏でそれなりに正しい感覚を持ち合わせているか、という点などを想定しています。

僕は、法的なセンスは法曹三者以外でも活用可能だと考えていて、最近、さまざまな学生と一緒に勉強していて、たぶん活用可能なんだろうって勝手に思い込み始めています(笑)。学部の講義やゼミでも、さまざまな実務家が参加している大学院の講義でも、法的なセンスを磨いたら明日から、見える世界が変わる、そう信じてやみません。大きなことが言いたいわけではなく、法ってそれくらい社会にとって重要だというだけですし、それをうまく使えたら、もっともっと世界はよくなる気がするのです。

このブログで僕の講義内容やゼミでのお話をすべて書いてしまうことは出来ませんけど、法的なセンスってやはりありそうですし、従来の法学教育だけでそれを鍛えることはたぶん無理です(practically impossible)。

僕は、青山学院大学などで法的なセンスを磨ける講義やゼミを創造していきたいと思っています。

2017年1月23日月曜日

Celebration of "S" University's seminar by the senior students


これは、青学ではないですが、特別なゼミの記念写真です。
輝かしい学生の未来に乾杯!!!

























All photos by 今 祥雄






ゼミのガバナンス-ゼミをよくするのは誰か?

僕は、ゼミをよくするのは、第一にはゼミを構成する学生の力だと思っています。もちろん、僕自身がダメな点や改善すべき点に気付いて直すことは言うまでもないのですが、期末ごとにゼミ生に意見を貰って、少しずつでもその意見を反映させながら改善していきたいと考えています。

資本主義においてコーポレート・ガバナンスが極めて重要なように、ゼミが適切に運営されるうえではゼミのガバナンスが重要です。教員は当然ながら、さまざまな点で責任を負っていて、ガバナンスの中心にあるのかもしれません。しかしながら、ゼミを質を維持することはできても、おそらくよくすることはできないと思います。なぜなら、ゼミの主役はゼミを構成する学生であり、その満足につながるように運営されなければ、ある意味では「無駄」だからです。

毎期、いろいろな要望が出されて、その要望を精査し、できる限り反映させようとしています。1人の学生のために、というよりもすべてのゼミ生のためにです。

法学部のゼミですし、ゼミも組織ですから、ガバナンスを考えることで各期ごとに改善を実感できるとよいですね。なんだか、会社みたいですが(笑)。


2017年1月22日日曜日

プレゼミと本ゼミとの関係について

僕のゼミでは、プレゼミと本ゼミの内容が重なり合うので、連続して受講する必要が必ずしもありません。本ゼミでは、医療と法を通じて、世の中のありとあらゆる問題を法的に分析し、簡易なメモにまとめ、プレゼンで説得力のある改善策を提示できるようになることを目指します。プレゼミには、医療と法についてそれほど関心がない学生が多く含まれるため、そのような学生でも楽しめるような内容を含めていますが、やっていることの本質は本ゼミと変わりありません。では、プレゼミだけ出て本ゼミは別のところに行くのが一番よいのではないか、という単純なことになるかというと、必ずしもそうではない、と僕は考えています。

本ゼミに入ると言うことは、原則として、そのゼミで卒論を書き上げることになります。卒論を書くのは意外と大変ですが、何より難しいと思うのはテーマを探すことです。まだ世の中でほとんど誰も気にしていないけれども本当は大事なんだ、と言えるテーマを探し出すには法的なセンスを駆使しないと無理です。プレゼミでその基礎を学び、他のゼミでその能力を発揮できる学生であればよいでしょう。しかしながら、法的なセンスはそんなに簡単には伸びませんし、他の先生には他の先生の教え方や流儀があり、合わない先生と一緒に卒論を書くのは想像を絶する苦痛です(笑)。

僕はプレゼミの学生に、必ずしも僕の本ゼミを選択することが望ましくない、と正直に話しています。2年半の期間一緒にいても、僕から得られる技術には限りがあり、むしろ半年+2年に分けて、2人の先生から教わった方が付加価値が高まる可能性が高いと思われるからです。

プレゼミで最重要視しているのは、法律を好きになることと、法的にモノを考えて、相手方にその内容をしっかり伝えられる(説得力のある形で伝えられる)ようにすることです。

1年生はそろそろ、プレゼミの選択ですね。
ぜひ、素晴らしいプレゼミと出会えますように。心よりお祈り申し上げます。

2017年1月13日金曜日

法律問題に100点はない?法律は誰の味方?

法律問題には100点というか、完璧な正解が必ずあると思いますか?現実の世界で起こる法律問題については、100点や完璧な正解が必ずしもない場合の方が普通だと思います。試験で出される仮想の問題と違って、現実の法律問題ではさまざまな制約があり、仮想の世界でベストな解が使えないこともあります。たとえば、お金がないとか、時間が足りないとかいろいろな制約がありますよね。また、一方のクライアントの立場から最善でも、社会全体にとってはぜんぜんよくない解だって当然ありますよね。法律問題については、数学の公式に数字を当てはめれば完璧な答えが導き出せる、というわけにはいかないということです。

講義をしていると、学生の皆さんは法律問題には正解がある前提で、答えを断言的に話すことが多いです。事実関係や前提などの条件をつければ、正解に近いものを見つけることはできますが、ゼロかイチか、というような回答は法律問題にはなじまないかもしれません。

事例に基づいて考えてみましょう。法令解釈が問題になれば、当然ながら、関連する最高裁判決を、最高裁判決がなければ下級審判決を探せばよいのは誰でもわかりますが、裁判例が1件もない場合にはどうすればよいか?法令を所管する行政庁は、ガイドラインの形で内部解釈指針を示していることはありますが、それは究極的なというか、最終の解ではないですね。とりわけ問題なのは、ガイドラインは個別具体的な事案を解決するために作られているわけではないため、ある事案にとっては極めて不利に働くこともあります。その場合、どうしたらよいか、わかりますか?

法律家であれば、上記のように最終の解が示されていなくても、その前提で、一定の法解釈をクライアントに示す必要が出てきます。皆さんが卒業するころには、それができるようになっているといいですね。

ゼミや講義では、法律問題に100点がない前提で、クライアントのために法律を味方にするようなスキルを磨きたいと思っています。




2017年1月7日土曜日

法学部に入ったらまず何をしますか(3)?→本をたくさん読んでみよう

法学部に入ったらまず、本をたくさん読んでみませんか?本を読むのは、知識を得るためにも良いのですけど、ここでは、世界には自分の知らない事項がたくさんあるんだ、という事実を直視するために読んでほしいと思っています。世の中知らないことばかり、それは法律を勉強して使う上で、とても大事な事実だと思います。

人生がいかに長くなっても、経験できないことや身近に感じられないことはたくさんあります。人生が無限で何回もやり直せるなら、自分で何事も経験していればよいかもしれません。でも、実際は違いますね。ヒトはいつか必ず死にます。寿命を全うしてもできなくても、限りある時間の中で自分が経験したり、身近に感じられることも有限です。数多くのバイトでもしていれば別ですが、大学生の間にすべての分野を知り尽くすことは事実上無理、と言わざるを得ません。

法律という世界には、お察しのとおり、限界がほとんどないです。僕らの経験の限界など関係ないです。実際、理論上はどのような分野でも、法律などの規制対象にすることができます(日本では国会が法律で定めるか、地方公共団体が条例を定めれば、ですが)。もちろん、政治的に規制した苦でもできない分野もありますね。ただし、法規制は自分の専門が会社法だから他はしらなくていいやとか、民法は好きだけど刑法嫌いだからいいやとかそういうレベルではなくて、自分の好き嫌いにかかわらず、現実になる場合があります。ぜんぜん身近でもなく、経験もしてない世界でも関係ありません。

知らない世界の話を法的に考えるのは難しいですが、知らない世界を狭くしてくれるのが読書だと思います。いや、逆にわからないことが多くなったりもしますね。知れば知るほどわからないことがでてくるので。もちろん、聞いたり、調べたりすれば、知らない世界についても法的に考えられないわけではないのはそのとおりですが、最初からある世界にとっかかりがあれば、リサーチはより早く、正確に、しかも網羅的になるはずです。たとえば、トラウマ(心的外傷)について全く知識がないヒトが、トラウマで損害を被ったという場合の損害賠償について調べようにも、なかなか大変ですよね。誤ったイメージでリサーチをするのも大問題です。みすず書房にはジュディス・L・ハーマン『心的外傷と回復』という有名な本がありますけど、あの本を読んでいると、トラウマの理解は他の大学生とは比べものにならないはずです。

法律を勉強していくと、「ああ、それ知ってる」っていうことが多くなりますが、本当にそうなのでしょうか?勉強すればするほど、わからないことだらけです。実務では日々、新しいことが考えられていて、その実務の世界には、僕らが接したことのない分野がたくさん含まれています。

知ってること、正解があることで満足するのはもうやめて、大学生らしく、わからないことを考えてみませんか?しかも、法律のことです。そのための第一歩は、やはり読書にあると思います。


2017年1月1日日曜日

法学部に入ったらまず何をしますか(2)?→言葉を大事にしてみよう

明けましておめでとうございます。2017年が皆さんにとってよい1年になりますように。

法学部に入ったら、何かバイトしてみたらどうかと言いましたけど、法律のお勉強の観点から言えば、言葉を大事にして生活してみてほしい、そう思います。大学に入ると、たくさんの一般教養科目(青学では、青山スタンダードと呼ばれるらしいです)で単位を修得しなければなりません。そこでは、法律に関係する知識がたくさん得られます。その中でも、言語や論理学は、基本中の基本になりますし、意外と科学史も法学に応用可能な話が多いです。

言葉を大事に生活するというのは、ある言葉の意味を問い直したり、定義を考えながら生きてみるということです。一般教養で学ぶ話の1つを例にすると、たとえば、「青信号」の青色は何色に見えます?教習所でもどこでも、青信号は「青色」だという大前提のはずですが、あれは青色のでしょうか。緑っぽい青を青色ということにして、青信号と呼んでいるだけです。あのような色を「赤」と呼ぶことも、そういうルールを作れば別に不可能ではない、ということに気づくと、社会って面白いと思いませんか?僕らが知っている青はなぜ青色って呼ばれていて、赤はなぜ赤色なんだろうなんて、高校生までは絶対に考えてこなかったはずです。要するに、僕らが知っている青は青色、赤は赤色って呼ぶルールがある、だから僕らは青、赤というように色を呼称できているだけなんですよね。

ちなみに、最相葉月さんの「青いバラ」を読むと、昔「青いバラ」って思われていたお花の色と、今、「青いバラ」って思われているお花の色が違うのに驚かされます。古来からヒトは、自分の思い描く「青いバラ」を探し求めていたらしいですが、そもそも、自然なバラの花には青い色素がまったくなく、誰も本当の「青いバラ」を知らないのです。遺伝子組み換え技術で青い色をしたバラは生み出せるようになりましたけど、果たしてそれはもともと追い求められていた「青いバラ」なのかどうか。

これまで何度もお話ししているように、法律は言葉を使う学問ですから、どうしても言葉の意味を大事にしなければならないです。青は青だ、赤は赤だ、というヒトにはあまり向かない学問かもしれません。青ってどんな青色、赤ってどんな赤色って聞き返せるくらい、言葉を大事にして貰いたいと思います。もっというと、青を青色にしているルールってどこにあるのだろうとか、そんなことを考えられるあなたは、法学部うってつけの学生かもしれませんね(笑)。

2017年が皆さんにとって、実りある素敵なよい1年になりますように。