他大での授業が続々と終わっている中、青学での授業もあと数回を残すのみですね。皆さんは、大学で法律を学ぶの、楽しんでますか?
試験のためなら、まあ、楽しくなくてもぜんぜん問題ないですよね。楽しいとか関係なくて、司法試験等の勉強や、公務員試験のために勉強しているという人も多いと思います。
ただ、試験のための勉強ばっかりしていると、法律が社会でどのように使われ、何を引き起こしているのか、まったく気にならなくなります。どうでもよくなってしまうんです。だって、試験で大事なのは理論だから。判例通説を叩き込んでおけばよい。たとえば、憲法25条の生存権はプログラム規定説、ゆえに苦しんでいる人が生活保護が足りずに亡くなっても、その亡くなるかもしれない人が仮に身内でも仕方ない、だってそれが判例通説なんだから、そう考えがちになる。プログラム規定説の限界とか、なぜ抽象的権利説とか具体的権利説が提唱されたのかについてもほとんど考えなくなっていくでしょう。
逆に、普通に就活する人にとって、判例通説だけを暗記していても、何の意味もないです。覚えているだけではという意味で、もちろん覚えていて、ビジネスに応用できるなら意味はあります。
僕が最近感じているのは、いろんな学生がいるなかで、誰のための、どんな学生のための授業をするべきか悩ましい、ということですね。授業をしていても、ゼミをしていても常に悩んでいます。今のところ、就活する人、試験を受ける人、法科大学院以外の大学院に行く人、家庭に入る人など、どんな人にも意味がある授業やゼミにしているつもりです。でも、それではターゲットがぼやけていて、尖った内容にはなり得ないんですよね。まあまあよい、それくらいで終わってしまう。
僕は、学部生に対してなぜ法律を学ぶのか、どうして法律を学ぶと楽しいのか、その部分を重視したいなってずっと思っています。何のために法学部で法律を学ぶのか、昔よりもさらに曖昧になってしまっている中でも、楽しければ、職業選択として自然に法律関連職を選ぶだろうし、勉強も勝手にするでしょう。法律関連職でなくても、法律を学んでビジネスに応用できれば、他学部とは全然違うプレゼンが可能になる。そもそも法律なんて、法学部じゃなくても予備校で学べますから。実際、旧司法試験は学部要件なんてまったくなかったですし、今だって、予備試験の受験要件に法学部卒は入ってないです。しかも、何学部からでも法科大学院には入れますよね。
世界のあらゆる事象は物理で説明できるというのが、東野圭吾原作の推理小説ガリレオに出てくる湯川学という学者の見解だけど、僕はこの世のほとんどのことは法で説明できると思っています。判例通説にとらわれすぎず、ありとあらゆる事象に法を当てはめてみて、改善可能性、その手段、改善できなければ今後どうなるのか、改善によって失われる利益、費用などなど考えてみる。そうすれば、将来、この問題がどんなふうに展開するのか、だいたい予想できるでしょう。より正確に予想できた方が、ビジネスでは強いですよね。無駄な労力を削減できるし、より可能性の高い分野に投資すればいい。
法律の勉強、楽しんでますか?僕は、やっぱり学部生の間は、法律の勉強を好きになってほしいですし、法律を自分や自分の大事な人のために最大限駆使できる人になってほしいと思います。