失敗や過ちは必ず糧となる。それがどんな失敗でも。僕が年内、書くのはこれで最後にしようと思います。
失敗や過ちのないヒトは幸せか。僕はそうは思わない。失敗はいつか必ずしますし、それなら早い方が傷は浅い。しかも、上のヒトが否応なしに少しは救ってくれる。だから、若いうちに失敗はたくさんしておけ、って言われます。僕の上司も、常々、僕にそう言っています。
(あまり回数は多くないけど、僕もいろいろと大きな失敗して、ぎりぎりで切り抜けて今に至ってます。上司に助けられたり、関係者に助けられたり、幸運に守られたりして。)
実際には、失敗や過ちはないに越したことはない。ないように努力するのは当たり前ですが、必ず、どこかで想定外のことが起こります。間違えてしまうことがあります。民法でどう習うかわかりませんが、想定外をなくすることは現実には不可能ですし。
失敗や過ちの後、どうするのか。謝るのは当然ですけど、許してもらえるかはわからない。嘘も同じですよね。ばれない嘘はない。ばれたら謝るでしょうけど、そもそも、謝って仮に許してもられたような場合(許してもらえたように見えた場合)でも回復しないものがある。それは、信頼です。
(たとえば、契約を破る自由は法的にあるといって過言ではないけど、それを行使したら信頼を失い、長期的な利益を減らすかもしれない。)
失敗や過ちは、謝って場を収めることは確かにできますけど、その先ですよね。本当に大事なのは。相手も大人なら、許したふりをすることは簡単。いくらでもできる。人間関係なら特にそう。会社の場合、お金やリピュテーションが関係すると、そんなに簡単ではないかも。株主利益にも影響するし。
失敗や過ちの後、許してもらえなかったらどうなるか。その人や会社との関係はどうすることもできないでしょう。時間がすごくたって、また一緒に仕事するかもしれない。それまで、必死に真面目に働くしかない。でも、別な関係者や会社との取引では、同じ失敗はしませんよね。きっと。それが「糧」です。失ってはじめて気づくことがある。間違えて、相手を怒らせて、はじめて分かることがある。人間ってそういう生き物じゃないですかね。
大学にいるうちは、謝罪で終わり。そう思われている。でも、実際は違いますよね。記録は残るし、何かの折に言われるし。相手の中にも、ずっと残るかもしれない。それは、背負って生きていくしかない。僕も皆さんもです。
間違えない人はいないから、その先を考えたい。僕にも当てはまる。間違えにくく慎重に行動しているつもりでも、やはり間違える。大事なのは、間違えた後。謝っても回復しないものがある。なかなか回復しない、そのことは覚えておきたいです。あと、大人になると、そもそも間違いだと指摘されなくなります。離れていくだけです。相手が。急に。
就活の面接で、ときどき失敗した経験、不得意な点を聞かれる理由、少しは理解できる気がしません?
This blog is mainly providing useful information to students who are interested in the seminar on law and policy in healthcare.
2018年12月18日火曜日
2018年12月14日金曜日
What's done is done
ゼミで扱う事件は、すでに過去のものが多いですね。そういう意味では、取り返しがつかないことばかりです。お金で解決できるものや、お金で解決できないけどそれしか方法がない、そういう事件もあります。法的な解決という意味では、です。
おおよそ法的な解決しか学ばない法学部では、たぶん、しょうがないとか、致し方ないとか、そんな言葉ばかり耳にします。判決で世界が一変するはずはなく、その先にも変わらない生活、変えなければならない生活などがあるのに、僕らはそこまで想定できない。法的な解決がすべてではない、ってことです。その先がある。必ずあります。
客観的に事案を分析できる能力は大事ですけど、もっともっと事案に近づいてみたら、事案って見え方が変わるかもしれませんよ。不法行為法・製造物責任法の講義でも試してみましたけど、同じ記事でも、読み方で印象はだいぶ変わりますから。
責任のありなしの先、皆で考えてみませんか。
おおよそ法的な解決しか学ばない法学部では、たぶん、しょうがないとか、致し方ないとか、そんな言葉ばかり耳にします。判決で世界が一変するはずはなく、その先にも変わらない生活、変えなければならない生活などがあるのに、僕らはそこまで想定できない。法的な解決がすべてではない、ってことです。その先がある。必ずあります。
客観的に事案を分析できる能力は大事ですけど、もっともっと事案に近づいてみたら、事案って見え方が変わるかもしれませんよ。不法行為法・製造物責任法の講義でも試してみましたけど、同じ記事でも、読み方で印象はだいぶ変わりますから。
責任のありなしの先、皆で考えてみませんか。
2018年12月11日火曜日
Under Pressure
映画"Atomic Blonde"で挿入されているクイーンの曲、の話ではないです。プレッシャーを感じない方が全力を出せるっていう人もいるし、逆の人もいる。僕は、適度なプレッシャーを毎日、感じていたい方です。だから、ゼミでもさまざまな形で、現実に起こりうるような場面を作り出し、プレゼンしてもらっています。そして、まじめにプレゼンを聞くようにしています。
相手がいないプレゼンは楽しくないし、相手がいないのなら準備もぜんぶ無駄。レジュメを作る作業は、ある意味で独りよがり。そう思います。プレゼンで相手に何かを分かってもらいたかったら、長い資料に意味はない。すべての参考資料を挙げてもしかたない。自分の勉強用のノートにでも残しておいて、聞かれたら応えられればいい。すべては、相手を思うところから、目指す結果から逆算して作業する、そういう姿勢の問題です。
法律問題を解くときも、皆多くの人は、抽象的に、裁判官になったつもりで解くけど、そんなのほとんどあり得ない。僕らは、一方当事者として案件に巻き込まれるからです。だとしたら、一方当事者として案件を検討してみたらいい。レジュメも、中立な立場ではなくて、一方に肩入れする形で作ってみた方がまだマシです。現場に出たら、負けはあり得ない。最後には負けたらどうするかも検討しておくわけですけど、負けますかねじゃなくて、どうやって勝つか、負けそうならどんな議論を展開して負けを小さくするか、ないし、引き分けにもっていくか、そういう発想ってもてないかなぁ。
Under Pressure、いい曲です。プレッシャーを感じて、プレゼンしてみてください!
あなたのプレゼンを劇的に変えると思います。
相手がいないプレゼンは楽しくないし、相手がいないのなら準備もぜんぶ無駄。レジュメを作る作業は、ある意味で独りよがり。そう思います。プレゼンで相手に何かを分かってもらいたかったら、長い資料に意味はない。すべての参考資料を挙げてもしかたない。自分の勉強用のノートにでも残しておいて、聞かれたら応えられればいい。すべては、相手を思うところから、目指す結果から逆算して作業する、そういう姿勢の問題です。
法律問題を解くときも、皆多くの人は、抽象的に、裁判官になったつもりで解くけど、そんなのほとんどあり得ない。僕らは、一方当事者として案件に巻き込まれるからです。だとしたら、一方当事者として案件を検討してみたらいい。レジュメも、中立な立場ではなくて、一方に肩入れする形で作ってみた方がまだマシです。現場に出たら、負けはあり得ない。最後には負けたらどうするかも検討しておくわけですけど、負けますかねじゃなくて、どうやって勝つか、負けそうならどんな議論を展開して負けを小さくするか、ないし、引き分けにもっていくか、そういう発想ってもてないかなぁ。
Under Pressure、いい曲です。プレッシャーを感じて、プレゼンしてみてください!
あなたのプレゼンを劇的に変えると思います。
2018年12月9日日曜日
AI for Social Good by Google
2018年12月8日の午後、六本木ヒルズで参加してきました。面白かったというより、結構、衝撃を受けたというのが正しいですね。もう、普通の人がそれなりのAIを手にできる。あとは、使い方次第。そういう時代が目の前まで来ている。それを知りました。
たぶん、僕らがしている多くの仕事は、AIの方に分がある。特に、過去データから何かを予測するもので、人為的ないし主観的な評価を介しない世界なら。もちろん、人為的ないし主観的な評価によるばらつきを可視化し、減らしていけば、そのような世界でもAIに委ねて、僕らは他のことに従事した方がよいのかも(笑)。
法学部にいると、なんでも既存のルールで解決したくなるけど、それではもうダメですね(笑)。おそらく、技術的に解決できるならば、それが事実上のルールを生み出してしまう。「コード」っていうレッシング教授が書いた本の世界になる。大事なのは、それでよいのかっていう視点が必要になることでしょうね。働く人間の立場から考えてみると、技術で解決できるものに時間や労力をかけず、AIなどを駆使して解決する判断ができないと、これからは生きていけないでしょう。自分がすべき仕事を選別する、どんどん、AIに任せるべき事柄を任せていける人になれないと相当やばい、ってことですね。
AIが不得意な場面は確かにありますけど、その分野でさえAIと人間の刈り取り場になるかも。今は、既存のルールで守られているからAIが入り込めなくても、ルール次第ではAIに席巻される分野は多い。法学部では、刈り取り場についてAIの側からどう刈り取るか、逆に人間の側からどう守るか、そもそもその分野を刈り取り場にしてよいのかなどの議論をできたら楽しいでしょうね。
ちなみに、たぶんですけど、あらゆる事象をルールに基づいて競争して勝ち負けが決まる、そういうゲームに仕立て上げたら、いずれ、AIが席巻しちゃうでしょうね。ルールを少し曲げて考えられたり、入力するデータをうまく支配できないと、人に勝ち目はないかな。
でも、よくよく考えてみると、これってゼミでやっていることそのもの。それに気づけたゼミ生は、たぶん、AIの波に飲まれないで済むんじゃないかと思います。AIを都合よく使い倒す、そんな発想ってなかなか持てないものですかね。
たぶん、僕らがしている多くの仕事は、AIの方に分がある。特に、過去データから何かを予測するもので、人為的ないし主観的な評価を介しない世界なら。もちろん、人為的ないし主観的な評価によるばらつきを可視化し、減らしていけば、そのような世界でもAIに委ねて、僕らは他のことに従事した方がよいのかも(笑)。
法学部にいると、なんでも既存のルールで解決したくなるけど、それではもうダメですね(笑)。おそらく、技術的に解決できるならば、それが事実上のルールを生み出してしまう。「コード」っていうレッシング教授が書いた本の世界になる。大事なのは、それでよいのかっていう視点が必要になることでしょうね。働く人間の立場から考えてみると、技術で解決できるものに時間や労力をかけず、AIなどを駆使して解決する判断ができないと、これからは生きていけないでしょう。自分がすべき仕事を選別する、どんどん、AIに任せるべき事柄を任せていける人になれないと相当やばい、ってことですね。
AIが不得意な場面は確かにありますけど、その分野でさえAIと人間の刈り取り場になるかも。今は、既存のルールで守られているからAIが入り込めなくても、ルール次第ではAIに席巻される分野は多い。法学部では、刈り取り場についてAIの側からどう刈り取るか、逆に人間の側からどう守るか、そもそもその分野を刈り取り場にしてよいのかなどの議論をできたら楽しいでしょうね。
ちなみに、たぶんですけど、あらゆる事象をルールに基づいて競争して勝ち負けが決まる、そういうゲームに仕立て上げたら、いずれ、AIが席巻しちゃうでしょうね。ルールを少し曲げて考えられたり、入力するデータをうまく支配できないと、人に勝ち目はないかな。
でも、よくよく考えてみると、これってゼミでやっていることそのもの。それに気づけたゼミ生は、たぶん、AIの波に飲まれないで済むんじゃないかと思います。AIを都合よく使い倒す、そんな発想ってなかなか持てないものですかね。
2018年12月7日金曜日
マイ・インターン(the Intern)
映画の話じゃないです(笑)。インターン、そろそろ始まっているみたいですね。試験と同様、インターンでも通るか通らないなど、何かしらの結果が必ず出ます。通らないから悲しい、悔しいって思う気持ちは痛いほど分かる(僕も就活したから(笑))。でも、ホントにそんなに残念なことかな、って思い直してほしいです。
インターンにもいろいろあるらしいですね。採用直結型とそうでないもの。直結型であれば、相手も相当に用意周到に準備しているはず。それに漏れても、ある意味で仕方ない。だって、僕らはまだ、準備していないでしょ。ぜんぜん準備してない。学歴などでフィルターにかけられるだけの選考で落とされても、そんなに気にしない方がよいです。もう一回、正規の採用プロセスで勝負すればいいじゃん。
採用直結型じゃないものであれば、むしろ、十二分に気を付けた方がいい。準備しないでインターンに参加して、実際には評価の対象になっていることは大いにあり得るからです。その評価を、正規の採用プロセスで覆すのは意外と大変かもしれないですよ。だって、「素」の自分を見られた後に、いくら化粧しても、準備しても後の祭り。就職活動は、なかなか大変ですね。
僕のゼミは、ある意味でインターンみたいなものかなって思います。映画の「マイ・インターン」とは違うけど、僕もゼミ生から学ぶことは多いし、毎回、少しずつですけど、皆の成長を感じられます。
就職活動はまだまだこれからです。焦らず、地道に、それでいて戦略的に頑張ってみてください。応援しています。
インターンにもいろいろあるらしいですね。採用直結型とそうでないもの。直結型であれば、相手も相当に用意周到に準備しているはず。それに漏れても、ある意味で仕方ない。だって、僕らはまだ、準備していないでしょ。ぜんぜん準備してない。学歴などでフィルターにかけられるだけの選考で落とされても、そんなに気にしない方がよいです。もう一回、正規の採用プロセスで勝負すればいいじゃん。
採用直結型じゃないものであれば、むしろ、十二分に気を付けた方がいい。準備しないでインターンに参加して、実際には評価の対象になっていることは大いにあり得るからです。その評価を、正規の採用プロセスで覆すのは意外と大変かもしれないですよ。だって、「素」の自分を見られた後に、いくら化粧しても、準備しても後の祭り。就職活動は、なかなか大変ですね。
僕のゼミは、ある意味でインターンみたいなものかなって思います。映画の「マイ・インターン」とは違うけど、僕もゼミ生から学ぶことは多いし、毎回、少しずつですけど、皆の成長を感じられます。
就職活動はまだまだこれからです。焦らず、地道に、それでいて戦略的に頑張ってみてください。応援しています。
2018年12月4日火曜日
一般受けを狙うか、それとも独自路線を歩むか?
ゼミでプレゼンをしていると、ときどき、考えさせられることがあります。プレゼンは、本来であれば自由のはずなのに、基本の形を教える意味があるのかと。
僕は、独自路線を貫ける人には最後まで貫いてほしい、って思っています。もちろん、ぜんぜん受けないかもしれない。多くの企業には嫌われるかもしれない。それでもかまわないと思える強さがあれば、きっと合う会社には拾われるし、それはある意味で幸せなことだろうって。
他方、独自路線にはリスクが付きまといます。企業は各社、同じではないし、ある企業の中にもいろいろな相手がいます。その人の誰と当たっても、それなりに評価してもらえるプレゼンを目指そうとすると、独自路線ではリスクが高すぎる。だから、最低限度の基本だけは押さえておく、それも戦略の1つだと思うのです。
素晴らしいプレゼンは、やはり、形に関係なく感動しますし、凄いなって思えます。時代さえ超越しているはずです。問題は、そんな超越したプレゼンをコンスタントにできるのかってこと。簡単じゃない。最近は、質問の仕方とかも勉強していますけど、良いプレゼンの前には良い分析や質問が当然の前提になると思います。
今後とも、プレゼンが上手な人にはもっと上手に、下手な人にもそれなりのプレゼンをしてもらえるようなゼミを目指したいです。もちろん、単に一般受けするプレゼンっていうよりも、誰に対しても、どこに行っても通用するようなプレゼンをできるようになってほしいと願って。
ロックバンドのクイーンの曲を聴きながら、そんなことを考えてしまいました。
僕は、独自路線を貫ける人には最後まで貫いてほしい、って思っています。もちろん、ぜんぜん受けないかもしれない。多くの企業には嫌われるかもしれない。それでもかまわないと思える強さがあれば、きっと合う会社には拾われるし、それはある意味で幸せなことだろうって。
他方、独自路線にはリスクが付きまといます。企業は各社、同じではないし、ある企業の中にもいろいろな相手がいます。その人の誰と当たっても、それなりに評価してもらえるプレゼンを目指そうとすると、独自路線ではリスクが高すぎる。だから、最低限度の基本だけは押さえておく、それも戦略の1つだと思うのです。
素晴らしいプレゼンは、やはり、形に関係なく感動しますし、凄いなって思えます。時代さえ超越しているはずです。問題は、そんな超越したプレゼンをコンスタントにできるのかってこと。簡単じゃない。最近は、質問の仕方とかも勉強していますけど、良いプレゼンの前には良い分析や質問が当然の前提になると思います。
今後とも、プレゼンが上手な人にはもっと上手に、下手な人にもそれなりのプレゼンをしてもらえるようなゼミを目指したいです。もちろん、単に一般受けするプレゼンっていうよりも、誰に対しても、どこに行っても通用するようなプレゼンをできるようになってほしいと願って。
ロックバンドのクイーンの曲を聴きながら、そんなことを考えてしまいました。
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