2019年8月18日日曜日

Do you work for whom?ー『弁護士ビリー・マクブライド』(Goliath)

前期の講義やゼミが終わって、採点をして、今は別な仕事に追われています。お盆や夏休みという感覚がなくなって久しいです。

前期はいろいろと苦しくて、途中からこのブログを書く余裕がまったくなくなってしまいました。

書く元気も、気力も、意思もなくなっていたのに、こうして書いているのは、『弁護士ビリー・マクブライド』(Goliath)というドラマのおかげです。1シーズンを見終えました。面白いです。日本のリーガルドラマにはない世界が、そこには描かれています。常にギリギリを意識できるか、そんなことを考えさせられました。

法は真空の世界に存在しているわけではなく、人が法を創り、人が事実を認定し、人が事実を法に当てはめて結論が出ます。そこには、法廷であれその外でも、生々しいというか、ドロドロした世界があります。法学部ではほとんど学べないですけどね(笑)。それは、法学部の先生がドロドロに巻き込まれていないからです。一度でも巻き込まれたら、法的な話ってそんなに単純には話せないですし、教科書だけを使って話しても上手には伝わらない気がします。科学実験のように、100回同じような実験をすれば、100回とも同じ結論になるなんてことは、法の世界にはほとんどあり得ない、と思います。100回同じ実験自体、この世界では決して行えないのですから(笑)。

『弁護士ビリー・マクブライド』(Goliath)では、弁護士が依頼人のためだけに働く存在なのだ、ということを嫌というほど見せつけられます。周りの人を傷つけ、周りの人から嫌われ、遠ざけられ、裏切られても、依頼人の最善の利益を実現できればそれでいい。それが弁護士の姿。その一点だけは、ドラマで非情なくらい貫かれています。一般的な企業では必ず取引相手がいて、自社(株主)はもちろんですが相手にも社会にも、利益をもたらすようなスキームを考え出さないと、前には進みません。頭の使い方や、仕事の進め方が少し違うんですよね。(日本の)法学部に4年間もいると、裁判官のように考える癖がついてしまい、自社の利益とか社会的な価値とか将来とか、まったく考慮しなくなっていないでしょうか。

この前、ゼミ生に、「先生の考えは泥臭い」と言われました(笑)。そうかもしれないなぁ、って思いました。でも、僕が泥臭くても(笑)、皆が法の力を、法が道具だということを理解してくれて、それを最大限に駆使できるようになるなら、僕はそれでいいですよ。

『弁護士ビリー・マクブライド』(Goliath)では、「あなたに『情』をかけることはできる。でも、『情』をかけることが違法になるなら、法をおかすことはできない」という一節が出てきます。逆に言えば、法を破らない限りどこまででも、『情け』をかけてあげたいよ。でも、あなたの望みそのものは叶えられないんだ、ということです。要するに、法を勉強するということは、ギリギリの一線を意識しながら、誰かのために最善の利益を実現できるようになることです。公務員ならば国民のために、弁護士ならば依頼人のためだけに、企業の人ならば株主のために。

あなたは、法学部にいて一線、常に意識していますか?誰かのために、何かのために法を駆使できますか?