2018年11月25日日曜日

ゼミでの自分の変化を実感できてる?

プレゼミからであれば2年半、本ゼミだけだと2年の付き合い、それがゼミの関係です。実際にはそんなに長くなくて、就活のせいで前者は2年、後者は1年半になりますかね。その程度のものですが、人間にとっての2年や1年半は重要です。貴重すぎる。

将来、健康に2年や1年半を過ごせる保証はない以上、今、自分が手にしている時間は本当に貴重です。将来の時間より、今の時間の方が価値がある(現在価値に直せば、ということですけど)。

そんな限られた時間の中で、最近、変わったなとか、変わってきたなぁって思う学生が増えてきました。もちろん、良い意味でです。そろそろ変われないと、あとはそのままゴール、卒業してしまいますね。僕は神様じゃないし、特別な存在でもないから、学生を自由自在に変える能力を持ち合わせていません。自分で変わるしかない。昔、ある有名な心理学者は「僕に赤ん坊を預けてくれたら、どんな人にでも変えられる」って豪語したらしいですけど、正直、僕には人の将来をそんなに簡単に変れられないし、ぜんぜん作れないです。

変化を感じられていない学生は、法律を学び、良い成績をとり、資格をとっても、希望の就職が叶うわけじゃないし、良い人生を送れる保証はない、そのことにそろそろ気づくべきです。唯一、ほぼすべての学生に当てはまるのは、働かないと生きていけないってこと。働くために何をしておくべきか、どんな考え方や能力を備えるべきか、もっと言えば、法学部の学生として何を強みにすればよいのか、それを今一度考えてみて、ゼミや授業に臨んでみたらいいと思います。

法学はどこまで突き詰めてみても、言葉に学問。言葉をうまく使って、問題を解決し、クライアントに利益をもたらすのがお仕事です。ゼミで変化を感じられるころには、言葉を使ってお仕事できるような素養が、昔よりもきっと備わっているはず。自信をもって頑張ってください。たぶん、言葉を使って仕事するのが楽しみになります。

夢にとっては、1日も無駄にしないほうがいい。2年や1年半は当然、無駄にしないでほしいです。

2018年11月23日金曜日

Not for any Presidents who appointed as federal judges

アメリカでは、三権分立の問題がいつも念頭にあり、そのせめぎあいの中で法や政策が生み出されています。最近のニュースも、それをまざまざと見せつけてくれました。

https://www.fox4now.com/newsy/chief-justice-responds-to-trumps-criticism-of-obama-judge

トランプ大統領が、第9巡回区連邦控訴裁判所の判事を「オバマ前大統領の裁判官だ」と罵ったのに対し、最高裁長官であるロバーツ裁判官がそんな裁判官はいない、とコメントしたとのこと。指名した大統領の党派は共和党と民主党、どちらもあり得るけど、裁判官は裁判官であり、大統領の裁判官ではなく司法部は独立している、ということですね。

党派性が出てしまいそうな判決こそ、一番、党派性が感じられないような判決が求められるわけですが、結論だけで判断されると裁判官としては厳しいでしょうね。和解もあり得ない事案ですし、逃げようがないので。こういうときこそ、裁判官の力の見せ所ではあるのでしょうけど、こんなことは歴史上、あまり聞いたことがないです。

間髪入れずに最高裁がコメントするあたりがアメリカですね(笑)。大統領、それを言っては合衆国憲法のもとで国政が機能しなくなる、とまでは言ってないですけど、法の国アメリカの根幹中の根幹の価値が司法部の独立性ですよって。

そういえば、ウィキペディアでCNN v. Trumpの裁判所命令を見つけました。デュープロセスだけで片付けたみたいですね。すごく気を付けて書かれた命令でした。面白かったです。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/99/CNN_v._Trump_transcript_2018-11-16.pdf


2018年11月18日日曜日

法で戦うってどういうこと?-CNN v. Trump

アメリカ法を眺めていると、毎日、法律問題ばかりです(笑)。法の国、そういわれるだけのことはあって、メディアでは法的な観点からの分析がなされます。もちろん、現行法で対応不能や望ましくない結果になるなら、立法の観点からもコメントがある、それがアメリカです。

法で戦うって、イメージが湧きますか?「リーガルV」でも、離婚弁護士でも扱われていますけど、「それって法律問題にホントになるのっていう問題」を、法律のフィールドにわざわざ引きずり込んで解決に導く、そういう話って信じられますか?

CNNのある記者さんが、ホワイトハウスの記者証を取り上げられた事件、実は訴訟になっていて、すでに暫定的差し止め命令が連邦地裁から出ています。すなわち、記者証を取り戻すのに「法」と「裁判所」が使われて、実際に返還されたようです。いろいろな根拠が挙げられていますけど、究極的な根拠は何でしょう。そう、最強の人権とも言われる「first amendment」、表現の自由です。あとは、デュープロセス(行政手続法もちょっぴり引用されているので注意)。

http://online.wsj.com/public/resources/documents/2018_1118_cnn_v_trump_injunction_motion.pdf
https://drive.google.com/file/d/1HyX_1ngNRGIENcUDzUtUA_AA3rqMwhMF/view

日本だと、そもそも記者証を奪わなくても、メディア側が自発的に記者を入れ替える対応をするかもしれませんし、そうでなくても、政府側も記者証を取り上げるような行為に出ることはないかもしれませんね。

アメリカでは、ガチンコで戦い、今回の事件では政府側が暫定的に負けた、ということです。あくまで暫定的に、ですが、それでも大きなことです。

誰も救いの手を差し伸べてくれないとき、最後の砦はおそらく、法です。社会的な意味で、具体的な救済を生み出しうる最強の道具は「法」だからです。でも、僕らは本当に、法に頼って生きているのかというと、必ずしもそんなことない。そもそも、法を使って事案を解決しよう、そういう発想は希薄です。なんでもかんでも弁護士を立てればいい、そういうわけではないですけど、日本において最後の砦として法は機能しうるのか、それは問い直してみてもいいかな。

毎日のニュースに、法を使うヒントは隠れています。
皆さんも、探してみませんか。


2018年11月16日金曜日

チャンスは何度も来ない?

青学の学生と話していてときどき思うのは、いい人が多いけど、チャンスについてはみすみす捨てる人が多いってことです(全員じゃないけど(笑))。4年前に赴任して以来、その印象は変わっていません。

まあ、チャンスなんて相対的なものだから、何かを捨てて、別なものを得ているならそれでいい。ただし、その見極め次第で、人生は変わります。それは、忘れないでほしいです。

授業やゼミをしていても思いますけど、質問して答えを貰い、それにまた応える、その一連のプロセスの中に、試験でキーとなる概念が潜んでいるかもしれない。わからなかったら、前の人と同じ内容が聞かれることを前提に、自分で調べて考えておけばいい。分からないといえば、寝たふりをすれば、静かに先の人に行ってくれる。でも、試験対策問題を考える機会を捨てる、そういう選択をしたのと同じ。授業やゼミに1時間半の間出席すれば、その1時間半に別なことをできる機会を捨てている、それをもっともっと意識した方がいいです。

人生でチャンスは3度、っていう言葉があるように、そんなに何度もやってきません。
だからこそ、目の前にあるチャンスは掴んでください。それが、どんな性質のものであっても。少なくとも、掴もうとする努力はしてほしいと思います。

2018年11月9日金曜日

時間は有限だけど、誰と過ごし、何をする?

歳をとった証拠かもしれませんけど、最近、疲れやすいです。昨日も、「法と経済」の講義を終えたら、数分間は立ち上がれないくらいでした(笑)。

講義をしていても、ゼミをしていても感じるのですが、単に出席だけしてもあまり意味はない気がします。先生の中には、出席するのは当たり前、そういう人はいますね。僕も、ゼミは基本的にはそう思います。でも、出席していればいいとは思わない。講義も、出席していた人が高得点を取りやすいのは当然としても、ただ話を聞いているだけでは、ほとんど価値がない気がします。要するに、自分の取り組み方次第で、講義もゼミも効果が変わってくるのではないか、ということです。

単位は大事です。お金を払って大学に来て、単位を修得できなければ卒業できず、働きたいところで働けなくなってしまう。そういう意味では、コツコツと単位を取るために最低限出席だけはしよう、そういう心構えを否定するつもりはありません。むしろ、素晴らしい。ただ、どうせ出席するなら、主体的に出席した方が時間やお金の観点からすれば、より有効なのかな、そう思うのです。

たとえば、ダイエットやスポーツのトレーニングでも、継続していれば短時間で効果が出る、そういう話を聞いたことがありますよね。大事なのは時間ではなく、継続とやり方なのだと。

法律問題は、普通、答えが1つになることはなかなかない。さまざまな制約条件や事実関係を考慮すれば、1つになることはありますが、それを選び出す過程でさまざまな可能性を考えなければならないでしょう。講義やゼミではどうか。模範というかモデル回答は用意されていて、それに誘導されますね(笑)。普通は、それを覚えるだけ。僕の話をぜんぶ暗記するなんてナンセンスだけど、それでも暗記すれば試験には通る。でも、なぜモデル回答になるのか、変じゃないか、別な回答の方が望ましくないのかなどなど、自分で考えたらより知識を深めることができるはず。もっといえば、別な問題が出ても怖くなくなります。正解を覚えるのではなく、正解を発見する、ないし作り出す方法を学ぶのが大事であり、それは出席して話を聞いているだけでは無理だ、ということです。

正直に言うと、僕は昔ほど、講義室全体を歩き回って全員にマイクを回す元気がないけど、マイクが回るか回らないかにかかわらず、常に、自分の頭で考えてみてほしいです。目の前の事案の答えはこれで本当に正しいのかどうか。この先、類似の事件が発生しても本当にこれで望ましい結論を導けるのかどうか。もっと視野を広げて、社会的な影響はどうなのかなどなど、考えられるところはたくさんあります。

答えが1つじゃないなら、どうやって相手を納得させるか。それは、プレゼンであり、リーガルメモです。プレゼンやメモを駆使して、相手にほかの結論よりもこの結論がマシ、ないし明らかにベターなのだ、と示せるかどうか。それで、世界は回っている。もちろん、納得してくれない可能性もあるので、その場合の対策も事前に考えておきます。最悪の事態は、未然に予想して備えておけばよい(笑)。そこまで考えて、普段、プレゼンしてないでしょう。A案がだめならせめてB案、その提案の仕方で、結果は変わるかもしれませんよ。だから、ゼミでももっともっともっとシリアスに、自分なりのプレゼンを探求してほしい。

貴重な時間、仮に講義やゼミに割くなら、誰とどう使いますか?出席しないよりはした方がいいけど、もっと効率的に、効果的に時間を使ってみませんか。逆に言えば、僕のような教員は、他に時間を割くよりも講義やゼミに割いた方がベター、そう思わせるような講義やゼミを提供し続けないといけないのではないか、そう個人的には思っています。