2020年3月30日月曜日

法的なセンスは、成功を約束しない?

"Breaking Bad"や"Better Call Saul"を観ていると、法的なセンスって成功を必ずしも約束しないし(短期的には成功をおさめられたとしても)、センスは良くても人間としては「?」って思えるようなことをしてしまうんだと、改めて痛感します。

法は道具なので、要は使い方。僕のゼミでも結局、言い訳とか言い逃れとかつじつま合わせだけが上手くなる人もいます。稀に、ですけど(笑)。でも、それって中長期的に見たら、ぜんぜんよくないですよね。だって、必ず嫌われますから。間違いなく。切れる包丁を振り回せるようになっても、必ずしも料理をおいしく作れるわけじゃないし、ヒトを幸せにできるわけでもない。最悪、ヒトを傷つけてしまいかねないでしょう。そんな人は、魅力的でもないし、他者から好かれないでしょう。

結局、使い方なんです。道具でしかない「法」をどう使うか。使う人がだめなら、魅力的でなければ、どうしようもない。僕のゼミでは、魅力的な人間を作り出せるわけじゃなく、そのヒトが法を上手く使えるような手助けしかできないです。

ゼミを出るとき、何を思えるか。悪事ではなく、適切な目的のために法を使えるのか。法を使って自分や誰かを幸せにできるようになっているのか。できるようになっていたら、きっと、ヒトとして魅力的になっているってことです。

屁理屈に聞こえない法的な話し方、それって結局、他の人から見てもそうだなぁって思える理由付けだったり、エビデンスを駆使できるかによりますし、何より、伝えたい結論、中身がまともかどうか。人と違っていても、まともと思ってもらえる話し方、できるようになって卒業してほしいですね。




2020年3月26日木曜日

Not always "Justice for all" (正義は必ずしも勝てない…)

多くの人は「正義は勝つ、必ず勝つべき」と思って、普通は法学部に入って勉強しますけど、それは必ずしも真ならず、です。正義が最後に勝てないことはあります。もちろん、長い年月をかけて、結局のところ正義が勝つとか、少なくとも勝ったように見えることはあるんですけどね。

正義が勝てないのは、正義って誰の正義かっていう点を保留にしているから。別に、政治の話をしなくても、皆の正義ってなかなか難しいですよね。ある宗教から見た正義、ある組織から見た正義、ある個人から見た正義はそんなに難しくないんですけど、皆にとっての正義って、皆が同じものに究極の価値を置いていないと、ね。

法学部に入って、この事実に気づけたら、法律の勉強はもっともっと面白くなるはず。誰のために法律を使うのか、皆のためってかっこいいけど意外に難しいんだよなということに、1年生の早いうちに気づいてほしいです。

高校生までは、この世に正義はただ1つ。教科書がすべて、先生が言うことがすべてだったはずですけど、大学では違います。先生も間違えるし、教科書だって数ある文献の1つに過ぎないことを知ります。この世に神がいるとして、先生や教科書は神のような存在では決してない。

今日、あるニュース記事を見た知り合い(同僚)が、なんで正義が負けるんですかって質問してきたので、正義は負けますよというか、必ずしも勝てないですって答えました。

誤解してほしくないのは、正義に負けてほしいんじゃなく、正義は1つじゃないし、場面場面に応じて変わってきやすいもの。だからこそ、正義が負けるなんてという言葉にはあまり価値がなくて、どうして負けたのか、どうしたらその人の正義を貫けたのかを分析し、あらためて実践してみるしかないんです。だって、時間はぜったいに戻せないんですから。

(A photo taken at a temple, in Nakano Special District)

Commencement for 2020

卒業式はなかったけど、3月25日、青学には比較的たくさんの学生が集結してましたね。本当ならば、時間差を設けて、もう少し人が集まらない形で写真撮影とかが行われたらよかったかも。もちろん屋外だから、屋内で密集するよりはマシなんですけどね。学生も集まった方々も、どうか新型コロナウィルスやインフルエンザ等に感染していませんように、心から祈っています。

ご卒業、本当におめでとうございます。

僕は今年度、卒業するゼミ生には1人にも会えていません。新型コロナウィルス対策も考慮して会おうとしなかった、というのが正しいかな。最後に会えなくても、言葉をかけなくても、今後の成功と幸せを祈っているのと、何より、僕にはもう、話す言葉がぜんぜんないからです。ゼミでぜんぶ話しちゃったから(笑)。昨年度は、有志で集まって写真撮影をしました。凄く記憶に残る卒業式でした。今年度もまた、違った意味で記憶に残る卒業ですね。新型コロナウィルスは、僕らの生活を一変させてしまっていますから。

あと一週間で新年度。そのとき、卒業生の多くは新社会人としてスタートしますね。社会人は、学生とはぜんぜん違います。いい意味でも、悪い意味でもです。頼めば許してくれるとか、何とかなるのは学生まで。駄目なものは駄目な世界が広がっていますし、1回の失敗ですべてが水泡に帰すのも普通にある。そんな世界で、たくましく生きていってほしいです。

リスクがないところにリターンはない。リスクを恐れすぎてもダメだけど、向こう見ずなに進んでも危険なだけ。そういう経験を是非、してほしいです。お給料は、バイトよりももらえたら嬉しいはずです。きっと。

皆さんの幸せをずっと祈っています。幸多き新年度になりますように。健康に気を付けて頑張ってください。


(This photo was taken on Jan. 20, 2020, by Mr. Kon Akio, Photographer.  A female student in this photo asked to seal her face due to her privacy concern.  Please understand it.)








2020年3月21日土曜日

虹 by AAA

「虹」って曲が凄く好きです。法律とは全く関係ないけど、スパイ映画とか観ていると、結局、信じられる誰かをどれだけ持てるかが勝負だなぁ、って感じるんです。絶対に裏切らない人なんていないけど(笑)、まあ、それでも信じたいと思える人はこの世に必要です。すべての事象に、仮にプランBやCを用意していたら、必ず保険倒れになるので。

「虹」とはぜんぜん関係ないですが、法学部は本来、危機に最も強いはずの学部です。そうでなければ、法律を学ぶ意味がないですから。リスク上等、かかってこい(笑)。やりたいことをやるためにどんなプロセスを設け、どんな陣容で、どんな風に準備し、懸念が顕在化したらどうするか、それらを考えられて、実際に「実施できる」のが法学部。僕はそう信じて止みません。やりたいことがないなら仕方ないけどね。法律は道具だから、やるかやらないかとか、どうしたいかっていうことは決められない。そこはどうしようもないんです。

「虹」に引き付けていうなら、前に進むって決めたら、地平線に虹かけるって決めたら、どう進めるべきかは自ずと決まってきます。無数の選択肢の中から、諸条件によって決まるんです。失敗しても、得られるものは必ずありますよ。行きたい方だけ決めてくれたら、あとは法学部での知識を使える。

だから、僕がゼミで大事にしているのは、実は法っていう道具の使い方より、自分でどこに行きたいか、自分で何を正しいと思うのかの方。自分でどこに行きたいか、自分で何を正しいと思うのかを見いだせたら、あとはそれを正当化する方法を身に着けることです。自分でどこに行きたいか、自分で何を正しいと思うのかについては、僕はぜったいに教えられない。そこに行きたいなら、それを正しいと思うなら、どんな法的な道具とエビデンスを駆使すればいいか、それなら少しは教えられます。

虹ではないけど、他人がどう思おうと、いいじゃないですか。答えがない世界で、何を思っても、どこに向かってもいい。法は、それをサポートするための道具として使い尽せばいい。

いろいろあって、新入生は不安かもしれないですね。大丈夫。法学部では、危機だからこそ学べる、危機でなければ学べない面白い知識や経験を必ずや提供するつもりなので。




2020年3月17日火曜日

予想外のことが起きてしまったらどうする?

法学部にいると、「すべてを想定内にしとけ」みたいな議論が横行します。契約とか、不法行為でもいい例ですけど、あと知恵でみたら、そりゃ、全部想定内になりますよね。

現実には、すべての事象を想定内にしておくことは無理です。今夜、道端で蹴られるかもとか、ぜったいに想定する人はいないでしょう。

コロナウィルス感染症の感染拡大で、就活のスケジュールや進み方は変わってしまいましたよね。誰も想像していなかったと思います。もちろん、すでに内定を持っている人はいるでしょうけど、本命はこれから、という方もきっと多いはずです。想定外のことが起きた時こそ、実は実力がモノをいうんです。情報収集し、プランBやCまで用意しておく。相手の企業も大変な状況なので、自分のこともだけど、企業のことも考慮するくらいの余裕は必要かと。これまで、早め早めに準備してきた学生や、インターンに行ってきた学生の方が、対応力はあるでしょうね。

今まで準備できなかった学生でも、別にあきらめる必要はないです。危機に強い学生、本番に強い学生っているでしょう。こんな状況だからこそ、素直に状況に対応する、淡々と前に進むのが大事です。パニックにならずに。昔、トップティアのある外資系証券に勤めていた友人が言ってました。「人に聞く暇もないし、優先順位を決めることさえできない状況なんだ。あふれる仕事を、ただ、淡々と黙々と片付ける。リスクを見極め前に進めるものを進め、駄目なものは止める。それだけだって」。

繰り返しになりますけど、どんなに準備しても、想定外のことは起こります。想定外を減らすことはできても、ゼロにはできません。ゼロにできない前提で、あなたなら今、何をする?法学部って、机上の空論ばかり扱うから、危機に強いはずが弱くなっている。それが僕の印象です。現場に出たら、常に想定外の連続。頭にくることばかり。それを楽しまないと。謝ったり、お願いしたり、誰かにやらせたりして乗り越える。乗り越えたら相手に返す。そういうずぶとさ、ロブストさが求められているんじゃないかな。

頑張って!

2020年3月16日月曜日

【お礼】2020年度のプレゼミの応募、ありがとうございました

コロナウィルス対策、大変なことになっていますね。シンゴジラの世界が、まさに現実に起きているんだな、と考えさせられます。

プレゼミに応募してくれた学生の皆さん、本当にどうもありがとうございました。毎年、プレゼミも本ゼミも、学生が応募してくれるのか不安なのですけど、心より深くお礼申し上げます。最終的に選ばれなかった方も、授業や本ゼミでお目にかかれるのを楽しみにしています。

男女比とかGPAとか、毎年のことですが、ここには書いていません(笑)。書きたいことはたくさんあるけど、それは入ってからのお楽しみ、ということで。僕が下した結論じゃなく、神の手によるものなので。

プレゼミって、学生の皆さんはどうやって選んでいるんでしょうね。
半期で、しかも本ゼミとは違う感覚で選ぶって、具体的にどうやるんだろうって思いました。

僕はプレゼミって、法律を楽しく学べるところに入るのが第一だと思っています。砂漠のような法学部で勉強し、学ぶ意欲がなくなっている方々と一緒に、法律を学ぶってどういうことなのかについて考えてみたいです。題材を医療にしているのは、やはり身近で、分かりやすい気がして。それだけです。GPAは、仕方ないですよね。切られたら切られたですけど、最後はどのプレゼミでも楽しめるかどうか、そこを大事にしたいです。

僕自身は、大学生のころ、労働法と国際法のプレゼミに入っていました。労働法では、セクハラやパワハラに加えて労災事件を扱った記憶があります。生々しすぎてつらかったですけど、債務不履行と不法行為の関係とか、行政法と民法の関係とか、幅広く学べました。労働法っていう科目の性質でしょうけどね(笑)。実は、医療と法でも、民法、行政法、刑法をまんべんなく扱います。

プレゼミでは、法律の細かい論点を掘り下げるというより、事件自体の見方、論じ方、結論の正しさ、その理由の妥当性、結論が正しくない場合の是正方法、そういう点を重視したいと思っています。基礎中の基礎だけど、他のゼミではやらなさそうなことをやりたいですね。

プレゼミ、どうかお楽しみに。