2020年7月11日土曜日

法律を学ぶのは楽しい?

他大での授業が続々と終わっている中、青学での授業もあと数回を残すのみですね。皆さんは、大学で法律を学ぶの、楽しんでますか?

試験のためなら、まあ、楽しくなくてもぜんぜん問題ないですよね。楽しいとか関係なくて、司法試験等の勉強や、公務員試験のために勉強しているという人も多いと思います。

ただ、試験のための勉強ばっかりしていると、法律が社会でどのように使われ、何を引き起こしているのか、まったく気にならなくなります。どうでもよくなってしまうんです。だって、試験で大事なのは理論だから。判例通説を叩き込んでおけばよい。たとえば、憲法25条の生存権はプログラム規定説、ゆえに苦しんでいる人が生活保護が足りずに亡くなっても、その亡くなるかもしれない人が仮に身内でも仕方ない、だってそれが判例通説なんだから、そう考えがちになる。プログラム規定説の限界とか、なぜ抽象的権利説とか具体的権利説が提唱されたのかについてもほとんど考えなくなっていくでしょう。

逆に、普通に就活する人にとって、判例通説だけを暗記していても、何の意味もないです。覚えているだけではという意味で、もちろん覚えていて、ビジネスに応用できるなら意味はあります。

僕が最近感じているのは、いろんな学生がいるなかで、誰のための、どんな学生のための授業をするべきか悩ましい、ということですね。授業をしていても、ゼミをしていても常に悩んでいます。今のところ、就活する人、試験を受ける人、法科大学院以外の大学院に行く人、家庭に入る人など、どんな人にも意味がある授業やゼミにしているつもりです。でも、それではターゲットがぼやけていて、尖った内容にはなり得ないんですよね。まあまあよい、それくらいで終わってしまう。

僕は、学部生に対してなぜ法律を学ぶのか、どうして法律を学ぶと楽しいのか、その部分を重視したいなってずっと思っています。何のために法学部で法律を学ぶのか、昔よりもさらに曖昧になってしまっている中でも、楽しければ、職業選択として自然に法律関連職を選ぶだろうし、勉強も勝手にするでしょう。法律関連職でなくても、法律を学んでビジネスに応用できれば、他学部とは全然違うプレゼンが可能になる。そもそも法律なんて、法学部じゃなくても予備校で学べますから。実際、旧司法試験は学部要件なんてまったくなかったですし、今だって、予備試験の受験要件に法学部卒は入ってないです。しかも、何学部からでも法科大学院には入れますよね。

世界のあらゆる事象は物理で説明できるというのが、東野圭吾原作の推理小説ガリレオに出てくる湯川学という学者の見解だけど、僕はこの世のほとんどのことは法で説明できると思っています。判例通説にとらわれすぎず、ありとあらゆる事象に法を当てはめてみて、改善可能性、その手段、改善できなければ今後どうなるのか、改善によって失われる利益、費用などなど考えてみる。そうすれば、将来、この問題がどんなふうに展開するのか、だいたい予想できるでしょう。より正確に予想できた方が、ビジネスでは強いですよね。無駄な労力を削減できるし、より可能性の高い分野に投資すればいい。

法律の勉強、楽しんでますか?僕は、やっぱり学部生の間は、法律の勉強を好きになってほしいですし、法律を自分や自分の大事な人のために最大限駆使できる人になってほしいと思います。

2020年6月16日火曜日

ゼミでは就活対策はしてない?

そうですね。別に、就活対策をしているわけではないですが、僕のゼミはほかのゼミと違うので、本質的に就活に近い発想や考え方を要求していると思います。

教室や大学での勉強が「実験室」だとすれば、就活は「現場」。答えはない。マニュアルもない。みん就を読んで事前勉強してもあんまり意味はない(笑)。ここが、決定的に違うところです。

僕のゼミでは、過去の判例や学説を勉強して終わるわけではないんです。その先を考える。とりわけ、僕のゼミではまだ起きたばかりの事案を扱ったりします。まだほとんど学説や判例もないような世界も扱います。ある意味で怖いです。どうやって解くのか、皆、分からないんですもの。でも、それは実験室から外に出てみるってことなんですよ。現場で調べて考えてみるってこと。自分なりに、グループでもがいてみるってことです。

いいとか悪いとか、賛成とか反対とか、違法とか適法とか、損害賠償責任ありとかなしとか、そんなので終わっているのが「実験室」。

「現場」では、いいならもっと良くする方法を、悪いなら実現可能性を考慮しつつよりよくする方法を、賛成ならなぜか(+本当に全面賛成できるのか、改善点はないのか)、違法なら適法にする方法、損害賠償責任ありなら責任を免れるにはどうするか、それが結局、社会にどんな影響を及ぼすのか、そこまで考えて端的にプレゼンできないと、"in vain"(無駄)。

現場には一週間の猶予なんて絶対にない。目の前で処理するセンスと能力がすべて。しかも、考えて即座に話せないと、相手には伝わらないし。メモを作る暇はぜんぜんないので。

他のゼミのことはわからないですけど、僕は、医療と法という題材を使って、毎回、こういう作業を学生とやっています。就活のためにではなく、その先のために。だから、就活対策はしていませんし、学生のこともあまり心配していません。真面目にゼミに出ている学生は、いつもやっていることなので(笑)。就活、頑張ってください。




2020年6月7日日曜日

サイレント・ヴォイスー先入観から離れてみる

面白いですね。心理学の基本的な知識がたくさん出てきます。ああやって、犯罪捜査のためだけに使うのは心苦しいですけど(笑)。

心理学は一般教養でも学べますけど、その奥は深い。法律も奥は深いけど、心理学の本質は本当に深いと思っています。僕は専門家じゃないから、すべてはわからない。それでも、知ったかはしないように、それだけは忘れないようにしています。奥が深いのは、対象が「ヒトの心」だから。法律は、ヒトの心も扱うけど、むしろ具体的に表現されている「利益」が大事。ヒトの心よりは利益の方が見えやすい。ときどき、今の世の中では十分に理解されておらず、認識されてもいないのに守られるべき利益があったりするけど、それはまた別の場面で話したいです。

法律にも通じるのは、先入観を忘れる大事さかな。ヒトの心はわからない。行動心理学で、一般的には何を考えているのかを想像することはできる。でもそれは、目の前のヒトの考えそのものではない。それが一番大事。

法律も同じ。前も書いたけど、似た事案には似たルール、同じような処理が基本。僕らは通説や基本判例を覚えて、それを普段から使える訓練を受ける(実際にはぜんぜん使えないんだけど(笑))。先入観というか、似た事案には似た解決法、そういう考え方にずっぽりハマるのが学部の4年間。

でも、それでは足りない。判例通説でなんでもかんでも解決できると思うのは、行動心理学で目の前のヒトの心を理解した気になっている素人と同じ。たいていの場面は当たっているかもしれないけど、それは常に当たることを意味しない。法律でも同じで、判例通説で処理してよい事案かどうか、それとも例外が適用される場面か、その部分を丁寧に扱いたいんです。最善の利益を実現するために。

似た事案は、過去の事案と完全に同じではなく、目の前のヒトは一般的な人々でもない。事案には必ず個別具体的な背景があり、発生した時刻もその後も違う。ヒトなんて、同じ人はぜんぜんいない。この重要な事実を、法学部にいる間に僕らは忘れてしまうんです。なぜなんだろう。

その答えは、僕らが目の前の事案やヒトではなく、理論や教科書の知識を大事にしすぎるから。実際の場面では使えない理論や教科書の知識から少し離れて、具体的な事案やヒトを見てみてください。

授業で扱う事案はしょせん過去の話。どれだけ調べてもすべての事実関係を正確に知ることはできない。証拠や証人を介して真実に近づくことはできるかもしれないし、判例集や教科書には法令等を適用するのに必要十分な事実の要約が書かれている。でも、それは事実のすべてではない。知らない事実が、事案を決定的に変えてしまうかもしれない可能性、考えたことありますか?

話をサイレント・ヴォイスに戻しましょう。心理学を学ぶと、先入観から離れようって思えます。目の前のヒトの心が分からないように、事案も過去の類似事案とは違いますよ。それを忘れないで勉強しましょう。


2020年5月11日月曜日

授業ではエッセンスだけ聞き取る!

オンライン授業は、相当負担が大きいですね。とくに、大学によってはリアルタイム型でも課題を組み合わせることが必須となっており、ソクラテスメソッドで授業する身としては二重に苦しいです(笑)。

僕の授業にはたぶん、合う人と合わない人がいて、要領のいいヒトは毎回、良い成績を取っている印象があります。大事なことだけ覚えていて、それを使って問題を解くだけだから。まあ、他の講義とは違いますよね。エッセンスだけでいいんです。頭いいとかあんまり関係ない。聞き取って覚えるのはエッセンスだけ。雑談も、究極のところエッセンスを覚えるのに繋がると思うから話すだけ。純粋に楽しいから話すことなんてないです。これはマジ。

問題は、エッセンスがどこにあるのか、ですよね。
ワンスライド、ワンメッセージは基本ですけど、授業のテーマは1つで、必ず分かってほしいことを明確に、何度も繰り返し話しています。

エッセンスがどこにあるのか、それだけは大事にして授業を受けてみてください。





2020年5月5日火曜日

個人情報の流出に関する使用者責任 by UK Supreme Court

最近、英国の最高裁で個人情報の流出に関する判決が下されました。日本の研究者や実務家が期待する結論とは真逆。予測が当たったかどうかより、やはり、判例法って面白いです。原審と第一審で責任が認められていたのに、最高裁でひっくり返る。そして、最高裁の方がこれまでの判例法理からすれば当然の大きな流れ。なぜなら、故意による不法行為(本件では犯罪行為)に関する使用者責任は限定的に捉えるのが原則だから。個人情報の流出だから特別に責任が認められる、とはならなかったわけです。残念なのは、最高裁が損害論には踏み込まなかったこと(踏み込むまでもなかったんだろうとは思います)。

※グーグルの事件では、控訴院が損害を認めているみたいで、本件を含めて控訴院までは実損なしの損害を認める方向なのでしょうね(一審で否定されていたので、安心してたらひっくり返ってました)。額の算定の問題にはまだ一度も踏み込んでないのは、あまり指摘されていませんが。参考として、GDPR違反、制裁金よりも怖い代表訴訟と巨額賠償, available at https://blog.bizrisk.iij.jp/401

ちなみに日本では、損害賠償額がいくらか(ゼロも含めて)でもめています。最近の判例では、使用者責任の成立自体はほとんど問題にされていないはず。

UK Supreme Court Rules Morrisons Not Vicariously Liable for Malicious Data Breach by Employee by Sidley Austin LLP, available at https://www.sidley.com/ja/insights/newsupdates/2020/04/uk-supreme-court-rules-morrisons-not-vicariously-liable-for-malicious-data-breach-by-employee

WM Morrison Supermarkets plc v Various Claimants [2020] UKSC 12, available at https://www.supremecourt.uk/cases/docs/uksc-2018-0213-judgment.pdf



麒麟は来ない?ーいや、たぶん来る

麒麟が来る、面白いですね。平らかな世が来るといいですね。
でも、人任せにしていても麒麟は来ない。それを痛感しています。ドラマを見ながら。

何のために法学部にいて、法律を学ぶ?麒麟を招くためじゃない。自分のために学びます。当然そう。自分のために法律を使えないヒトは、みんなのために、誰かのために使えるわけないでしょ

第一回目のゼミ、プレゼミを終えました。プレゼミ生や、はじめて僕のゼミを体験する3年生にとっては、驚きかもしれない。別に判例や学説の勉強をするわけじゃないから。生の事件を僕らなりに斬る。初めて経験する人もいるはず。僕は、アメリカのロースクールで体験しました。衝撃でした。暗記じゃない、生の学問がそこにあったから、凄く面白かったのを今でも覚えています。

1時間半の時間、グループごとに必死に考えてプレゼンに落とし込んでみる。時間足りないとかありえない。長すぎるくらい。危機は待ってくれないし、一瞬一瞬が勝負。そういう訓練を15回したら、就活の面接は怖くなくなる。自分らしい内容でプレゼンし、相手と話せるようになる。僕にとっての「麒麟」はそれかな。それで皆の夢が叶えば一番いい。仮に叶わなくても、夢に近づく助けになれればそれだけでいい。

楽しい法学って何だろう。僕にとっては武器になる、役に立つ法学だと信じて止まない。正義はたくさんあるから、どの正義でも実現できるような腕を、知性を身に着けてほしい。そこに大学は関係ないのだから。

(A photo taken at Ginza area, where few person existed in May 2020)

2020年5月3日日曜日

法律は生々しい学問ー形式や表面的な当てはめは危険?

ようやく、青学での講義が始まりますね。もう、待ちくたびれた感じがしてます。ほかの大学では講義、スタートしていますし、あまりトラブルとかないので(笑)。

オンライン授業していて、感じているのは、法律問題を形式的に、表面的に捉えている人が多いことです。駄目っていうのじゃなく、それだと法学部じゃなくてもいいよなって、悲しく思うんですよ。

法律はルールで、ルールは言葉からできている。だから、言葉のパズルで結論は出ます。人によって、時代によって法解釈は変わりうるけど、まあ、パズルです。要件を満たせば効果が生じるだけなので。ただ、皆、その先を考えなくなっている。暗記するだけになっているんです。この結論で本当に良いのか、自分の身の回りで同じことが起きても納得できるのかどうか、結論を変えるにはどんな法解釈が必要か、それで誰かに不都合は生じないのか、そこまで考えないと、ただのパズルゲームになってしまう。パズルゲームでよいなら、数字をいじる経済学部や経営学部でもできます。文学部でも教育学部でもできるでしょう。理系の学部にもたぶんできます。でも、単なるパズルじゃない。人生を、社会を大きく変えるパズルなんです。

僕は、結論を予測できるようになってほしいんじゃなくて、そのパズルを自分なりに自由自在に解き、答えが不適切なら変えるために何をすべきか分かる人になってほしい。それは、少しかっこよく言えば、自分なりの「正義」を実現できるようになるってこと。変なものは変、よいものはよいって言えるようになるってこと。

ドラマ「BG」のセリフでいうなら、法を破っても依頼人を守るっていう前に、できる限り法を破らないで依頼人を守り、最悪の場合、緊急避難として依頼人を守るって感じかな(笑)。最初から、法を破りたい人はいないから。

医療では人が死んだり、負傷したり、後遺症が残ったり、副作用で苦しんだり、そんな人の事件を扱います。他人事じゃなくて、自分にもいつ、降りかかるかわからない出来事です。メスは握らない、診察も治療もしないけど、メスで切られたり、診察や治療を受けない人はいないでしょう。薬を飲まない人、体温計などの医療機器を使わない人もいないんです。身近な世界でありながら、リスクは大きい。そのリスクに背を向けたら、病気で死んでしまうかもしれない。それが医療の世界。法学部で扱う、自分が一生で一度も出会わないような話じゃなく、必ず遭遇するかもしれない事件を扱い続けます。見たくない世界も見ます。信じたくない世界も知ります。生々しいんです。要は。

生々しい現実を踏まえて、僕らは議論し、現実を変えたければ変える術を考え、行動する。そこまでできて法学部なんじゃないかな。ルールを形式的、表面的に語るのは誰でも出来ちゃう。法学部じゃなくても可能だよ。

僕は事件から入るのが好きだな。ルールから学ぶ前に、事件から入り、そのあとに関連するルールを調べる方がいい。そうしないと、形式的に、表面的に事実をルールに当てはめたり、答えを出しちゃうから。あとは、裁判官みたいに事件を眺めるんじゃなく、どちらかの当事者の側から事件を眺める。そうすると、いろいろと見えてきますよ。

ちなみに、もし、ある事実をルールに当てはめたら、目の前のヒトだけじゃなく100名が負傷ないし死亡しても仕方ないっていう結論が導かれたら、どう思います?多くの法学部生は、「仕方ないですね」って言うんじゃないかな。僕は、「?」思うけどね。